池田大作/アーノルド・J・トインビー 共著
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池田先生の”人類の未来のための対話”が始まる
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対談者
国家元主、国連のリーダー、世界的な科学者、文豪、芸術家、哲学者、
宇宙飛行士、ジャーナリスト、人権の闘士など、各界の第一人者の方々
分野
歴史、文学、哲学、経済、教育、環境、法律、宗教社会学、数学、天文学、化学、
物理学、医学、平和学、文化人類学、未来学、指導者論、青年論、女性論など
文明
キリスト教文明。イスラム、儒教、ヒンズー教など
2008年現在、対談集 50点超。海外出版 40言語・1000点超。
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1972. 5.10 (昭和47年) | 英国 | 池田先生が、オックスフォード大学を訪問。
ウィンストン・チャーチルが産声を上げたブレナム宮殿を訪問。
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1972. 5 (昭和35年) | ワシントンDC |
池田先生が「リンカーン記念堂」を訪問 |
1972. 6.20 (昭和47年) | 高知 | 池田会長とともに記念撮影会。(6月20日 高知の日) |
1972. 7. 6 (昭和47年) | 東京 | 第1回「滝山祭」に創立者の池田会長が出席。 |
1972. 7. 7 (昭和47年) | 日本 |
田中角栄総理大臣就任 |
1972. 7. (昭和47年) | 中国 |
公明党第3次訪中団が、訪中 |
1972. 8.19 (昭和47年) | 静岡 |
池田先生が、公害・環境研究の信念の先駆者 宇井純 氏 と会談
(池田先生:44歳 宇井純 氏: 40歳)
宇井純(1932~2006)
環境・公害問題研究家
東京都生まれ
東京大学工学部卒業後、民間企業に勤務するが、公害研究に専心するために、1959年大学院へ。熊本県の水俣病の調査を機に、多くの公害反対運動に携わる。
1970年10月東京大学助手時代に主催した「自主講座・公害原論」は、15年間で2万人を超える聴講者が訪れた。
1986年 沖縄大学教授
2003年 同大学名誉教授
アジア環境協会会長
著書「公害の政治学」「公害原論」など
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もし人が生涯にたったひとつでいい
本当に良かれと思う選択をしてくれたなら
この社会は
きっと変わるはずだ
公害・環境研究の信念の先駆者 宇井純 氏
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1972. 9.29 (昭和47年) | 日中共同声明発表 |
1972.10.1. (昭和47年) | 正本堂 落成。 |
1973. (昭和48年) | 日本 |
創価学会青年部が「原水爆禁止署名運動」を開始
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1973.2.4 (昭和48年) | 中野区 |
「中野兄弟会」結成(2.4 中野区の日)
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1973.2.20 (昭和48年) | 渋谷区 | 男女青年部1100名が、池田先生と記念撮影(2.20 渋谷区の日)
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1973.4.2. (昭和48年) | 関西創価中学校・関西創価高等学校が女子校として開校 |
1973.4 (昭和48年) | 門真 |
池田先生が、松下電器産業(現・パナソニック本社を見学。 |
1973.5.3. (昭和48年) | 静岡 |
富士美術館が開館。 |
1973. 5.19 (昭和48年) | ロンドン |
20世紀最高峰の歴史学者アーノルド・トインビー博士と池田先生の対談が終了
私は学問の世界の人間。あなたは行動の人です。 21世紀へ向かって
このような対話の渦を世界中で巻き起こしてほしい。
アーノルド・トインビー博士
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1973.6.17 (昭和48年) | 茨城県スポーツ祭に、池田会長が出席 |
1973.11. (昭和48年) | 信濃町 | ルネ・デュポス博士が池田先生と会談(聖教新聞社) |
1973.12.1 (昭和48年) | 東京 |
第1回中央区幹部大会 |
1973.12.4 (昭和48年) |
池田先生が、翻訳家バートン・ワトソン博士と会談
(池田先生 45歳 バートン・ワトソン博士 48歳)
バートン・ワトソン (Burton Watson)
(1925~)
アメリカ生まれ
翻訳家
1949年 コロンビア大学卒業
京都大学で中国文学などを研究
1967年 コロンビア大学教授
1969年 司馬遷の『史記』を初めて英訳・出版
『墨子』『荀子』『韓非子』『荘子』や白楽天、蘇東坡の詩など中国古典文学の翻訳を
数多く手がける。
1979年 全米翻訳賞 受賞
1982年 世界ペンクラブ翻訳賞 受賞
2005年 文学アカデミー賞 受賞
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1973.12.5 (昭和48年) |
池田会長が、アグネス・チャンさんと対談(聖教新聞社)
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1973.12.11 (昭和48年) | 東京 |
第1回墨田区幹部大会 |
1973.12.末 (昭和48年) | 日本 |
作家・松本清張の提案で、創価学会、日本共産党、両者の代表が「予備会談」(10月から数回)
双方の考えの合意事項7項目を文書に。 ("創共協定"(期間10年))
翌日、池田会長が、宮本委員長と会談(松本清張邸)
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1974. 1. 2 (昭和49年) |
正本堂建立の際の賞与御本尊
賞本門事戒壇正本堂建立
法華講総講頭 創価学会会長 池田大作
昭和四十九年一月二日
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(創価学会第2別館(東京・信濃町)に御安置されている常住御本尊の脇書に、 日達上人の筆で、したためられている)
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1974.1.24 (昭和49年) | 鹿児島 |
池田先生が、第1回「水俣友の集い」で「水俣の変革は、一人の人間の革命から!」と全魂の激励を
(九州総合研修所(当時)) |
1974.1.26 (昭和49年) |
池田先生が、鹿児島空港から香港へ |
1974.3. (昭和49年) |
池田先生が、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューオリンズ、マイアミを訪問。
中米のパナマ、ペルーへ。 |
1974.4.01 (昭和49年) |
創価大学創立者の池田会長がカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で
「二十一世紀への提言」と題し、初の大学講演 |
1974.5.18 (昭和49年) | 東京 | アンドレ・マルロー氏 池田先生と対談(聖教新聞社) |
1974.5.30 (昭和49年) | 中国 |
池田会長が、中国を初訪問。 |
1974.7.12 (昭和49年) | 東京 |
池田会長が、日本共産党宮本顕治委員長と会談(都内のホテル)
(作家・松元清張の勧めによるもの)
(毎日新聞の連載企画で 平和論、組織論、文学、芸術論など、幅広い人生対談となり
「ビッグ対談」として、7月15日から39回にわたって連載される。)
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1974.7.15 (昭和50年) | 東京 |
池田先生が、ハービー・ハンコックさんを激励。
世界中の人々の友であり
私の兄弟であり
そしてジャズ界の大勝利者に
生涯にわたって栄光あれと祈りつつ
池田先生
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1974. 7.27 (昭和49年) | 日本 |
"創共協定"(期間10年)が発表
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1974. 9.07 (昭和49年) | 日本 |
創価学会青年部が「原水爆禁止署名 1,000万人」を達成
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1974. 9.08 (昭和49年) | モスクワ |
池田先生が、 ソ連を初訪問
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1974. 9. (昭和49年) | モスクワ |
池田先生が、 モスクワ大学を初訪問
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1974. 9.16 (昭和49年) | 池田会長が、文豪・ミハイル・ショーロホフ氏と対談
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1974. 9.17 (昭和49年) | モスクワ |
池田第3代会長が、コスイギン首相(ソビエト) と会見(クレムリン)
| コスイギン首相 | 「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか?」 |
| 池田会長 | 「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。 その根底は人間主義です。」 |
| コスイギン首相 | 「この原則を高く評価します。 この思想を私たちソ連も実現すべきです。」 |
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1974.12 (昭和49年) | 北京 |
鄧小平副総理が池田先生と会談 |
1974.12.05 (昭和49年) | 北京 |
周恩来总理会见池田大作创价学会第三任会长(北京の305病院)
(周恩来総理 76歳 池田先生 46歳)
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1974.12.10 (昭和49年) | ノルウェー オスロ |
佐藤栄作総理 ノーベル平和賞 受賞 |
1974.12.12 (昭和49年) | 北京 | 周恩来総理 マンスフィールド駐日大使会見
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1974.12.17 (昭和49年) | ソ連 |
佐藤栄作総理 コスイギン首相 会見(クレムリン) |
1975. 1. 9 (昭和50年) | ニューヨーク |
池田会長が、エール大学客員教授で評論家の加藤周一氏と会談
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1975. 1. (昭和50年) | ニューヨーク |
池田会長が、ワルトハイム国連事務総長と会談
青年部の手による「核廃絶の1千万人の署名簿」を手渡される。
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1975. 1.13 (昭和50年) | ワシントン |
池田先生が キッシンジャー国務長官と会見
ヘンリー・A・キッシンジャー/池田大作 共著 「平和」と「人生」と「哲学」を語る 1987. 潮出版社
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1975. 1.26 (昭和50年) | グアム |
第1回「世界平和会議」開催。SGI ( 創価学会インタナショナル ) 結成。 池田先生が、初代SGI会長に就任。
皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、
全世界に妙法という平和の種を蒔いて、
その尊い一生を終わってください。
私もそうします。
池田先生
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1975. 2. (昭和50年) | 日本 |
アウレリオ・ペッチェイ博士から、池田先生に「会談を希望する書簡」が届く。
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1975. 2.12 (昭和50年) | 東京 |
佐藤栄作総理大臣 池田会長 会談
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1975. 3. 4 (昭和50年) | 東京 |
池田先生が、作家 井上靖 氏と会談(聖教新聞本社)
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1975. 4. (昭和50年) | 北京 |
鄧小平副総理 池田会長2度目の会見
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1975. 4. (昭和50年) | 日本 | 福田赳夫副総理 池田会長 会談
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1975. 4. (昭和50年) | 日本 |
新中国から、初となる正式な国費留学生6人を創価大学に迎え
創立者である池田会長が、自ら「身元引受人」に。
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1975. 4.17 (昭和50年) | カンボジア | 民族統一戦線により首都プノンペンが陥落。
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1975. 4.18 (昭和50年) | 北京 | 池田会長 ノロドム・シアヌーク殿下 会見
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1975. 4.27 (昭和50年) | コマサク皇太后が逝去(ノロドム・シアヌーク殿下の母堂)
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1975. 4.30 (昭和50年) | ベトナム | ベトナム共和国(南ベトナム)の首都サイゴンが陥落。ベトナム戦争が終結。
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1975.5. (昭和50年) |
ローマ法王庁から、池田先生へ正式な招待。
宗門の難色により、第262代ローマ教皇パウロ6世と池田先生の会見が中止。
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1975. 5. (昭和50年) | パリ | 池田先生が ローマクラブ のアウレリオ・ペッチェイ博士と対談開始。
池田大作/アウレリオ・ペッチェイ (ローマクラブ 創設者) 共著
二十一世紀への警鐘
読売新聞社 1984.
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1975.5.19 (昭和50年) | パリ | アンドレ・マルロー氏 池田先生と2度目の対談
池田大作/アンドレ・マルロー 共著
人間革命と人間の条件
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1975. 5.22 (昭和50年) | パリ | 池田先生御夫妻が、山崎ヨーロッパ会議議長らと共に、モスクワへ
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1975. 5.27 (昭和50年) | モスクワ |
モスクワ大学から池田先生へ名誉博士号が授章(モスクワ大学本館九階総長室)
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1975. 5.27 午後零時半 (昭和50年) | モスクワ |
池田会長がモスクワ大学で「東西文化交流の新しい道」と題し講演。
先進国と発展途上国という区分は、経済発展度によるものであり、発展途上といわれる国々も
世界に誇るなんらかの文化的財産を保有している。
音楽や芸術、伝統、生活様式など、さまざまな面から光を当てる時、
先進国と発展途上国というという評価の様相は千変万化する。
池田先生
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1975. 5.28 (昭和50年) | モスクワ | 池田会長 コスイギン首相 2度目の会見
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1975. 6. 3 (昭和50年) | 日本 | 佐藤栄作内閣総理大臣 逝去
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1975. 7.25 (昭和50年) | ハワイ |
池田先生が、ワイキキの浜辺近くに完成した「ポリネシア村」を訪問
(「ポリネシア村」: ポリネシア(太平洋のハワイ諸島、イースター島、ニュージーランドから なる三角形とその周辺の
島々の総称) の島々の文化遺産や伝統を、 世界の多くの人々に知ってもらい、理解を深める一助にしたいとの目的で
つくられたもの)
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全米総会の前夜祭として午後8時から「ゴールデン・ハワイアン・ナイトショー」がスタート。 (野外公会堂ワイキキシェル)
3日間に渡る「ブルー・ハワイ・コンベンション」が開幕。
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1975.7.26 (昭和50年) | ハワイ |
ハワイ州のジョージ・アリヨシ州知事とドミニカ共和国のカルロス・ラファエル・ゴイコ・モラレス
副大統領が池田先生の宿舎のホテルを訪問
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全米総会
アロハの精神は、人種、言語等、一切の差別を超えて、人間がお互いに人間として
手を結び合うところに、意義があります。
ハワイ州 ジョージ・アリヨシ州知事
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ここで、山本伸一は、世界平和実現への、自らの信念を述べていった。
「私が世界への平和旅の第一歩を印したのは、今から十五年前、このハワイの地でありました。
私は仏法者であります。平和主義者であります。私は、一切の暴力を否定する生命尊厳の信仰者であります。
私は、いかなる人とも、いかなる国とも、友好を結んでいることを信条としております。
そして、われわれは、仏法を基調とした平和と文化を推進していく団体であります。
その仏法者の立場から、私は一貫して、"現在の世界平和実現への課題は、民族、国家、イデオロギーの壁を超えて、人間対人間の共鳴音
を、いかに奏でるかにある。" と主張し、世界平和のために、三十七カ国・地域を回ってまいりました。
国と国との平和協定の延長線上にのみ、平和を求めるのではなく、民衆と民衆、人間と人間との友愛と調和のなかにこそ、
より深く、より強靭な真の平和は築かれていきます。
つまり、一個の人間を基調とした『人間平和』があってこそ、崩れぬ世界の平和もありうると、考えるのであります」
これは、伸一が、中国、ソ連をはじめ、あらゆる国々で訴えてきた主張であった。
彼は一個の人間に光をあてた「人間主義」の視点から、社会体制や国家の壁を超えて、人間と人間の心を結び、
世界に平和の大潮流を起こそうとしてきたのである。
それは、いわば、人類史を転換する新たな視座を示す挑戦であった。
.................................
- 新・人間革命(4096) 潮流 四十七 - より
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1975.11. (昭和50年) | 日本 |
創価大学創立者の池田会長の提案で、「周桜」が留学生と創大生の手で植樹。 |
1975.11. 8 (昭和50年) | 広島 |
池田会長が広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花 |
1976. 1.8 (昭和51年) | 堺 |
池田会長が出席されて、開館1周年を記念する勤行会(堺文化会館(現・堺平和会館))
関西の広布の『烽火(のろし)』をあげて、”大関西”に発展させた一大電源地は、堺である。......................。堺の人はよく戦った。大阪方面に大きく波動を巻き起こしたという歴史を厳然と残しておきたい。
池田先生
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1976. 2.10 (昭和51年) | 日本 |
創価大学通信教育学部が、「学校教育法」に基づく「大学教育」として
文部省から認可。 |
1976. 3. (昭和51年) | 英国 | オックスフォード大学出版局から Choose Life が出版。 |
1976. 3.13 (昭和51年) | 交野市 |
創立者 池田先生が出席されて、創価女子高校の第1回卒業式 |
1976. 3.15 (昭和51年) | 八王子市 |
創価大学 通信教育棟が竣工
(鉄筋コンクリート4階建ての校舎) |
1976. 3.16 (昭和51年) |
東京の創価高校の第6回卒業式
学園を、ただ懐かしむだけなら、自分との間に距離がある関係です。
しかし魂をとどめているという関係ならば、距離は全くなくなって、
それは自己と対象とが、いつでも一体となり、同化している状態であります。
万事、断絶だらけの現代において、
見事に断絶を乗り越えた境涯であります。
創立者 池田先生
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1976. 3.31 (昭和51年) | 八王子市 |
創価大学内に簡易郵便局が開局 |
1976.4.1 (昭和51年) | 札幌 |
札幌創価幼稚園 開園 |
1976. 4. 2 (昭和51年) | 豊中 |
関西戸田記念講堂が落成 |
1976. 4.2 (昭和51年) |
堂々と
王者の城か
泉州の
友らがつくりし
人材(ひと)の石垣(いしがき)
池田先生
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1976. 4.8 (昭和51年) | 日本 |
東京・創価学園の第9回入学式
創価女子学園の第4回入学式
入学式終了後に、創立者・池田先生が創価学園へ。寮歌「草木は萌ゆる」(後の校歌)の碑の除幕式、新入生・教職員との記念撮影、
学園創立8周年の記念祝賀会などに出席。記念祝賀会の席上、学園の音楽の教師が、創立者・池田先生が作詩された「厚田村- 恩師の故郷
に憶う」に曲をつけ、独唱。
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1976. 4.10 (昭和51年) | 東京 |
創立者・池田先生が出席されて、創価大学の第6回入学式
............。清新の息吹も、歳月とともに失われ、惰性化していくのが世の常である。
しかし、そうなれば、新しい発展はない。
惰性を破るには、原点に立ち返ることだ。
伸一は、常に人間と人間の触れ合いという教育の原点に立ち返ろうとしていた。
そして、自ら行動することによって、創価教育の城に、魂の新風を送ろうとしていたのである。...........。
新・人間革命 未来 四 より
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1976. 4.15 (昭和51年) | 札幌 |
創立者・池田先生が、札幌創価幼稚園を訪問。
この創価幼稚園のスタートで、
創価教育の最初の『教育の門』が完成しました。
その幼稚園が、北海道の札幌の地に誕生した意義は極めて大きいといえます。
創立者・池田先生
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1976. 4.16 (昭和51年) | 札幌 |
創立者 池田先生が出席されて 札幌創価幼稚園の第1回入園式
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1976. 5.16 (昭和51年) | 東京 |
創価大学通信教育学部の開学式 |
1976. 7.16 (昭和51年) | 日本 |
池田先生が「人間革命の歌」の作詞を開始。 |
1976. 7.18 (昭和51年) | 日本 |
山本伸一作詞・作曲「人間革命の歌」が発表される。 (本部幹部会)
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午後8時40分「人間革命の歌」が完成。
創価学会歌
人間革命の歌
作詞 : 山本伸一
作曲 : 山本伸一
歌詞 :
一.
君も立て 我(われ)も立つ
広布の天地に 一人立て
正義と勇気の
旗高く 旗高く
創価桜の 道ひらけ
二.
君も征(ゆ)け 我も征く
吹雪に胸はり いざや征け
地よりか涌きたる
我なれば 我なれば
この世で果たさん 使命あり
三.
君も見よ 我も見る
遥(はる)かな虹の 晴れやかな
陽(ひ)出(い)ずる世紀は
凛々(りり)しくも 凛々しくも
人間革命 光あれ
人間革命 光あれ
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.......................。
遂に、「人間革命の歌」が完成したのだ。
.........................。
ホイットマンは歌った。
「情熱、脈拍、活力、すべてにおいて測りしれぬ『いのち』をそなえ、
奔放自在な振る舞いができるよう神聖な法則どおりに造られた、
陽気で『新しい人間』をわたしは歌う」
伸一は、その「新しい人間」への道を、
歌い、示したかったのである。
- 小説 新・人間革命 勇気 四十九 より -
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山本伸一は、「人間革命の歌」で、戸田城聖が獄中で悟達した、「われ地涌の菩薩なり」
との魂の叫びを、いかに表現し、伝えるかに、最も心を砕いた。
- 小説 新・人間革命 勇気 五十二 より -
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1976. 7.19 (昭和51年) | 豊中 |
女子部結成25周年記念総会
(関西戸田記念講堂)
「人間革命の歌」を大合唱
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1976. 8. 5 (昭和51年) | 東京 |
山本伸一作詞「母」が発表される。
創価学会歌
母
作詞 : 山本伸一
作曲 : 松原真美 松本真理子
歌詞 :
母よ あなたは
なんと不思議な 豊富(ゆたか)な力を
もっているのか
もしも この世に
あなたがいなければ
還るべき大地を失い
かれらは 永遠(とわ)に 放浪(さすら)う
母よ わが母
風雪に耐え 悲しみの合掌(いのり)を
繰り返した 母よ
あなたの願いが 翼となって
天空(おおぞら)に舞いくる日まで
達者にと 祈る
母よ あなたの
思想と聡明(かしこ)さで 春を願う
地球の上に
平安の楽符(しらべ)を 奏でてほしい
その時 あなたは
人間世紀の 母として 生きる
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1976. 8.10 (昭和51年) | 北アイルランド |
ベルファストの市街地で、銃撃戦が始まる。ベティ・ウィリアムズ氏(33歳・2児の母)が、愛娘を乗せて運転する車が
テロリストの車と間一髪すれ違う。警官の発砲を受けてテロリストの車は暴走し、道端を歩いて
いた母子連れに突っ込み、天使のような幼子の命が瞬時に奪われる。
ベティ・ウィリアムズ
平和活動家。「世界子ども慈愛センター」の創設者・現会長。1943年、北アイルランド生まれ。
1男1女の母。コリガン氏(はねられた子どもの叔母)と共に平和を求める署名運動を開始。
その後、" ザ・ピース・ピープル”を組織し、平和運動に従事。北アイルランド紛争の解決を求める
世界的波動を広げた功績により、1976年、ノルウェー国民平和賞を受賞。1977年、コリガン氏と
共に、ノーベル平和賞受賞
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1976.10. (昭和51年) | 青森 |
池田会長が、 奥入瀬渓流を訪問。
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1976.11.2 (昭和51年) | 日本 | 創価班 結成 |
1977.10. (昭和52年) | 厚田村 (現・石狩市) | 戸田記念墓地公園が開園 |
1978. 1.12 (昭和53年) | 東京 | エドワード・ケネディ上院議員が池田先生と会見(聖教新聞本社) |
1978. 3.16 (昭和53年) | 東京 | 女子部歌「青春桜」が発表される。(立川文化会館)
創価学会歌
青春桜
作詞 : 山本伸一 原 治子
作曲 : 野田順子
歌詞 :
ああ新世紀 時来たる
今ひらけゆく 金の道
春の曙 創価山 創価山
私のあなたの 青春桜
ああ黎明の 時今に
花の嵐に いやまして
天地に舞いゆけ 共々に 共々に
朝日に光れ 青春桜
ああ満天に 星仰ぎ
あなたと語りし あの誓い
いかに忘れじ この道を この道を
手に手をとりたる 青春桜
ああわが使命 果たさなん
集いて来たれ 生々の
永遠の都に 爛漫と 爛漫と
薫れ生命の 青春桜
薫れ生命の 青春桜
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1978. 4.1. (昭和53年) | 東京 |
東京創価小学校が開校
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1978. 4.23 (昭和53年) | 三重 | 三重文化合唱祭に池田会長が出席
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1978. 4.27 (昭和53年) | 交野市 |
創立者ご夫妻が、関西創価学園(当時・創価女子学園)で、中学1年生の家庭科の授業を参観。
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1978. 4.26 (昭和53年) |
この道よ
この一筋(ひとすじ)の この道
ああ 交野(かたの)の路(みち)よ
君よ
昇りゆく
朝日(ひ)につつまれて
いついつも あゆみし
この道を 忘れまじ
青春の
あの日 この日を
乙女(おとめ)の語らいし
ああ 交野の路
創立者 池田先生
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1978. 6.30 (昭和53年) | 日本 |
学生部歌「広布に走れ」が発表(学生部結成21周年を記念する学生部幹部会)
創価学会歌
広布に走れ(学生部歌)
作詞 : 山本伸一
作曲 : 山本伸一
歌詞 :
広き曠野(こうや)に 我等は立てり
万里めざして 白馬も堂々
いざや征(ゆ)かなん 世紀の勇者
我と我が友よ 広布に走れ
旭日(あさひ)に燃えたつ 凛々(りり)しきひとみ
慈悲(じひ)と哲理(てつり)の 学徒の誉(ほま)れ
ああ革新の 英知(えいち)は光る
我と我が友よ 広布に走れ
今ほとばしる 大河の中に
語り尽くさなん 銀波(ぎんぱ)をあびて
歴史を創るは この船たしか
我と我が友よ 広布に走れ
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2009年 新・女子学生部歌「勝利の青春」が発表
創価学会歌
新・女子学生部歌「勝利の青春」
作詞 女子学生部有志
作曲 深見麻悠子
歌詞 :
1.
さあ! 輝(かがや)く太陽 誓(ちか)いの朝
妙(たえ)なるハーモニー 胸に響かせ
「学びに 学べや 未来(あす)のため」
わが師と 共(とも)に! 福智(ふくち)の青春
2.
さあ! 輝く笑顔(えがお) 使命の道
貴女(あなた)も私(わたし)も 広布(こうふ)の華(はな)よ
「語(かた)りに 語れや 民衆(とも)のため」
わが師と 共に! 正義の青春
3.
ああ! 輝く星(ほし)に 満(み)たせる胸
感謝(かんしゃ)の微笑(ほほえ)み 父母(ちちはは)に
「美しく 高く 君よ 舞いゆけ!」
わが師と 共に! 勝利の青春
わが師と 共に! 永遠(とわ)に勝利を!
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2009年 新・学生部歌「先駆(せんく)の英雄(えいゆう)」が発表
創価学会歌
新・学生部歌「先駆(せんく)の英雄(えいゆう)」
作詞/作曲 学生部有志
歌詞 :
1.
いざ立ち上がれ 若き英知よ
偉大な使命に 我ら燃ゆ
師子(しし)の雄叫(おたけ)び 天地(てんち)に轟(とどろ)きて
先駆の英雄 正義の旗ふれ!
2.
いざ結びゆけ 世界の友と
逆巻(さかま)く波浪(はろう) 見下(みお)ろして
平和の凱歌(がいか)を 天(てん)高(たか)らかに
勝利の英雄 世紀を動かせ!
3.
いざ走りゆけ 我と君(きみ)とは
師弟の陣列 不二の大道(みち)
無敵の力よ 今 ほとばしれ
創価の英雄 永久(とわ)に勝ちまくれ!
広布(こうふ)の英雄 永久(とわ)に勝ちまくれ!
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1978.7.3 (昭和53年) |
池田会長の作詞・作曲による 白蓮グループ歌「星は光りて」が誕生。(立川文化会館)
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1978.7.8 (昭和53年) | 練馬区 |
練馬区の支部長・支部婦人部長の代表と懇談した池田会長が、席上、区内の北町地域の4支部に、支部歌「北町広布の歌」
(山本伸一作詞・作曲)を贈る。 |
1978.7.14 (昭和53年) |
創立者・池田先生が出席されて、 創価大学「滝山祭」と合同開催された創価学園第11回「栄光祭」
(テーマ 「負けじ魂ここにあり」)
「負けじ魂ここにあり」― なんと素晴らしいテーマか。
今、社会で、世界で、最も忘れられた根本の人生の象徴を、栄光祭・滝山祭でテーマにしたこと
、それ自体に感動した一人であります。
創立者 池田先生
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1978. 7.17 (昭和53年) | 関西 |
池田先生が出席されて 7・17「大阪の日」記念「関西幹部会」 (関西戸田記念講堂)
山本伸一 作詞 関西の歌「常勝の空」が発表される。
歌に歴史あり、学会に正義の歌あり!
この歌は、無実の罪で囚われていた若き池田先生が出獄。沛然(はいぜん)たる雨、雷鳴が轟く中、
信念と不屈の大獅子吼(ししく)を放った不滅の '常勝・不敗' の原点を刻んだ「大阪大会」(中之島・大阪市中央公会堂)から21年の佳節を迎えた1978年(昭和53年)7月17日 池田会長が出席した 7・17「大阪の日」記念
「関西幹部会」 (関西戸田記念講堂)の席上発表された。
池田会長が、作曲者とともに何度も推敲を重ねられ、
発表直前に完成した山本伸一 作詞 関西の歌「常勝の空」。"常に、今こそ、今こそ、という精神を込めた"
"いかに大勢の同志がいても、常に一人称と二人称の間柄で進みたい。しかも久遠からの縁(えにし)だ"
"苦楽をともにした同志のことを誰が忘れようか....." "関西よ、いかなる苦難があろうと、断じて負けるな!
勇み立て!"その慈愛に包まれた共戦の譜。
会場では、池田会長の見守る中、「関西の歌」のタイトルとともに、歌詞が書かれ、「大阪大会」の会場だった、
中之島の大阪市中央公会堂の描かれた縦約5メートル、横約20メートルの超特大の幕が出現。参加した4000人の同志が、池田先生とともに大合唱。
この歌には、師弟常勝の誓いが込められている。
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創価学会歌
関西の歌「常勝の空」
作詞 : 山本伸一
作曲 : 杉野泰彦
歌詞 :
今再びの 陣列に
君と我(われ)とは 久遠(くおん)より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て
我等の誉れ 錦州城(きんのしろ)
常勝の空 晴ればれと
凱歌(がいか)の友の 雄叫(おたけ)びは
波濤(はとう)の如く 天に舞え
あゝ関西の 行進に
諸天の旗も 色冴えて
護(まも)りに護らん 我が友を
いざや前進 恐れなく
いざや前進 恐れなく
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1978. 7.19 (昭和53年) 午後 |
池田会長が、京都駅から「ひかり7号」で岡山へ
車中 九州の歌「火の国の歌」の歌詞が完成
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1978. 7.19 (昭和53年) | 岡山 |
池田先生が、「中国の歌」地涌の讃歌の作詞を開始。(岡山文化会館(現・岡山南文化会館))
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1978. 7.19 (昭和53年) | 千葉県 館山 |
房総圏総会の席上 関東で第1号となる「千葉の歌」(「旭日遥かに」)が晴れ晴れ
と大合唱。 |
1978. 7.20 (昭和53年) |
池田会長が、伯備線の特急「やくも3号」で "山光"鳥取の米子へ
列車内で「四国の歌」の歌詞が完成。米子文化会館に到着され、直ちに四国の友に伝えられる。 |
1978. 7.20 (昭和53年) | 鳥取 |
池田先生が、ホタルの飛び交う中 鳥取の同志と歓談。その合間に
曲のついた「中国の歌」のテープを聴かれながら、懐中電灯の明かりのもとで歌詞を再チェックされて
中国方面の歌「地涌の讃歌」が完成。
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1978. 7.22 (昭和53年) | 鳥取 |
本部幹部会の席上 中国方面の歌「地涌の讃歌」が正式に発表。
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1978. 7.24 (昭和53年) | 香川県 庵始町 |
池田会長が、岡山の研修メンバーとともに、四国研修道場へ。
夕焼け空に包まれた野外研修会で 四国の歌「我等(われら)の天地」が発表。
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1978. 7.24 夜 (昭和53年) | 熊本 |
九州の歌「火の国の歌」が初披露。
(2006年に、「新生 九州の歌『大九州の友は晴れ晴れと』」が誕生。)
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1978. 7.27 (昭和53年) | 名古屋 |
中部文化会館で開催された「中部の日」記念幹部会に池田会長が出席。
席上、池田会長の作詞による
「この道の歌」(中部歌)が発表。
創価学会歌
この道の歌(中部歌)
作詞 : 山本伸一
作曲 : 中島光治
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歌詞 :
ああ我等我等の 決めた道
この道歩まん 朗らかに
不退の君と 悔いあらじ 悔いあらじ
ああ中部中部 和楽あれ
ああ走れ語れよ この道で
苦難の彼方に 瑠璃の城
これぞ本陣 護れ君 護れ君
ああ中部中部 歓喜あれ
ああ朝な夕なに この道を
口笛涼しく 友どちと
夜空にはずむ 語りべに 語りべに
ああ中部中部 諸天舞え
ああ中部中部 諸天舞え
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1978. 8. 1 (昭和53年) |
東京 | マンスフィールド駐日大使 池田会長会見
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1978. 8. 1 (昭和53年) |
東京の歌「ああ感激の同志あり」が聖教新聞紙上で発表。
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1978. 8. 1 (昭和53年) |
高等部歌「正義の走者」が、聖教新聞で発表
(池田先生が、高等部有志の試作に何度も推敲を重ねた「師弟の魂の歌」) |
1978. 8. 2 (昭和53年) | 東京 |
東京支部長会に池田先生が出席。東京の歌「ああ感激の同志あり」が紹介される。
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1978. 8. 3 (昭和53年) |
第11回「高等部総会」に池田会長が出席。高等部歌「正義の走者」が披露。
2010年 池田先生が新たに加筆され、高等部歌「正義の走者」が未来部歌「正義の走者」に
創価学会歌
未来部歌「正義の走者」
作詞 : 山本伸一
作曲 : 菅沼知彦
歌詞 :
1.
我れ今あとを 継がんとて
心凛々しく 時待たん
この身の彼方は 新時代
踊る舞台と 今強く
学べ尽くさん 正義の道をば
2.
君も負けるな いつの日か
共々誓いし この道を
嵐も 吹雪も いざや征け
これぞメロスの 誉(ほま)れなり
ああ万感の 時待たんと
3.
この世の誇りと 使命をば
情熱 燃ゆる 君もまた
勝利の旗の 走者なり
花の輪広げん 走者なり
ああ柱たれ 我等の時代の
ああ柱たれ 我等の時代の
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1978. 8. 6 (昭和53年) | 山形 |
「置賜ふるさと祭典」。池田会長の、作詞・作曲による
「青葉の誓い」(東北の歌)が発表。
創価学会歌
「青葉の誓い」(東北の歌)
作詞 : 山本伸一
作曲 : 山本伸一
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歌詞 :
青葉の森に 誓いたる
我等の誇り 忘れまじ
いかに護(まも)らん 果たさなん
同志の城に 月冴(さ)えて
ああ東北の 功徳(くどく)の山々よ
風雪越えし 我等こそ
地涌(じゆ)の正義の 旗頭(はたがしら)
今堂々の 陣列は
使命の旗を 高らかに
ああ東北の 歓喜(かんき)の友々よ
おお新生の 道広く
王者の鼓動(こどう)は 雄渾(ゆうこん)に
三世の光と ひらかなん
これぞ元初(がんじょ)の 太陽と
ああ東北の凱歌(がいか)の人々よ
ああ東北の凱歌の人々よ
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1978.8.12 (昭和53年) | 北京 | 日中平和友好条約締結 |
1978.8 (昭和53年) |
昭和53年8月前半に、池田会長が同志に贈られた学会歌。
| 「ああ陽(ひ)は昇(のぼ)る」 | (神奈川) |
| 「ああ誓願(せいがん)の歌」 | (北陸) |
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昭和53年8月後半に、池田先生が同志に贈られた学会歌。
| 「ああ共戦の歌」 | (北海道) |
| 「信濃(しなの)の歌」 | (長野) |
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北海道の歌は、2008年 「三代城の歌」と改題し、新たな方面歌に。
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1978.秋 (昭和53年) |
創価学園「鳳友祭」
創価学園 愛唱歌
負けじ魂ここにあり
1.
桜(さくら)の舞(ま)いゆく
春の陽(ひ)に
友とかけゆく
この天地(てんち)
世紀(せいき)を語(かた)る
笑顔(えがお)には
負(ま)けじ魂(だましい)
かがやけり
2.
燃(も)ゆる陽(ひ)ざしに
汗(あせ)光(ひか)り
進(すす)め 我(わ)が君(きみ)
この道を
胸(むね)うつ響(ひび)き
紅顔(こうがん)に
負けじ魂
ここにあり
3.
烈風(れっぷう)りりしく
身(み)に受けて
未来の鼓動は
この生命(いのち)
喜び踊れ
丈夫(ますらお)は
負けじ魂
我が胸に
4.
母(はは)よ我(わ)が師(し)よ
忘(わす)れまじ
苦難(くなん)とロマンを
この我(われ)は
いつか登(のぼ)らん
王者(おうじゃ)の山(やま)を
負けじ魂
いつまでも
5.
正義の誇りに 胸を張れ
君に託さん この大城(しろ)を
学べ勝ち抜け 世界まで
負けじ魂 朗らかに
|
...................。昭和五十三年の秋、わが創価学園生たちが新しい愛唱歌を作った。題名は「負けじ魂(だましい)ここにあり」。
私は、四番の歌詞を綴り贈った。
母(はは)よ我(わ)が師(し)よ
忘(わす)れまじ
苦難(くなん)とロマンを
この我(われ)は
いつか登(のぼ)らん
王者(おうじゃ)の山(やま)を
負けじ魂
いつまでも
登るべき山は眼前にある。険しければ険しいほど、挑戦の心は誇り高い。さあ、歌声も朗らかに、勝利の頂(いただき)へ、勇気と希望の一歩を!
...................。
池田先生
- 大白蓮華巻頭言「負けじ魂ここにあり」(2009.3.)より -
|
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1978. 9.19 (昭和53年) | 北京 | 李先念副主席 池田会長 会見
|
1978.10. (昭和53年) |
昭和53年10月に、池田先生が同志に贈られた学会歌。
| 「母の曲」 | (婦人部) |
| 「凱歌の人生」 | (茨城) |
| 「広布(こうふ)の旗」 | (埼玉) |
| 「地涌の旗」 | (世田谷) |
| 「雪山(せっせん)の道」 | (新潟) |
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創価学会歌
凱歌の人生(茨城県歌)
作詞:山本伸一
作曲:半杭克己
歌詞:
おお寒風に 梅の香を
君も友どち 耐え勝ちぬ
いざや歌わん 茨城の
凱歌の人生 創らんや
凱歌の人生 輝けり
真赤な太陽 わが胸に
苦楽の旅に 諸天舞え
ああ常楽に 坂あるも
共に肩くみ 友の列
共に肩くみ 幸の列
君よ辛くも いつの日か
広宣流布の 金の風
歓喜の凱歌の 勝ちどきを
天空までも 叫ばんや
ああ茨城は 勇者あり
ああ茨城は 勇者あり
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1978.10. (昭和53年) | 邓小平副総理、黄華外相 訪日 |
1978.10.7 (昭和53年) | 東京 |
池田会長が出席されて、第1回離島本部総会(創価文化会館)(離島部の日) |
1978.10.11 (昭和53年) | 豊中市 |
池田会長が、城東区の総会に出席(関西戸田記念講堂) |
1978.11. (昭和53年) |
昭和53年11月に、池田先生が同志に贈られた学会歌。
| 「誓いの友」 | (栃木) |
| 「永遠(とわ)の青春」 | (指導部) |
| 「文化と薫(かお)れ」 | (山梨) |
| 「歓喜の城(しろ)光れ」 | (泉州) |
| 「広布の鐘(かね)」 | (群馬) |
| 「静岡健児の歌」 | (静岡) |
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沖縄には「沖縄健児の歌」、信越には「美しき信越」がある。
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1978.11. (昭和53年) | 加古川市 | 池田会長が、加古川文化会館を初訪問
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1978.11.10 (昭和53年) | 泉州 | 池田先生が、泉州文化会館を初訪問
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1978.11.10 (昭和53年) | 堺 | 堺支部結成25周年を祝賀する勤行会に、池田先生が出席。(堺文化会館(現・堺平和会館))
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1978.11.11 (昭和53年) | 泉州 | 池田会長が出席されて記念勤行会(泉州文化会館)
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1978.11.12 (昭和53年) | 泉州 | 泉州圏女子部総会で池田会長作詞 泉州の歌「歓喜の城 光れ」が発表(泉州文化会館)
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1978.11.12 (昭和53年) | 南大阪 | 南大阪文化会館(現・羽曳野文化会館)で行われた羽曳野・藤井寺2本部合同の大ブロック長会で、 池田会長が「大楠公」など6曲をピアノ演奏。
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1978.11.14 (昭和53年) | 姫路 |
池田先生が、姫路文化会館の会合に出席。「熱原の三烈士」などをピアノ演奏
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1978.12.15 (昭和53年) | 米中国交樹立発表 |
1978.12.16 (昭和53年) | 荒川区 |
池田先生が、クルーグロア ソ連対外友好文化交流団体連合界議長と会見
小説『人間革命』第10巻 の出版記念セレモニー 開催
(荒川文化会館) |
1979. (昭和54年) | 世界詩歌協会のスリニバス会長が池田先生と会見 |
1979. (昭和54年) | 創価学会青年部が「インドシナ難民救援募金」を実施。
6,400万円の義援金を寄付。 |
1979. 1. (昭和54年) | 米中国交樹立 |
1979. 2. (昭和54年) | 鹿児島 | 池田先生が、鹿児島空港からインドへ。 |
1979. 3.15 (昭和54年) | 府中市 |
池田先生が、座談会に出席 |
1979. 4.12 (昭和54年) | 東京 | 池田会長が、中国の人民の母 鄧穎超先生と再会。(迎賓館)
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1979. 4.13 (昭和54年) | 横浜 | 池田先生が神奈川文化会館へ
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1979. 4.14 (昭和54年) | 横浜 |
池田会長が出席されて開館記念勤行会
(神奈川文化会館)
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池田第3代会長が、旭区の金沢会館を訪問。美しいバラ園に「池沢園」と命名なされる。
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1979. 4.24 (昭和54年) | 日本 |
池田先生が会長を勇退。名誉会長に就任。(新宿文化会館)
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大阪の緊急本部長会(守口門真文化会館(現・守口文化会館))
(「4.24」 常勝大阪師弟誓願の日)
古(いにしえ)の
奇(く)しき縁(えにし)に
仕(つか)えしを
人は変(かわ)れど
われは変らじ
たとえ池田先生が会長職を辞めても
関西の私たちの師匠は永遠に池田先生です!
西口関西長
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関西七勇士 池田先生のもとへ向かう
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1979. 5. 3 (昭和54年) | 日本 |
読売新聞 朝刊 「日米の国民の意識調査の結果」 日本人が「最も尊敬する」日本人
1. 吉田茂
2. 野口英世
3. 二宮尊徳
4. 福沢諭吉
5. 昭和天皇
6. 池田大作
1979.5.3 読売新聞 朝刊
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| 八王子市 |
本部総会(創価大学・体育館)
大山(たいざん)
わが友よ
嵐に不動乃(の)
信心たれと祈りつつ
五十四年五月三日
創大にて
式後 記(しる)す也(なり)
池田先生
|
大桜(おおざくら)
わが友乃(の)
功徳満開たれと
祈りつつ
五十四年五月三日
創大にて 合掌
池田先生
|
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| 横浜 | 池田先生が、神奈川文化会館へ
池田先生が「共戦」の御揮毫をしたためられる。
脇書「五十四年五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり
真実の同志あるを 信じつつ 合掌」
共戦
五十四年五月三日夜
生涯にわたり
われ広布を
不動の心にて
決意あり
真実の同志あるを
信じつつ
合掌
池田先生
|
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| 横浜 | 山下公園通りで、横浜港の開港120周年を祝う「みなと祭り」のパレード。 |
1979. 5. 5 (昭和54年) | 横浜 |
池田先生ご夫妻が、保土ヶ谷区の友の愛艇「21世紀号」に乗船。(横浜港)
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池田先生が「正義」の御揮毫をしたためられる。
脇書「五十四年五月五日 神奈川文化にて われ一人(ひとり)正義の旗持つ也(なり)」 (神奈川文化会館)
正義
五十四年五月五日
神奈川文化にて
われ一人(ひとり)正義の
旗持つ也(なり)
池田先生
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1979. 5.11. (昭和54年) | 立川 |
池田先生が、立川文化会館へ
西に 満々(まんまん)たる夕日
東に 満月 煌々(こうこう)たり
天空は 薄暮(はくぼ) 爽(さわ)やか
この一瞬の静寂(せいじゃく)
元初の生命の一幅の絵画
我が境涯も又
自在無礙(むげ)に相似(あいに)たり
池田先生
|
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1979. 5.21 (昭和54年) | 交野市 |
関西創価学園の友が情熱を傾けて育ててきた蛍が、最初に夜空に舞う。(第1号となる3匹の蛍) |
1979. 5.27 (昭和54年) | 横浜 | 池田香峯子SGI(創価学会インタナショナル)会長夫人が婦人部総会に出席(神奈川婦人部の日) |
1979. 6. 2 (昭和54年) | 東京 | 池田先生が、北区の「弥生合唱団」「弥生オーケストラ」が練習している会場へ。 |
1979. 6. 2 (昭和54年) | 豊中市 | 2匹の蛍が舞う(師弟の蛍)(関西戸田記念館) |
1979. 7.15 (昭和54年) | 豊中 |
池田先生の奥様が出席されて、第1回「関西記念合唱祭」 (関西戸田記念講堂)
関西の友が、学会歌49曲を合唱
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1979. 7.16 (昭和54年) | 神奈川 |
池田先生が「鳳雛(ほうすう)会」「鳳雛グループ」の友に
一詩を綴り贈られる。
この日の誓いを
忘ること勿(なか)れ
われ いかなる事あれども
その遺業を
必ずや君達が
雄渾なる信心にて
又 炎(ほのお)の使命感を持(も)ち
成就しゆくことを
私は固く信じている
合掌
池田先生
|
狂気の讒言(ざんげん)の中
一人(ひとり)正義の旗を持ち
耐えつつ 君らを偲(しの)びつつ
池田先生
|
|
1979. 7.17 (昭和54年) | 東京 |
創価大学「滝山祭」と合同開催された創価学園「栄光祭」に創立者・池田名誉会長が出席。
席上、愛唱歌「負けじ魂ここにあり」や創価大学学生歌を大合唱した。
|
1979. 7.22 (昭和54年) | |
日達上人 逝去 |
1979. 8.18 (昭和54年) | 横浜 |
「白糸(しらいと)会」結成11周年総会
(神奈川文化会館) |
1979.10. (昭和54年) | 横浜 |
池田先生の母校・「富士短期大学(現・東京富士大学短期大学部)」の大学会総会と、
池田先生の高校の母校・東洋高校(前身は東洋商業)の高校会総会が、合同で行われ、
池田先生が、桜を植樹(「富士短桜」)
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1979.11.18 (昭和54年) | 関西 | 第1回関西総会 |
1979.12. (昭和54年) | ソ連がアフガニスタンを侵攻 |
1979.12.02 (昭和54年) | 関西 |
関西男声合唱団 発足 |
1980.1.1 (昭和55年) |
幾山河
ふたたび越えなむ
ともどもに
広宣の旗
厳といだきて
池田先生
|
|
1980.1.14 (昭和55年) | 横浜 |
四国の友3,000人が、客船「さんふらわあ7」号で池田先生のもとへ |
1980. 3.9 (昭和55年) | 東京 |
常勝大阪の門真の友600人が、新幹線で池田先生のもとへ
池田先生がピアノを弾かれる |
1980. (昭和55年) | アメリカ | 核の脅威展 |
1980.3.22 (昭和55年) | 東京 |
創価大学第6回卒業式
(通信教育部第1回卒業式)
たゆまぬ努力と実践で、社会で信用を勝ち取ってもらいたい。
生涯、学問をするという姿勢を貫いてもらいたい。
創価大学創立者 池田先生
|
|
1980. 3.25 (昭和55年) | 東京 |
池田名誉会長が、江東文化会館を初訪問。 |
1980. (昭和55年) | 日本 |
松下幸之助先生が 松下政経塾を開塾 |
1980. 4. 5 (昭和55年) | 静岡 |
中国作家代表団の巴金氏、謝冰心女史一行を、池田先生が歓迎
(静岡研修道場)
ただ願わくば後継の人ありて、
中日両国人民
子々孫々友好なれば、
老人の願い満たすものならんや
中国文学の母 謝冰心
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1980. 4.13 (昭和55年) | 横浜 |
関西指導部大会に池田先生が出席(神奈川文化会館) |
1980. 4. (昭和55年) | 池田先生が「大白蓮華」に「恩師と桜」と題する随想を執筆。 |
1980. 5. 3 (昭和55年) | 大阪 |
池田先生のご出席のもと「『5・3』創価学会の日」記念勤行会(関西文化会館)
五月三日
昭和二十六年五月三日
昭和二十七年五月三日
昭和三十五年五月三日
昭和五十四年五月三日
昭和五十八年五月三日
西暦二〇〇一年五月三日
此(こ)の日はわが学会乃(の)原点也(なり)
昭和五十五年五月三日 記(しる)す
心爽(さわ)やかなり 合掌
池田先生
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(関西牧口記念館)
『人間革命』の此の原稿は
わが師 戸田城聖先生の真実の
広布への大ロマンにして
弟子 池田大作が
確かに書き留めしもの也
一切の非難と謀略の言を
信ずること忽れ
我が門下に深く留む
池田先生
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(『人間革命』の原稿の "綴り"の第4巻の扉)
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1980. 5. 4 (昭和55年) | 豊中市 |
関西戸田記念講堂で、豊中の同志が池田先生と記念撮影 |
1980. 5. 5 (昭和55年) | 大阪 | 「関西同志の集い」に池田先生が出席(関西文化会館) |
1980. 5. 5 (昭和55年) | 大阪 | 「創価学会後継者の日」を祝う記念勤行会に池田先生が出席(関西文化会館) (池田先生のお姿が、聖教新聞で報道。) |
1980. 5. 5 午後5時55分 (昭和55年) | 大阪 | 池田先生が関西鉄人会55名を激励(関西文化会館) |
1980. 5. 7 (昭和55年) | 大阪 | 池田先生が出席されて開館記念勤行会(関西文化会館) |
1980.夏 (昭和55年) | 小説「人間革命」の連載が再開(聖教新聞) |
1980.夏 (昭和55年) | 「忘れ得ぬ同志」の新連載(聖教新聞) |
1980.12.20 (昭和55年) | 渋谷区 |
池田先生が、実業家・松下幸之助先生と対談
(国際友好会館)
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1981. 3. (昭和56年) | メキシコ | 池田先生が、グアダラハラ大学で「メキシコの詩心(しごころ)に思うこと」と題し講演。 |
1981. 4.1. (昭和56年) |
世界芸術文化アカデミーから池田先生に「桂冠詩人」称号。 |
1981. 5. (昭和56年) | モスクワ | 池田SGI会長が、チーホノフ首相との会見で、「米ソ首脳会談の早期開催」を提案。 |
1981. 5. (昭和56年) | モスクワ | 池田先生が、トルストイの家を訪問。 |
1981. 5.18 (昭和56年) | フランクフルト |
池田先生が、欧州の若き友らとゲーテの生家を訪問。
(5階建ての堂々たる家屋、第2次世界大戦で破壊され復元された) |
1981. 6. 1 (昭和56年) | フィレンツェ | 池田先生が、青年たちちともに、ダンテの家を訪問。
(繁華街の一角にひっそりと立つ石造りの家。復元されて今に伝えられている。 外壁には、厳しい表情を浮かべたダンテの表情が浮かべられている) |
1981. 6. (昭和56年) | マルセイユ |
池田先生が、地中海に浮かぶ イフ島の監獄(シャトー・ディフ)を一望。
イフ島:
デュマの名作 「モンテ・クリスト伯」(「巌窟王」(がんくつおう))で、主人公
エドモン・ダンテスが幽閉された島。
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1981. 6.20 (昭和56年) | アメリカ |
信仰とは
何ものをも恐れぬことだ
何ものにも粉動されぬことだ
何ものをも乗り越える力だ
何ものをも解決していく源泉だ
何ものにも勝ち
乗り越えていく
痛快なる人生航路のエンジンだ
池田先生
「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」より
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1981.7 (昭和56年) | サンフラ ンシスコ |
世界芸術文化アカデミーから、池田先生に「桂冠詩人」称号が授与。(第5回 世界詩人会議) |
1981.9 (昭和56年) | 東京 |
ミラノ「スカラ座」日本公演 招聘 (財)民主音楽協会 |
1981.10.25 (昭和56年) | 東京 | 足立区友好総会に池田先生が出席(創価大学グラウンド) |
1981.11.15 (昭和56年) | 交野市 | 池田先生が、関西創価学園(当時・創価女子学園)の第2回「蛍友祭」に出席 |
1981.11. (昭和56年) | 四国 |
「紅(くれない)の歌」が発表。(四国研修道場)
創価学会歌
紅の歌
作詞:山本伸一
作曲:菅沼知彦
歌詞:
1.
ああ紅の 朝明けて
魁光りぬ 丈夫は
ああ暁鐘を 打て 鳴らせ
驕(おご)れる波浪よ なにかせむ
邪悪の徒には 栄えなし
地涌の正義に 民衆(たみ)の旗
2.
毀誉褒貶(きよほうへん)の 人降し
輝く王道 この坂を
父(ふ)の滸(もと)集いし 吾らあり
子(きみ)よ大樹と 仰ぎ見む
ああ青春の 金の汗
誓いの青藍 虹かかれ
3.
老いたる父母の 築きたる
広布の城をいざ 護り抜け
眩き地平に 澎湃(ほうはい)と
若き翼よ 爽やかに
万葉の詩 ともどもに
舞いに舞い征け 世紀まで
万葉の詩 ともどもに
舞いに舞い征け 世紀まで
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1981.11.21 (昭和56年) | 大阪市 |
池田先生が、阿倍野区ワーキングミセスのメンバーと勤行
(関西文化会館 池田記念講堂) |
1981.11.22 (昭和56年) | 豊中市 |
第3回関西総会(関西戸田記念講堂) 池田先生が、指揮を執られ「嗚呼黎明は近づけり」を合唱。 |
1981.12. (昭和56年) |
創価学会が国連広報局NGO(非政府組織)に。 |
1981.12.10 (昭和56年) | 大分 |
「青年よ二十一世紀の広布の山を登れ」が発表。
(大分県青年部幹部会)
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1981.12.12 (昭和57年) | 大分・竹田市の岡城址 |
竹田城
いまだ崩(くず)れず
この土台(どだい)
人もかくあれ
創価もかくあれ
池田先生
「光の詩(うた)」より
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1982.1.9 (昭和57年) | 目黒 |
池田先生が、目黒平和会館(現・目黒国際文化会館)を訪問 |
1982. 1.14 (昭和57年) | 秋田 |
かまくらを
つくりし友の
嬉しさよ
秋田に春の
曲はなりけり
池田先生
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1982. (昭和57年) | ニュ-ヨ-ク | 「核兵器 現代世界の脅威」展 |
1982. 2.10 (昭和57年) | 茨城 | 池田先生が、日立会館を訪問 |
1982. 2.11 (昭和57年) | 茨城 | 池田先生が、茨城文化会館、鹿島会館を訪問 |
1982. 3.22 (昭和57年) | 大阪 |
池田先生が出席されて、第1回関西青年平和文化祭(長居陸上競技場)
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日顕が、池田先生を大石寺に呼びつける。
(池田先生の関西指導の予定が急遽変更・池田先生は、静岡へ)
どうして「御法主上人(ごほっすしょうにん)」と言わなかったのか
日顕
(聖教新聞 2008.6.11)
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| 静岡 |
1982. 4.1. (昭和57年) | 大阪 |
関西創価小学校開校 |
1982. 4.15 (昭和57年) | 神戸 |
池田先生が出席されて、本部幹部会(4.15 神戸の日)
(神戸市立中央体育館) |
1982.5.3 (昭和57年) | 大阪 |
池田先生のご出席のもと「創価学会の日」記念勤行会(関西文化会館)
席上、「新世紀会」が結成。 |
1982.6.3 (昭和57年) | ニューヨーク |
「現代世界の核の脅威」展が、国連本部でスタート |
1983.1.8 (昭和57年) | 目黒 |
池田名誉会長が目黒平和会館(当時)を訪問(1.8 目黒総区婦人部の日) |
1983.1.25 (昭和58年) |
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が「米ソ首脳会談の早期開催」を提案
第1回「SGIの日 記念提言」を発表。 |
1983.2.10 (昭和58年) | 荒川区 |
池田名誉会長が、荒川文化会館を訪問 |
1983.3.19 (昭和58年) | 池田先生が出席されて自由勤行会(河内文化会館)
「うれしいひな祭り」「夕焼け小焼け」「春が来た」をピアノ演奏
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1983. (昭和58年) |
池田先生が、 (財)東京富士美術館を創立
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1983. 5. (昭和58年) | アラスカ | 池田SGI会長ご夫妻が、アラスカ州を訪問・アンカレジでの第1回北米総会に出席。 |
1983. 5.30 (昭和58年) | アラスカ | 池田先生が、アンカレジ郊外のボーテージ氷河を訪問。 |
1983. 8. 8. (昭和58年) |
池田先生に「国連平和賞」。 |
1983.11.02 (昭和58年) | 東京 |
東京富士美術館が開館 |
1983. (昭和58年) | アメリカ |
ハービー・ハンコックさんが、アメリカ音楽界の最高栄誉であるグラミー賞を受賞 |
1984. (昭和59年) |
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1984. 3. (昭和59年) | ローマクラブ 創設者 アウレリオ・ペッチェイ博士が、逝去。 |
1984. 5.20 (昭和59年) | 鳥取 | 池田会長が出席されて、鳥取青年平和文化祭(倉吉体育文化会館) |
1984. 6. 4 (昭和59年) | 中国 |
池田先生が、訪中団一行とともに 故・周恩来総理夫人で政治協商会議主席の鄧穎超先生と会見。 (人民大会堂) |
1984. 6. 5 (昭和59年) | 中国 |
池田先生が、北京大学の「名誉教授」称号を受章
「平和への王道 - 私の一考察」と題し記念講演 |
1984. 6.15 (昭和59年) | マレーシア |
SGM (マレーシア創価学会) が全国法人を取得(6.15マレーシアの日) |
1984. 9.30 (昭和59年) | 西宮市 |
池田先生が出席されて、第4回「世界平和文化祭」
(阪神甲子園球場)
あゝ関西
ついに誓願
果たさむと
三世の歴史に
常勝 飾れり
池田先生
|
十万乃
あゝ青春の
陣列は
広布の暁
ここに 見るらむ
池田先生
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1985. 1.22 (昭和60年) | 城東区 |
池田名誉会長が、北大阪文化会館(現・城東平和会館)を訪問 |
1985. 1.25 (昭和60年) | 大阪 |
池田先生が、西大阪文化会館(現・住之江文化会館)を初訪問(1.25 西大阪総県の日) |
1985. 2. 4 (昭和60年) | 愛媛 | 池田先生が、大洲会館を訪問 |
1985. 3. 6 (昭和60年) | 東京 |
中国青年代表団(胡錦濤団長(中華全国青年連合会 主席))を池田先生が、歓迎。
「中華全国青年連合会」と「創価学会青年部」の「交流協定」が結ばれる。 |
1985. 3.17 (昭和60年) | 茨木市 | 北摂代表幹部会に池田先生が出席(北摂文化会館) |
1985. 4.2. (昭和60年) | 東京 | 創価女子短期大学が開学 |
1985.11. (昭和60年) | ジュネーブ |
レーガン(米大統領)ゴルバチョフ(ソ連書記長)会談 |
1986. (昭和61年) | 寧波 |
壮大な「海のシルクロード」の起点 寧波の天地に
「世界の海運王」 と謳われた大実業家・包玉剛先生の尽力により
寧波大学が、創立
|
1986. 5.04 (昭和61年) | 大阪市 |
池田先生が、関西の友と一緒に「適塾」を訪問。 |
1986. 6.20 (昭和61年) 夕暮れ | 交野市 |
池田先生が「関西創価学園の友が情熱を傾けて育ててきた蛍」を、観賞になられる。 |
1986.10. (昭和61年) | レイキャビク |
レーガン(米大統領)ゴルバチョフ(ソ連書記長)会談 |
1986.11. 1 (昭和61年) | 八王子 |
池田名誉会長が、第1回八王子総会に出席(東京会館(当時))(11.1 八王子の日) |
1986.11.10 (昭和61年) | 吹田 | 池田先生が、吹田文化会館を初訪問 |
1986.11.12 (昭和61年) | 大正区 |
池田先生が、「大正文化会館」を初訪問。
誇りあれ
庶民の都の
大正区
ああ寂光の
舞台広げむ
池田先生
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負けること
知らぬ庶民の
信行に
諸仏は微笑み
諸天は守らむ
池田先生
|
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1986.11.22 (昭和61年) | 東京 |
日顕が超高級料亭で大豪遊。(赤坂)
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1987. 2. 8 (昭和62年) | ドミニカ |
池田先生 ドミニカ訪問 |
1987. 7.6 (昭和62年) | 山形 |
池田先生が出席されて「新生・山形第1回幹部大会」(山形平和会館) |
1987. 7.13 (昭和62年) | 船橋市 |
池田名誉会長が、船橋文化会館を訪問(7.13「船橋の日」) |
1987. 8.16 (昭和62年) | 群馬 |
池田先生ご夫妻が、「はるな平和墓苑」へ。 |
1987. 9.13 (昭和62年) | 船橋市 |
池田名誉会長が、足立の栄光会の友を激励。 |
1988. 2. 3 (昭和63年) | タイ |
プーミポン国王 池田先生 会見(バンコク・チトラダ宮殿) |
1988. 5. (昭和63年) | パリ | 池田大作写真展 永遠の日本 |
1988.11. 8 (昭和63年) | 東京 | ブライアン・ワイルドスミス氏が池田先生と会談(聖教新聞社) |
1988. 2. (昭和63年) | マレーシア |
池田SGI会長が、マレーシア初訪問 マレーシア文化会館が落成 |
1989.3.19 (平成元年) | 西成区 |
池田先生が、西成文化会館を訪問。 |
1989.3. (平成元年) | 東京 |
ハーバード大学 ジョセフ・ナイ教授が、 聖教新聞社を訪問 池田先生と会談 |
1989. 4. (平成元年) | 東成区 |
関西国際友好会館(現・東成文化会館) 開館。 |
1989. 4. 5 (平成元年) | 東京 |
プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下御撮影「特別撮影展」(東京富士美術館) |
1989.5. (平成元年) | 中国 | ゴルバチョフ書記長が、 中国を訪問。 |
1989.5.22 (平成元年) | ロンドン | 池田先生が、サッチャー首相と会見(首相官邸) |
1989.5.25 (平成元年) | ロンドン | 池田先生が、アン王女と会見(バッキンガム宮殿) |
1989.5.31 (平成元年) | 英国 | 池田先生が オックスフォード大学ボドリーアン図書館「終身名誉館友」に就任。 |
1989.6. 5 (平成元年) | スウェーデン |
カール十六世グスタフ国王 池田会長 会見(王宮「シビラの間」) |
1989.6. (平成元年) | 中国 | 天安門事件 |
1989.6. (平成元年) | パリ | 池田会長 ミッテラン大統領 会談 |
1989. 8. (平成元年) | 日本 | 本部幹部会の「衛星中継」が開始 |
1989.10.10 (平成元年) | 交野市 | 池田先生が、蛍会(関西創価学園の女子同窓生)の第13回総会に出席 |
1989.10. (平成元年) | 大阪 |
池田先生 ジョセフ・ロートブラット博士 会談(関西国際友好会館)(現・東成文化会館)) |
1989.11.09 (平成元年) | ベルリン | ベルリンの壁 崩壊 |
1990. (平成2年) | 中国の李鵬総理がソ連訪問 |
1990. (平成2年) | オックスフォード大学出版局から池田名誉会長とブライアン・ワイルドスミス氏の初の共同制作 となる創作童話「雪ぐにの王子さま」(The Snow Country Prince) が刊行。 |
1990.2.2 (平成2年) | 南アフリカ |
デクラーク大統領が、議会で演説。
1960年に非合法化された「アフリカ民族会議(ANC)」の合法化、
マンデラ氏を釈放する方針を表明。
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1990. 2.11 (平成2年) | 南アフリカ |
アフリカの正義の巌窟王ネルソン・マンデラ氏が二十七年半に及ぶ迫害の投獄を
耐え抜いて、 この日、ついに自由を勝ち取る。
もはや待つことはできません。
今こそすべての戦線で、闘争を強化するべき時なのです
ネルソン・マンデラ氏
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1990.2.12 (平成2年) | アメリカ |
池田先生が、3年ぶりにロサンゼルスへ (17日間滞在)
ノーベル賞受賞者のポーリング博士ら3人の識者と相次ぎ会見 |
1990. 3.14 (平成2年) | 関西創価学園の新校歌「栄光の旗」が誕生。
(歴史的な師弟共戦の歌)
関西創価学園 校歌
栄光の旗
③
ああ関西に
父子(ふし)の詩(うた)
これぞ我(われ)らの
誉(は)れの曲(きょく)
ともに誓(ちか)いを
果(は)たさむと
世界を結(むす)べや
朗(ほが)らかに
君も王者と
栄光の旗
君も勝利と
栄光の旗
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1990. 3.16 (平成2年) |
プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下御撮影「特別撮影展」 (南カリフォルニア大学フィッシャー美術館(アメリカ、ロサンゼルス)) (東京富士美術館) |
1990.5.下旬 (平成2年) | 中国 |
池田名誉会長が、約300人の大交流団を率い7度目の訪中。 江沢民総書記、李鵬総理、鄧穎超先生らと相次いで会見。北京大学で記念講演を。
中日友好協会から、池田先生に「平和の使者」の称号が贈られる。
「自然と平和との対話」写真展を開催
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1990.6.3 (平成2年) | 丹波 |
池田先生が、関西池田記念墓地公園を初訪問
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1990.6.4 (平成2年) | 丹波 |
池田先生が出席されて、開園記念勤行会(丹波平和講堂)。 |
1990.6. (平成2年) | 日本 |
日本が中国に対する円借款凍結の部分解除を表明。
西側諸国で初めて対中経済協力が再開。 |
1990.6.8 (平成2年) | 丹波 |
関西池田記念墓地公園が開園。
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1990.7.9 (平成2年) | 苫小牧 |
池田先生が、苫小牧文化会館を初訪問。
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1990.7.15 (平成2年) | 新潟 |
「新潟白ゆり女性会館」が誕生。(7.15 新潟県婦人部の日)
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1990.7.27 (平成2年) | モスクワ |
池田先生が、 ゴルバチョフ大統領(ソビエト)と会見
ゴルバチョフ大統領の母校・モスクワ大学のログノフ総長、世界的作家のアイトマートフ氏 等が同席
池田大作/ミハイル・S・ゴルバチョフ(ソビエト連邦初代大統領) 共著
DAISAKU IKEDA / Mihairu Gorbachev
二十世紀の精神の教訓
潮出版社 1996.
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1990. 9.17 (平成2年) | 東京 |
東京富士美術館で「ボドリーアン図書館重宝展 1000年の英知の輝き 「世界史を彩る古典と華麗なる装幀芸術」が開幕。 東京富士美術館
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1990.10.31 (平成2年) | 東京 |
晴れ渡る青空のもと、ネルソン・マンデラ アフリカ民族会議副議長(72歳)が、聖教新聞社を訪問。
池田先生が、五百人の若き友と共に熱く歓迎。
釈尊も72歳から、出世の本懐(仏が世に出現した究極の目的)
である法華経を説き始めたとも言われます。
貴殿の活躍も、いよいよこれからです。
池田先生
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1990.12.13 (平成2年) | 東京 |
宗門から「第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」 (平成2年12月16日付)
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1990.12.27 (平成2年) (平成2年) |
宗門が、法華講総講頭の池田先生を一方的に罷免。 |
1991.1.17 (平成3年) | 湾岸戦争 勃発 |
1991. 1.30 (平成3年) | マカオ |
池田先生が、ポルトガル領・マカオを訪問
マカオ東亜大学(現・マカオ大学)名誉教授称号受章
45分間の記念講演を。
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1991. 4. (平成3年) | 日本 | ゴルバチョフ大統領とライサ婦人が日本を訪問。 |
1991. 5. (平成3年) | 新潟 |
池田先生が、「新潟白ゆり女性会館」を初訪問。
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1991.5.16 (平成3年) | 中ソ東部国境協定 調印 |
1991. 6.12 (平成3年) | ボン |
統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領と池田先生が会見(大統領官邸) |
1991. 6. (平成3年) | ロンドン | 池田先生が、サッチャー首相と2度目の会見(首相官邸) |
1991. 6.28 (平成3年) | イギリス |
池田先生が、フレッド・ホイル卿、チャンドラ・ウィックラマシンゲ博士と会談 (タプロー・コート総合文化センター)
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1991. 7. 3 (平成3年) | 韓国 |
「聖教タイムズ」創刊(韓国SGIの機関紙)(10日に1度の旬刊)。
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1991. 7. 6 (平成3年) |
プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下御撮影「特別撮影展」 (タプローコート・オリエンタルギャラリー(イギリス、タプローコート)) (東京富士美術館) |
1991.09.26 (平成3年) | アメリカ |
池田SGI会長が ハーバード大学 ケネディ政治大学院 (JOHN F.KENNDY SCHOOL OF GOVERNMENT)で講演 テーマ
「ソフトパワーの時代と哲学」
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1991.10.15 (平成3年) | 神戸 |
池田名誉会長御夫妻が、開館したばかりの兵庫文化会館へ。(10.15 兵庫の日)
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1991.10.16 (平成3年) | 神戸 |
池田名誉会長御夫妻が、中央区の友が制作した「フラワーカー」(100年前の神戸の異人館街をかけた馬車を復元したもの) に " 記念乗車"。兵庫県総会を兼ねた関西総会にご出席。
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1991.10.18 (平成3年) | 大阪 |
創立者・池田先生が、関西創価学園での友好交歓会に出席。通学生・寮生・下宿生の代表と懇談。
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1991.10.18 (平成3年) | 大阪 |
池田香峯子SGI(創価学会インタナショナル)会長夫人が、関西白百合青春会館を初訪問。
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1991.11. (平成3年) | 東京 |
創立者・池田先生が出席されて、創価女子短期大学の白鳥体育館で卒業記念の撮影会
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1991.11.23 (平成3年) | 東京 |
目黒・品川 合同の第1回「創価ルネサンス文化音楽祭」
池田先生が、「広布に走れ」「威風堂々の歌」の指揮を執られる
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1991.11.29 (平成3年) |
宗門から "破門通告" が届く
1991年11月28日
創価学会は
傲慢と嫉妬に狂う
宗門に破門された。
池田大作は
中傷の矢を歯牙にもかけず
日蓮仏法の
真髄をさらに深く追求した。
その理想をさらに高く
掲げることにより
この日は
「魂の独立記念日」となった。
南アフリカの詩人 オズワルド・ムチャーリ氏
|
| Oh happy day! |
Oh happy day!
|
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1991.12.23 (平成3年) | 荒川区 |
池田先生が出席されて、荒川の文化音楽祭
(荒川文化会館) |
1992.9.1. (平成4年) |
香港創価幼稚園 開園
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1992. (平成4年) | アマゾン |
ブラジルSGIが 「アマゾン自然環境保護センター」の設置を決定
(当時 アマゾン自然環境研究センター)
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1992. (平成4年) | アメリカ |
ローザ・パークス氏が、語学研修中の創価女子短期大学生たちと語り合う。
|
1992. 1.30 (平成4年) |
香港中文大学から池田先生に最高客員教授の称号が授与される。
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1992. 2. (平成4年) | インド |
池田名誉会長が、ソニア・ガンジー氏と会見
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1992. 4. (平成4年) |
バーツラフ・ハベル大統領(チェコ)が来日、池田先生と会見。
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1992.5 (平成4年) |
バートン・ワトソン博士の手による英訳『法華経』が完成
5世紀の初頭、鳩摩羅什(くまらじゅう)の手により漢訳された「妙法蓮華経」が、新たな生命を得て現代に蘇る。
私は、自分の翻訳文に決して古風な英語を使うことはない。
むしろ、できるかぎりわかりやすく、最も心地よい響きの現代英語にするよう心がけている。
この方針こそ、私が英語版『法華経』で目指した目標であった。
|
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1992.9.15 (平成4年) | 目黒 |
池田先生が、目黒平和会館へ
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1992.10. (平成4年) | 中国 |
池田先生が、中国社会科学院で「21世紀と東アジア文明」と題し講演
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1993. 1.30 (平成5年) | アメリカ |
アメリカ公民権運動の母 ローザ・パークスさんが、アメリカ創価大学 ロサンゼルス・キャンパスを訪問
創立者 池田先生が、青年たちとともに歓迎。
創立者 池田先生ご夫妻が、ローザ・パークス氏の80歳のお誕生日(2月4日)をお祝いし、 バースデーケーキをプレゼント
大変に喜ばれる。
日米の青年が 手をつなぎ 公民権運動の象徴となった 「ウィ・シャル・オーバーカム(我らは打ち勝つ)」を大合唱
「ウィ・シャル・オーバーカム」(我らは必ず勝利する) - アメリカ黒人の人権闘争「公民権運動」に参加した人々は、
この歌を歌い前進した。あらゆる権力を握る白人に対する勝算なき戦い。しかし人々は勝利した▼歌が生まれたのは、
米南部で生涯教育を実践した学校。デンマークの近代教育の父グルントヴィの影響を受けて創立された学舎であり、
教育哲学者ジョン・デューイも高く評価して資金を提供した。そこで、ゴスペル・労働歌だったものに手を入れ、
学校の歌に。ゆかりの人々が歌い、広まった▼グルントヴィもデューイも、生命の尊厳を重んじ、「対話」を重視した。
その教育思想を、創価教育の父・牧口初代会長は注目し、池田SGI会長は二人の後継者と、
それぞれ対談している▼思想は行動してこそ命を持つ。歌となり声となるとき、その命は脈動する。
公民権運動も、「ノー」と叫び、対話と非暴力の行動で戦い抜いて歴史は動いた▼かの生涯教育の学校に学んだ
“人権の母”ローザ・パークスさんは、創価大学と女子短大を訪れた折、若き友と共に
「我らは必ず勝利する!」という世界を実現したいと語った。社会正義の戦いは、永遠の戦い。
思想を行動にする時は、常に「今」である。(香)
「名字の言」2010.2.5
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1993. (平成5年) | 日本 |
日顕が、桜の樹を次々と切り倒す。
from 日蓮正宗問題研究
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1993. 2. (平成5年) | カンボジア |
創価学会青年部の代表がプノンペンを訪れ、28万台を超えるラジオを寄贈(「ボイス・エイド」運動)
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1993. 2. (平成5年) | コロンビア ボゴタ市 |
池田先生が、「ボリバルの家」を訪問。トーレス館長と「革命の父」の偉業をめぐり語らい
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1993. 2.14 (平成5年) | アルゼンチン |
池田先生がアルゼンチンを訪問
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1993. 3.18 (平成5年) | サンフランシスコ |
サンフランシスコ市から、池田先生に「国連貢献・国際文化交流推進賞」名誉市民の「市の鍵」が授与
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1993. 5. (平成5年) | カンボジア |
内戦後、初めての総選挙で投票率が約90%となる。
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1993. (平成5年) | シンガポール |
シンガポール創価幼稚園 開園
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1993. (平成5年) | 東京 |
牧口記念会館 開館
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1993. (平成5年) | アマゾン |
「アマゾン自然環境保護センター」内に「アマゾン熱帯雨林再生研究プロジェクト」開始
共催:ブラジルSGI,創価大学自然環境研究センター、アマゾナス州環境科学技術局
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1993. 8. 6 (平成5年) | 軽井沢 |
池田先生が、小説『新・人間革命』の執筆を開始(長野研修道場)
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『新・人間革命』冒頭:
「平和ほど、尊(とうと)きものはない。平和ほど、幸福(こうふく)なものはない。
平和こそ人類の進むべき根本(こんぽん)の第一歩(いっぽ)であらねばならない。」
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1993. 9.26 (平成5年) | アメリカ |
池田先生が、ハーバード大学で2度目の講演(イェンチン・ホール)
テーマ「21世紀文明と大乗仏教」
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1993.11. 1 (平成5年) | ヨーロッパ |
欧州連合(EU)が発足。
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1993.11.15 (平成5年) | 東京 |
プーミポン国王と王妃の日本公式御訪問30周年記念「プーミポン国王御作曲作品の特別演奏会」 (創価大学記念講堂) |
1994. 2. (平成6年) | キューバ領空に入ったアメリカの民間機を、キューバ軍が撃墜 |
1994. 2. 8 (平成6年) | タイ |
プーミポン国王 池田先生 3度目の会見 |
1994. 4. 4 (平成6年) | 東京 | 創立者御夫妻の出席のもと、創価女子短期大学「文学の庭」にて「マリー・キュリーの像」除幕式
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1994. 5. (平成6年) | 東京 |
ローザ・パークス氏が 創価大学を訪問。
創価女子短期大学の卒業生と再会 |
1994. 6. 8 (平成6年) | イングランド ハイグローブ | 池田先生が、チャールズ皇太子と会談(皇太子 私邸) |
1994. 6.15 (平成6年) | スコットランド | 創価大学創立者の池田SGI会長が、英スコットランドの世界的名門・ グラスゴー大学の「名誉博士号」を受章(ビュート・ホール)。
J・フォーブス・マンロー大学評議会議長が、「推挙の辞」を 「池田SGI会長の『滝の如く』の詩」で、朗々と結ばれる。
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1994. 6. (平成6年) | ボローニャ | 池田先生が、ボローニャ大学で、講演。 テーマ「レオナルドの眼と人類の議会 - 国連の未来についての考察」 |
1994. 8.25 (平成6年) | 青森 |
池田先生が、 奥入瀬渓流を訪問
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1994. 8. (平成6年) | 北海道・別海町 |
北海道研修道場内に、トルストイ像が設置。 |
1994.11.23 (平成6年) | 福岡 |
池田名誉会長が出席されて、アジア青年平和文化祭(福岡ドーム)(11.23福岡総県の日) |
1994.12. (平成6年) | 東京 |
池田先生が、モントリオール大学 ギー・ブルジョ博士と対談
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1995. 1.16 夜 (平成7年) | 関西 |
関西21世紀交響楽団 結成
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1995. 1.17 (平成7年) | 日本 |
阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)
震央 淡路島
位置 北緯三四度三六分、東経一三五度二分
震源の深さ 十六キロ
規模「マグニチュード七・三」
「震度七」を記録した地域
神戸市須磨区高取、長田区大橋、兵庫区大海、中央区三宮、灘区六甲道、
東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川等、宝塚市の一部、
淡路島北部の北淡町・一宮町・津名町(現・淡路市内)の一部
死者 六千四百人
負傷者 四万四千人
被災建物 七十万棟
― 気象庁発表 ―
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1995.1 (平成7年) |
今こそ、皆様方は、
勇気を奮い起こして災害の再建に立ち上がり、
その姿を通して、世界を激励してください。
私は創価の女子部の皆様が、この困難な挑戦に対し、
新しい精神で「ウィ・シャル・オーバーカム」(我ら打ち勝たん)と
歌い上げられることを、信じています。
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1995. 2. 2 (平成7年) | 泉州 |
池田先生が、アメリカから関西国際空港を擁する泉州の地へ(2.2「泉州総県女性の日」)
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1995. 2. 4 (平成7年) | 大阪 |
池田先生のご出席のもとに、震災犠牲者の追善の法要(関西文化会館)
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1995. (平成7年) | マレーシア |
マレーシア創価幼稚園 開園
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1995. 3. (平成7年) | 東京 | スザンヌ・ムバラク大統領夫人 創価女子短期大学を訪問。 |
1995. 7. (平成7年) | 東京 |
ネルソン・マンデラ大統領 池田先生と会談(迎賓館)
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1995.8 (平成7年) |
「飛翔会」結成20周年 記念総会
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1995. 9.23 (平成7年) | ドイツ |
ヴァイツゼッカー元大統領が、ライン川の河畔にあるSGIのヴィラ・ザクセン総合文化センターを訪問。
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1995. (平成7年) | 日本 |
日顕が、大客殿を壊す。
from 日蓮正宗問題研究
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1995.10. (平成7年) | 大阪 |
創立者・池田先生が、関西創価学園の金星寮を訪問。寮生・下宿生と懇親会。 「大楠公」「荒城の月」「熱原の三烈士」をピアノ演奏。
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1995.10. (平成7年) | 神戸 |
池田先生ご夫妻が、被災の街に蘇生の灯を点した「希望と勇気のボランティア写真展」へ。 (兵庫文化会館)
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1995.11. (平成7年) | 日本 |
宗教団体と国政を担当するものは別個の存在であるので、
違憲問題は生じない。
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1996. (平成8年) |
沈黙(ちんもく)を
破(やぶ)りて轟(とどろ)く
歌声の
指揮をぞ頼(たの)まむ
池田門下と
池田先生
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1996. 2. (平成8年) |
キューバがアメリカの民間機を撃墜
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1996. 2.11 (平成8年) |
戸田記念国際平和研究所 創立
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1996. 2.21 (平成8年) |
常勝の
先駆を走る
大正区
幸福選手は
世界の模範と
池田先生
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晴れ晴れと
今日も生き抜け
負けるなと
地湧の菩薩に
不幸はなからむ
池田先生
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1996. 3. (平成8年) |
アメリカは、キューバへの経済制裁強化法を成立。
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1996. 5.19 (平成8年) |
万歳を
兵庫の君らに
送るらむ
正義の英雄
君たちなりせば
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悩みをも
また苦しみも
乗り越えて
朗らか選手と
トップを走れや
兵庫男子部万歳
池田先生
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1996. 6. 7 (平成8年) | デンバー |
池田先生が、デンバー大学副学長のベッド・ナンダ博士の自宅を訪問。ナンダ博士一家と懇談。
懇談の最後に「大楠公」の曲をピアノ演奏。
ベッド・P・ナンダ
アメリカ・デンバー大学の副学長。世界的な国際法学者。1934年、インド・グジランワラ生まれ(現在はパキスタン)。世界法律家協会の会長、
国際刑事裁判所設立プロジェクトの顧問、アメリカ人権学会諮問委員、国連協会世界連盟評議会副議長などを歴任。
核兵器の使用や威嚇の違法性の是非を問う「世界法廷プロジェクト」を推進した。国連協会人権賞、世界法学者賞等を受賞。池田名誉会長
と語らいを重ね、対談集「インドの精神-仏教とヒンズー教」を発刊している。
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1996.6.8 (平成8年) | デンバー |
デンバー大学から、池田先生に「名誉教育学博士号」が授与。 |
1996.6.17 (平成8年) |
池田先生が、キッシンジャー元国務長官と会談。 |
1996. (平成8年) | クリチバ市 | 牧口常三郎公園がオープン |
1996. 6.25 (平成8年) | キューバ | 池田先生が、ハバナ大学 アウラ・マグナ(大講堂)で講演。 テーマ「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」 |
1996. 6.25 (平成8年) | キューバ | 池田SGI会長 カストロ国家評議会議長 会見 |
1996. 6.26 (平成8年) | コスタリカ | 池田先生が、コスタリカ初訪問 |
1996.11.17 (平成8年) | 日本 |
池田先生ご夫妻が「関西スピリット賞」第1号・第2号のメダルを胸に記念のカメラに
(東京牧口記念会館) |
1997.1.26 (平成9年) | 仙台 |
東北国際女性会館が完成(1.26 東北女性の日) |
1997. (平成9年) | 韓国 |
「聖教タイムズ」が「和光新聞」に。(韓国SGIの機関紙)
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1997. 9. (平成9年) | 日本 |
民音創立者の池田名誉会長が、開館したばかりの民音文化センターを訪問。
祈 世界一の発展
祈 芸術運動の先駆
祈 人間文化の夜明け
池田先生
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1997.10.18 (平成9年) | インド |
インド独立50周年を慶祝「日印友好文化祭」
(ニューデリー シュリ・フォート・オーディトリアム) |
1997.10.20 (平成9年) | インド |
池田SGI会長が、グジュラール首相と会見
(ニューデリー・首相官邸)。
私たちがやっていることは、すべてマハトマ・ガンジー(師匠)から学んだことです。
グジュラール首相(弟子)
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インデール・クマール・グジュラール
1919年、英領インドのパキスタン地方(現・パキスタン)に生まれる。
1947年、分離・独立に伴い、一家でインドに移住
1964年、上院議員に初当選
インディラ・ガンジー政権のブレーンとして活躍。議会担当相、通信相、外相を経て、第15代首相(1997~98年)。
退任後、国際NGO(インタープレス)で国際評議員等を務める。作家・詩人としての活躍も目覚ましい。
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1997.10.22 (平成9年) | インド |
池田先生が、ナラヤナン大統領と会談(大統領府) |
1997.11.18 (平成9年) | 大阪 |
池田先生が、出席されて「第17回世界青年平和文化祭」
(大阪ドーム)
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1997.11.20 (平成9年) | 大阪 | ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領夫妻が、関西創価学園を訪問。 |
1998. 3.18 (平成10年) | 東京 | 趙文富 韓国国立済州(チェジュ)大学総長から池田先生に 「トルハルバン」(石のおじいさん)の像が贈られる。 |
1998.4.22 (平成10年) | 東京 |
中国の胡錦濤副主席が、 池田先生と2度目の会見。 |
1998. (平成10年) | 東京 |
創価女子短期大学生の代表が、キュリー夫人の令孫 核物理学者の エレーヌ・ランジュバン・ジョリオ女史と会談。 |
1998. (平成10年) | 日本 |
日顕が、800万人の真心で建立した「正本堂」を破壊。
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1998.10 (平成9年) | 東京 |
池田SGI会長がインドのグジュラール元首相、シーラ夫人を歓迎。「インド独立の
父」マハトマ・ガンジーを師匠と仰ぐ元首相と「師弟の精神」をめぐり語り合う(東京牧口記念会館)
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1998.11.7 (平成10年) | 日本 |
「公明」と「新党平和」が合流して、新しい現在の「公明党」が結成 |
1998.12. 5 (平成10年) | 東京 |
池田先生が出席されて「第2東京大文化祭」(12.5 第2総東京青年部の日) |
1999. 5.17 (平成10年) | 韓国 | 韓国国立済州(チェジュ)大学総長から池田先生に名誉博士号が授与 |
1999. 5.18 (平成10年) | 韓国 | 池田SGI会長が、韓国SGI本部を初訪問 |
1999. 5.26 (平成10年) | 豊中市 |
池田先生が「威風堂々の歌」の指揮を執られる
第3回関西青年部総会
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1999. (平成10年) | 韓国 |
SGI平和道峰公園 開園(道峰区) |
1999. 7. (平成10年) | 日本 |
宗教団体が支援している政党が政権に参加しても、そのことによって直ちに
憲法が定める政教分離の原則にもとる事態が生ずるものではない
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1999.10. (平成10年) | カンボジア政府から、創価学会に「建国貢献・金メダル」が贈られる。 |
1999.10. (平成10年) | 日本 | 公明党が、連立政権に参加 |
1999.12. (平成10年) | 日本 |
宗教団体と密接な関係にある政党の候補者が、当選し、国政を
担当するにいたる場合でも、憲法上、問題を生ずるものことはない
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2000. 2.10 (平成12年) | 沖縄 |
池田先生が ジョセフ・ロートブラット博士と再会 |
2000. 2.28 (平成12年) | 神戸市 | 関西創価学園生の集いに池田先生ご夫妻が出席(兵庫文化会館) |
2000. 4. (平成12年) | カンボジア |
「SGIカンボジア」が宗教省から、仏教団体として正式に法人認可。 |
2000.11.25 (平成12年) | 日本 |
関西男声合唱団が、第53回全日本合唱コンクール全国大会で金賞 受賞 |
2001.5.3 (平成13年) |
ついに来(き)ぬ
我等の指標の
新世紀
五月の三日の
この日 この時
池田先生
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栄光に
五月三日は
輝けり
創価の勝利は
未来へ 世界へ
池田先生
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共々に
五月三日を
迎えたり
断固と勝ちたり
広布の戦士は
池田先生
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光輝なる
世紀の山を
雄然と
ついに登攀
握手と 握手よ
池田先生
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千万の
同志の雄叫(おたけ)び
世界まで
喜び 響かむ
無量の功徳は
池田先生
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2001. 5. (平成13年) |
アメリカ創価大学 開学
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2001. 6. 2 (平成13年) |
福建師範大学から、池田SGI会長ご夫妻に「名誉教授」称号が授与。
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2001. 6. (平成13年) | ブラジル |
ブラジル創価幼稚園 開園 |
2001. 9.11 (平成13年) | アメリカ |
同時多発テロ事件が発生。
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2001.秋 (平成13年) | 沖縄 |
ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が、沖縄を訪問 |
2002. 2.29 (平成14年) | 長田区 |
池田先生が「大楠公」の曲をピアノ演奏(長田文化会館「常勝の間」)
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2002. 3. (平成14年) | プノンペン |
池田先生に、カンボジア王立プノンペン大学から「名誉教授」称号が授与。
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2002. 4. (平成14年) | プノンペン |
カンボジア文化会館が落成。
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2002. 5. (平成14年) | 大阪 |
池田先生が、常勝関西青年部総会の意義を兼ねた本部幹部会で
「威風堂々の歌」の指揮を執られる。
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2003. (平成15年) |
EU が「マリー・キュリー賞」を創設。 |
2003.2.8 (平成15年) | 兵庫 |
「ガンジー・キング・イケダ - 平和建設の遺産」展
(2003.2.8~4/6 関西国際文化センター)
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2005. (平成17年) |
アメリカ創価大学が「アメリカ西部大学基準協会」から正式認可
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2006. 1.10 (平成18年) | 創価女子短期大学歌「誉れの青春」が発表
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2006.3. (平成18年) | 日本 |
池田先生が、本部幹部会の席上 堺総県の友がお届けした
「師弟勝利の銅鑼」を高らかに打ち鳴らされる
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2006. 5. 8 (平成18年) | 埼玉 | 池田先生ご夫妻が、埼玉池田研修道場を初訪問 (5.8「常勝埼玉師弟の日」)
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2006.11. (平成18年) | フランス | 「マリー・キュリーの記念コイン」(20ユーロの金貨・銀貨)が発行。
(1906年11月 キュリー夫人が亡き夫ピエールに代わり、 女性で初めてパリ大学の教壇に立ってから100周年を記念)
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2006.11.24 (平成18年) | 東京 |
師匠・戸田城聖先生の夢の実現へ奔走 フィリピンと日本の国交正常化50周年。
フィリピン国立リサール・システム大学から 弟子・池田大作先生に
外国人初の「名誉人文学博士号」が授与。
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2007.1.17 (平成19年) | 東京 |
池田SGI会長が 香港中文大学 劉遵義学長一行を歓迎
香港中文大學校長劉遵義與池田大作國際創價學會會長會談
國際創價學會 2007.1.17
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2007.4.12 (平成19年) | 東京 |
池田先生が、中国の温家宝総理と会見
温家宝会见日本创价学会名誉会长
国际在线 2007.4.12
中国国务院总理温家宝在东京会见日本创价学会名誉会长池田大作
新华网 2007.4.12
温家宝会见日本创价学会名誉会长
深圳新闻网 2007.4.13
中國國務院總理溫家寶在東京會見日本創價學會名譽會長池田大作
中國網,網上中國 2007.4.13
温家宝総理から池田先生に
赠池田先生
慈航创新路
和谐结良缘
温家宝 二〇〇七年四月
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との自筆の書が贈られる。
2007.4.12
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「慈悲の航海で新たな道を創造し、
調和は良縁を結ぶ」
「The voyage with compassion
creates new routes.
A harmonious world
helps form good ties.」
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池田先生から温家宝総理へ
赠温家宝总理
春风应时樱缤纷
春霖迎来一贵人
融雪冰泳志坚定
温文儒雅又亲民
知难不难迎难上
言信承诺行必果
同一世界同一梦
和谐社会喜春晖
池田大作 二〇〇七年四月十三日
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との返詩が贈られる。
2007.4.13
聖教新聞 2007.4.14
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2007.5.19 2007.5.20(平成19年) | 東北 |
聖教文化講演会が、青森文化会館(5月19日)と東北研修道場(5月20日)で行われ、
英スコットランドの世界的名門・グラスゴー大学の
J・F・マンロー博士が 「滝の詩にみる池田SGI会長の足跡 グラスゴー大学名誉学位の精神」と題し講演。
J・フォーブス・マンロー
グラスゴー大学名誉教授。アフリカ経済史研究で英国の第一人者。1940年、スコットランド生まれ。
グラスゴー大学の社会学部長、評議会議長など歴任。著書に「アフリカ経済史」(北川勝彦訳、ミネルヴァ書房)ほか。
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1994年6月に池田先生はグラスゴー大学を訪問され、名誉博士号を受賞されました。式典で私は、大変光栄なことに
推挙の辞を述べさせていただきました。その際、先生の膨大な著作の中から、奥入瀬の滝の詩を引用させていただきました。
この詩を引用したのは、池田先生の人格をもっとも正しく表していると思ったからです。たくさんの詩を読むなかで、
この滝の詩に出会い、とても勇敢で、継続的な努力を惜しまず、勇気を持って進まれる池田先生のイメージに
ぴったりだと思いました。
それとともに、あの滝の詩には、私自身の心にある故郷のイメージ、自分の少年時代を表すイメージが含まれていたのです。
私の生まれ故郷であるスコットランド北部は、ハイランドと呼ばれる高地地方で、青森とよく似た風土です。山や谷、
川があって、歴史的な城や街がある。当然、滝もあります。子どものころ、家族や友人と、
ロギーという滝の出かけました。太平洋から産卵のために鮭が上がってきて、ダイナミックな姿を見せるのです。
それが子どものころに見た川であり、滝の姿でした。
初めて滝の詩を引用したときは、先生にぴったり合うと思っただけでしたが、今考えてみると、自分の
子どものころから見てきたイメージとも合致し、家族やルーツ、地域社会といったものが、すべて表現されている
と感じました。
池田先生が、奥入瀬の滝を訪問され皆さんに贈られたメッセージも、皆さんの故郷や地域、ルーツについての
気持ちを表しているのではないかと思います。
聖教新聞 2007.5.31
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2007. 6.11 (平成19年) | 東京 |
池田大作與戈爾巴喬夫會談(9度目)
..................................................................................
池田大作與戈爾巴喬夫會談
國際創價學會
..................................................................................
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DAISAKU IKEDA (池田大作) | Mihairu Gorbachev (ミハイル・S・ゴルバチョフ) |
仏教思想家
哲学者
教育者
社会活動家
作家
桂冠詩人
世界桂冠詩人
世界民衆詩人
世界平和詩人
写真家
世界的文化人
国際人道主義者
創価学会名誉会長
創価学会インタナショナル会長
等等。
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ミハイル・セルゲービッチ・ゴルバチョフ
(1931 ~)
ロシア生まれ
モスクワ大学卒業
1985.ソ連共産党書記長に就任
国内ではペレストロイカ(改革)外交では「新思考」を掲げて
東西冷戦を終結に導いた。
1990.初代大統領
1990.ノーベル平和賞受賞
1991.12. ソ連解体とともに大統領を辞任。
グリーンクロスインターナショナル会長
ゴルバチョフ財団総裁
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2007.11.08 (平成20年) | 大阪 |
池田SGI会長が出席されて、11・18「創価学会創立記念日」を祝賀する新時代第12回本部幹部会
第32回SGI総会、関西広布55周年記念の広布第2幕第1回関西総会
(関西池田記念会館)
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2008.3. (平成20年) | ソウル |
朝鮮戦争(韓国戦争)の休戦から55年、韓国のソウルに、世界で六番目となる 「創価の人間教育」の幼稚園「幸福幼稚園」が開園
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2008.5.08 (平成20年) | 東京 |
中国の胡錦濤国家主席が、 池田先生と3度目の会見。 |
2008.6.25 (平成20年) | ワシントンDC |
アメリカSGIの「ワシントンDC文化会館」 の開館式
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