paz, cultura educação
平和 文化 教育
Peace, Calture and Education
師弟勝利の中之島    


全日本合唱コンクールで金賞の実績を誇る 音楽隊の関西男声合唱団は
阪神大震災後 被災地に勇気と希望を贈る「あっとほーむコンサート」を開催している。

音楽隊のマーチングバンド「創価ルネサンスバンガード」は 1994年の「全日本マーチングバンド・バトントワリング全国大会」 で初優勝。以来、全国大会で 4連覇を含む 史上最多8回の「内閣総理大臣賞」に輝き、 日本を代表するマーチングバンドとして評価されている。

音楽隊「創価グロリア吹奏楽団」「関西吹奏楽団」は「全日本吹奏楽コンクール」で、 2006年まであわせて 7年連続の「金賞」(日本一)に輝いた。

日本で2万人のメンバーを擁し、SGIの26ケ国・地域にも広がる 鼓笛隊。1981年 モスクワ大学で行われた 「日ソ学生友好の集い」など海外で演奏したのをはじめ、全国各地の伝統的な祭典やフェスティバルなど 年間 50ケ所以上でパレードを開催。幅広い文化交流に多くの共感の声が寄せられている。

音楽隊・鼓笛隊の5団体が16日、さいたまスーパーアリーナで行われた第35回「マーチングバンド・バトントワリング全国大会」(2日目)に出場した。 (主催=日本マーチングバンド・バトントワーリング協会)。このうち、音楽隊「創価ルネサンスバンガード」が、一般の部・マーチングバンド部門(大編成)で、9度目となるグランプリ「内閣総理大臣賞」に!鼓笛隊「創価グランエスペランサ」が、カラーガード部門で、4年連続の「金賞」に輝いた。

関西21世紀交響楽団が 11日、奈良・橿原市の かしはら万葉ホールで「ふれあいコンサート」を開催した。

第60回「全日本合唱コンクール全国大会」(主催=(社)全日本合唱連盟、朝日新聞社)が、10、11の 2日間、上野の東京文化会館で行われた。2年ぶり2回目の出場となった音楽隊の「しなの合唱団」(11日、 一般部門Bグループ)が、見事「金賞」に輝いた。

関西21世紀交響楽団の第13回定期演奏会が14日、兵庫・尼崎市総合文化センターのアルカイックホールで開催された。 これは、阪神・淡路大震災の復興支援の意義を込め、毎年行われている。

聖教新聞 2007.11.13 、11.5 、12.17、2008. 1.15


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師弟勝利の銅鑼

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ミラノ「スカラ座」日本公演
招聘 (財)民主音楽協会 1981.9上野 東京文化会館




50周年記念 (2007年)


戸田城聖創価学会第2代会長
原水爆禁止宣言
50周年(2007年)
www.joseitoda.org
 
パグウォッシュ会議の
ジョセフ・ロートブラット博士と50年 (2007年)

Pugwash Online


the Declaration Against Nuclear Weapons
by Josei Toda(www.joseitoda.org)
(原水爆禁止宣言)
the Russell-Einstein manifesto
(ラッセル=アインシュタイン宣言)




原水爆禁止宣言 戸田城聖創価学会第2代会長

1957.9.08 日本 横浜 三ツ沢公園陸上競技場



the Russell-Einstein manifesto - ラッセル=アインシュタイン宣言
(核戦争による人類の絶滅を避けるために戦争廃絶を訴えた宣言)

1955.7.09 ロンドン
Albert Einstein 1875-1955(アルバート・アインシュタイン)
Bertrand Russell 1872-1970(バートランド・ラッセル)
Joseph Rotblat 1908-2005(ジョセフ・ロートブラット)
Linus Pauling 1901-1994(ライナス・ボーリング)
Max Born(マックス・ボルン)
Percy W.Bridgman(パーシー・ブリッジマン)
Hideki Yukawa(湯川秀樹)
Leopold Infeld(レオポルト・インフェルト)
Cecil Frank Powell(セシル・パウエル)
Frederic Joliot Curie(ジョリオ・キュリー)
Hermann J Muller(ハーマン・J・マラー)





池田大作/ジョゼフ・ロートブラット 共著
Daisaku Ikeda/Joseph Rotblat

地球平和への探求
(A Quest for Global Peace)

潮出版社 2006.




池田大作/ライナス・ポーリング 共著
Daisaku Ikeda/Linus Pauling

「生命の世紀」への探求
読売新聞社 1990.

DAISAKU IKEDA
(池田大作)
Linus Pauling(1901~1994)
(ライナス・ポーリング)
仏教思想家
哲学者
教育者
社会活動家
作家
桂冠詩人
世界桂冠詩人
世界民衆詩人
世界平和詩人
写真家
世界的文化人
国際人道主義者
創価学会名誉会長
創価学会インタナショナル会長
等等。
アメリカ オレゴン州生まれ
オレゴン農科大学卒業
カリフォルニア工科大学教授
スタンフォード大学教授
アメリカ科学会会長
ライナス・ポーリング科学・医学研究所理事長
1954. ノーベル化学賞受賞
1962. ノーベル平和賞受賞






1222. 2.16
(貞応元年)
日本日蓮大聖人 御生誕
1253. 4.28
(建長5年)
安房国
(千葉県南部)
清澄寺
日蓮大聖人 立宗宣言
1257.8.
(正嘉元年)
鎌倉 鎌倉一帯を大規模な震災が襲う
(「正嘉(しょうか)の大地震」)
1260. 7.16
(文応元年)
日本
日蓮大聖人が国主諌暁の書である「立正安国論」を
時の最高権力者・北条時頼に提出
(日蓮大聖人 39歳)

1260. 8.27
(文応元年)
鎌倉
日蓮大聖人 松葉ヶ谷の法難

(鎌倉・松葉ヶ谷の草庵を、武装した念仏者らが襲った事件)

1261.5
(弘長元年)
鎌倉
日蓮大聖人 伊豆流罪

(念仏者の讒訴によるもの)

1264.11.11
(文永元年)
日本
日蓮大聖人 小松原の法難

(安房(あわ)国(千葉県南部)長狭(ながさ)郡(ごおり)東条郷(とうじょうのごう)の
地頭 東条景信(かげのぶ)らに襲撃され、頭(こうべ)に傷を受け、左手を折られた。)

1265.5月
~6月頃
フィレンツェダンテ生誕
1268.
()
日本 蒙古から、鎌倉に国書が届く。
1271.9.12
(文永8年)
日本
日蓮大聖人 竜の口の法難

(幕府の権力者らが策謀をめぐらし、鎌倉の竜の口で首を斬ろうとした事件
だが、失敗し、幕府は、大聖人を佐渡流罪にした。)

1271.10.10
(文永8年)
日蓮大聖人 佐渡に向けて出発
1272.2.11
(文永9年)
佐渡
過去の宿縁追い来たって
今度日蓮が弟子と成り給うか
釈迦多宝こそ御存知候め
「在在諸仏土常与師倶生」 よも嘘事候はじ

日蓮大聖人
(「生死一大事血脈抄」(御書 1338ページ))

1274. 3.13
(文永11年)
日蓮大聖人 佐渡の一谷(いちのさわ)を出発。
1274. 3.26
(文永11年)
日蓮大聖人 鎌倉に到着。
1276.1.11
(建治2年)

今年は殊に仏法の邪正たださるべき年か

日蓮大聖人
(「清澄寺大衆中」 (御書 893ページ))

1279.
(弘安2年)

熱原の法難

創価学会歌

熱原の三烈士

作詞 : 山本伸一
作曲 : 杉野泰彦
歌詞 :

富士の裾野の朝ぼらけ
若葉の露は彩なして
潤井の川のせせらぎに
雲雀(ひばり)の声にも児は舞いて
かくものどかな今朝の村

時末の世か水濁り
仏法(おしえ)の乱れは麻に似て
民の恨みも悲しけれ
熱原の郷百姓に
若き丈夫愁いあり

その名熱原神四郎
弟弥五郎  弥六郎
求道(もと)めし日々は浅けれど
清き血潮の布教(みち)進む
栄えの生命の法讃歌

誉れの優勢  口惜しさに
膏油(こうゆ)煮え立ち喘ぎ立ち
障魔の権力(ちから)は卑劣にも
和合の綱に手を伸ばし
攪き乱さんと仇心

諸行無常の鐘やみて
常楽我浄の風吹けば
ああ神四郎その兄弟(ともら)
淋しく法戦消え去りぬ
繁れる法庭(にわ)の杉木立

生死流転の神四郎
桜の花に吹く風に
あれよ広布の鑑よと
その名かんばし熱原の
烈士の命  誉れあり

1279.10.12
(弘安2年)
日蓮大聖人 一閻浮提(いちえんぶだい)総与(そうよ)の大御本尊を御図顕。
1282.10. 8
(弘安5年)

日蓮大聖人 滅不滅の御入滅

(弟子・日興上人:37歳(数え年))

1284.10. 8
(弘安7年)
師匠・日蓮大聖人の3回忌(弟子・日興上人以外の五老僧 日蓮大聖人の墓所を訪れず)
1285.
(弘安8年)

五老僧が「天台沙門(天台の一門)」を名乗り出す。

日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、
大聖人の御名前を改めて天台の弟子と号し、
自らの住坊を破却されようとする時、天台宗を行じて
祈祷をするという申状を捧げることによって
破却の難を免れたのである

日興上人

1285.冬
(弘安8年)
霜月騒動 (平左衛門尉が安達泰盛をクーデターにより滅ぼす)
1293.
(正応6年)
平左衛門尉一族が、執権・北条貞時に滅ぼされる
1321.9月ラヴェンナダンテ 逝去
1333. 2. 7
(正慶2年)
日本
日興上人 逝去

未だ広宣流布せざる間は身命を捨て、
随力弘通(ずいりきぐつう)を致す可き事
日興上人
(日興遺誡置文「二十六箇条」御書 1618ページ)

1336.
(建武3年)
日本楠木正成(くすのきまさしげ)が足利尊氏(あしかがたかうじ)の上洛を防ぐため湊川の戦いに赴く
1513.9.25パナマ バルボアがパナマの地の壮大な展望広がるクアレクアーの山頂に立つ。
彼方に銀色に輝く海原を眺望。太平洋を発見
1560.5.19
(永禄3年)
日本 「桶狭間の戦い」
(織田信長が今川義元の大軍を破る)
1561.9.
(永禄4年)
日本 「川中島の戦い」
(武田信玄と上杉謙信との戦い)
1572.12
(元亀3年)
日本
「三方ケ原の戦い」
(徳川家康が、武田信玄に完敗)

................。
家康にとって、生涯ただ一度の負け戦 - それは、信玄と覇を争った元亀3年(1572年)12月の三方ケ原の戦いであった。
兵力の上でも劣っていた家康の軍は、周到な計画と万全の態勢で臨んだ武田軍に完敗。敗走中に家康が失禁したとのエピソードも伝わるなど 、完膚なきまでの敗北であった。
噂以上の信玄の兵略に、家康は舌を巻いたに違いない。
のちに、かの勝海舟が "信玄の兵法は、欧州の戦術と酷似している" といったほど、その戦法は優れたものだった。 以来、家康は信玄の軍学を自らのものとしながら、戦国の世を勝ち抜き天下をとった。そして265年にも及ぶ徳川幕府の基(もとい)を 築いたのである。

敗北が、次の勝利への因となる場合がある。反対に、勝利の時に敗北の原因をつくることも多い。 家康は、三方ケ原の戦いで信玄に敗れた。しかし、そこから信玄の兵法を学び、最後は天下人としての大勝利を得た。 つまり、自らの大敗を、より大きな勝利への原動力とすることができた。 ここに、家康の指導者としての度量の大きさがうかがえる。
...................。

- 中部代表記念幹部会での池田先生のスピーチより -
(昭和62年)

1573.
(天正元年)
日本 武田信玄 病死(53歳)
1575.5.
(天正3年)
日本
「長篠の戦い」

上洛の途次にあった、武田勝頼の率いる武田軍が、三河長篠で、織田信長と徳川家康の連合軍と
戦い、大敗を喫する。そのさい、信長が鉄砲による攻撃を巧みに行い、
騎馬と長槍の武田軍を徹底的に破る。

1596.3.31フランス
デカルト 生誕



彼が生まれたのは、一五九六年三月三十一日、フランス中部・トゥレーヌ州の小さな町ラ・エーである。 父は高等法院の評定者(裁判官)で、デカルトは、その次男として生まれた。しかし、母は、彼を出産して数日後に他界。一説によれば、翌年ともされるが、ともあれ、彼は幼くして母を失った。

古今東西、幼くして、母親を亡くした偉人は多い。トロイ遺跡の発掘で有名なシュリーマンは、九歳で母を失った。

また、主著「種の起源」で十九世紀の科学界に大変革をもたらしたダーウィンは八歳、 更にリンカーンは九歳、キュリー夫人は十一歳、 イギリスの哲学者で平和運動家でもあったラッセルは二歳で、 それぞれ母親を亡くしている。

- 第7回未来会総会での池田先生のスピーチより -

1749. 8.28フランク
フルト
ゲーテ 生誕
1755.モスクワ
モスクワ大学 創立

戦いの数と、おさめた勝利の数を等しくして、生涯を戦場に生きる戦人(いくさびと)は、大いなる賞讃に値(あたい)する。

モスクワ大学 創立者 ロモノーソフ

1770.ドイツベートーヴェン 生誕
1775.4.ボストン近郊
ボストン近郊(コンコード、レキシントン)で植民地軍とイギリス正規軍との戦いが始まる
ミニットマン達が先駆を切って出動



.........。「自由への戦い」への火ぶたを切ったミニットマン。
そのほとんどは10代、20代の青年であった。
一つの資料を紹介すれば、コンコードにいた約百人のミニットマンの年齢は「21歳未満」が30%、 「21~24歳」が28%、「25~29歳」が14%だったという。
すなわち10代、20代だけで70%以上を占めていたのである。
...........................。

- 第1回NSA各部合同研修会での池田先生のスピーチより -

1776.7.4フィラデルフィア アメリカの「独立宣言」が採択
1787.フィラデルフィア アメリカ合衆国「憲法」が発布
1789.7.14フランス
パスチーユ監獄の襲撃から、フランス革命が始まる



..........................。貧しい小間物商であったルグロ夫人は、平凡な日々の暮らしであった。しかし、 彼女はある日、偶然にある一通の手紙を拾う。...........................。" どうしてあげられるか " " こうしてあげたい " と一歩行動を起こすことのできる人は あまりにも少ない。ましてや、その行動が多くの苦難を伴い、自分の立場を 危うくするものであればなおさらである。

しかし、ルグロ夫人は、その苦難の一歩を踏み出した。
...........................。

- 東北・各部合同研修会での池田先生のスピーチより -

1808.ウィーンベートーヴェン第5交響曲「運命」が初演
1809.2.12アメリカ アメリカの第16代大統領 エイブラハム・リンカーン 生誕
1821.4.9フランス
シャルル・ボードレール生誕



姿は素朴、顔はやさしく
水の流れるように透明で また清らかで
大空の青さの如く 小鳥の如く 花の如く
無関心でありながら
全てのものに 薫(かお)りと 歌と 快い熱とを灑(そそ)ぐ
神聖な青春に

フランスの詩人 シャルル・ボードレール
(創価中学・高校第17回卒業式で創立者 池田先生が紹介された一節)

1823.6.師匠・ゲーテと弟子・エッカーマンが出会う
(ゲーテ73歳 エッカーマン30歳)
1828. 9.9
(ユリウス暦
8.28)
ロシア 文豪 レフ・トルストイ 生誕(トゥーラ州 ヤースナヤ・ポリャーナ)
1830. 8.
(天保元年)
日本
幕末の思想家 吉田松陰 生誕

一言するときは必ず温然(おんぜん)和気(わき)婦人(ふじん)好女(こうじょ)の如し。是れが気魄(きはく)の源(みなもと)なり

幕末の思想家 吉田松陰
(山口県教育会編「吉田松陰全集第9巻」岩波書店)

1830.7フランス フランス大革命
1835.11.25スコットランド
鉄鋼王 アンドリュー・カーネギー 生誕

この人物は何も内容がない。なにもせず、ただ偶然の機会によって、借り物の羽根を頭に飾って、 威張って闊歩しているにせ物なのだ

鉄鋼王 アンドリュー・カーネギー
(坂西志保訳「カーネギー自伝」中公文庫)


大統領は政治家としてアメリカの最高の地位にある人だし、君は職工としてアメリカ最高の地位にある人だ。
同一の待遇を受けるのに何の遠慮がいろう。

鉄鋼王 アンドリュー・カーネギー
(「下村湖人全集5」国土社)


1839. 8.
(天保10年)
日本 高杉普作 生誕
1847.2.11アメリカ 発明王 トーマス・エジソン 生誕
1857.秋頃
(安政4年)
日本 師匠・吉田松陰(しょういん)の開いた松下村塾(しょうかそんじゅく)に、弟子・高杉普作(しんさく)が入門。
(吉田松陰:28歳 高杉普作:19歳)
1859.7
(安政6年)
江戸 吉田松陰が投獄される。
1859.
(安政6年)
日本 獄中の師匠・吉田松陰をお守りせんと、弟子・高杉普作が一心不乱に奮闘。
1859.10
(安政6年)
高杉普作が、藩命(はんめい)により萩へ向かう。
1859.
(安政6年)
江戸 吉田松陰 刑死 (享年30歳)
1859.アメリカジョン・デューイ生誕
1863.
(文久3年)
若林村 師匠・吉田松陰の墓を、弟子・高杉普作が、罪人用の小塚原から、
若林村(現在の世田谷区内) のよき地に改葬。
1864.3.
(元始元年)
日本
高杉普作が、師匠・吉田松陰と同じ「野山獄(のやまごく)」に投獄される。

先生を

慕(した)うて漸(ようや)く

野山獄

弟子・高杉普作

1864.
(元始元年)
下関 高杉普作が、わずか80人ほどの無名の兵士たちを率いて「奇兵隊」を結成。
1865.フィレンツェダンテ生誕600年祭。
1866.
(慶応2年)
日本 高杉普作の陣頭指揮の中、長州は幕府軍に勝利。明治維新へ。
1867.
(慶応3年)
日本 気象学者 野中(のなか)到(いたる) 生誕
1867.4.
(慶応3年)
日本 高杉普作 病死。(享年29歳)
1868.
(慶応3年)
日本 明治維新
1867.11, 7ワルシャワマリー・キュリー 生誕
1871. 6. 6
(明治4年)
日本創価教育の父 牧口常三郎創価学会初代会長 生誕
1875.4.23
(明治8年)
日本日本を代表する女性画家、上村(うえむら)松園(しょうえん)画伯 生誕
1880. 6.27ヘレン・ケラー 生誕
1887.ヘレン・ケラーがサリバン先生と出会う
1889.
(明治22年)
牧口先生が北海道尋常師範学校に「第一種生」として入学
1893.
(明治26年)
牧口先生が北海道尋常師範学校の訓導(教師)に。
1894.11.27
(明治27年)
和歌山県 経営の神様・松下幸之助先生 生誕
1895. 2.
(明治28年)
気象学者 野中到が厳冬の富士山の初登頂に成功。 (不可能を可能にした登山史の大記録)
1895. 7.26
(明治28年)
ピエールとマリーが結婚
1895.夏
(明治28年)

気象学者・野中到が私財をなげうって、富士山頂に小さな観測所(六坪)を建て、
危険を承知で、冬の気象観測を開始。

高層気象観測は至難の業(わざ)である。しかし、わずかなりとも、この学術の 進歩のため、国のための助けとなりたい。
小さな観測所を建て、烈(はげ)しい風と堅き氷のなか、観測を 試みて、いささかでも、志(こころざし)ある人々の奮起を促したい

気象学者 野中到

1895.10.
(明治28年)
野中千代子(気象学者・野中到婦人)が、富士山頂に登頂。
夫妻による歴史的な気象観測が始まる。
1896.
(明治29年)
牧口先生が、文部省検定試験の地理科に合格 中等学校地理科の教員免許状を取得
1898.
(明治31年)
詩人 土井晩翠 作詩「 星落秋風五丈原」が発表
1900. 2.11
(明治33年)
石川県
加賀市
戸田城聖第2代創価学会会長 生誕
1900. 7.4
(明治33年)
石川県
加賀市

日本の物理学者 中谷(なかや) 宇吉郎(うきちろう)博士 生誕

先生(恩師の寺田(てらだ)寅彦(とらひこ)博士)の如き人こそ われ等が同時代に生れた光栄を喜ぶべき第一の人であろう

日本の物理学者 中谷宇吉郎博士
(「中谷宇吉郎随筆選集第1巻」朝日新聞社)

1902.ピエールとマリーが、ラジウム塩の抽出に成功
1903.
(明治33年)
ピエールとマリーが、フランスの物理学者アンリ・ベックレルとともにノーベル物理学賞 受賞
1903.12.17
(明治33年)
アメリカ
ライト兄弟が、人類で初めて動力(エンジン)付飛行機による有人飛行に成功。

..................................。ライト兄弟の兄ウィルパーの言葉を紹介したい。
「一人の人間が、直接できることには限りがある。
しかし、一人が10人を奮い立たせ、共に行動してくれるようになれば、それは、すでに偉大なことを成し遂げたことになる」..................................。

- 新時代第34回本部幹部会第34回SGI総会での池田先生のスピーチより -

1903.6.22
(明治33年)
日本作家・山本周五郎(しゅうごろう) 生誕
1903.10.15
(明治33年)
日本牧口常三郎先生が「人生地理学」を出版。
1905.アルバート・アインシュタイン博士が「特殊相対性理論」を発表
1905.
(明治38年)
東京
..................................。1905年(明治38年)、孫文先生は、ここ東京で、水の流れの如く、静かに、また たゆみなく、人材を結集し、 歴史的な中国革命同盟会を結成された。革命の一つの原点を日本でつくられたのである。
その同じころ、若き牧口先生は、中国の留学生のための学校「弘文(こうぶん)学院」で教鞭をとっておられた。牧口先生は、孫文先生より5歳若く、この時、34歳。この学校には孫文先生の同盟会に身を投じた青年も学んでいた。
牧口先生の授業に感銘した留学生が、のちに「人生地理学」の講義を翻訳して中国で出版したというエピソードも伝えられている。..................................。

- 中山大学名誉教授称号受章式での池田先生のスピーチより -

1909.2.28富山県東京富士大学創立者 高田勇道先生のお誕生日
1912.
(大正元)
日本牧口先生が、「教授の統合中心としての郷土科研究」を発刊
1913.2.4
(大正2)
アメリカの人権の母 ローザ・パークスさんのお誕生日
1913.
(大正2)
牧口先生が、東京市東盛尋常小学校校長兼下谷第一夜学校校長に就任
1913.
(大正2)
アフリカ
シュバイツアー博士が、医師・伝道師としてアフリカに渡る。



............。彼(シュバイツアー博士)は、いつも「自分がどんな病気にかかろうと、一番いい薬は、 すべき仕事があるという自覚にユーモアの感覚を融合したものである」と信じて いたという。

- 第13回転輪会総会での池田先生のスピーチより -

1915.
(大正4)
池田先生の、お父さんとお母さんが結婚。
1916.アルバート・アインシュタイン博士が「一般相対性理論」を発表
1919.
(大正8)
牧口先生が、西町尋常小学校校長に就任
1920.
(大正9)
師匠・牧口先生と弟子・戸田先生が、出会う。
1920.4.11
(大正9)
日本
日に日に向上して、心に笑(ほほえ)む可(べ)きのみ
------------------------
運命も自己(じこ)自(みずか)ら 開拓(かいたく)せざれば、鍵(かぎ)開(ひら)きて来(きた)る可(べ)き筈(はず)はあらざるなり

(自分が心から納得し、満足できるよう、日々成長していこう。わが運命の扉は、自分自身が切り開かなければ 決して鍵が開くことはない。)

戸田先生(20歳)

1921.アルバート・アインシュタイン博士が、ノーベル物理学賞 受賞
1922.11.19
(大正11)
師匠・牧口先生と弟子・戸田先生が、アインシュタイン博士の「相対性理論」の講演に参加(慶応大学)
1922.12
(大正11)
宮城県アルバート・アインシュタイン博士 土井晩翠 会談。
1922.キュリー夫人が、医学学士院(フランス)の女性会員に。
1925.
(大正15)
思想・信教の自由を剥奪した稀代の悪法「治安維持法」が制定
1928. 1. 2
(昭和3年)
池田先生のお誕生日
1928. 6.
(昭和3年)

牧口先生が、日蓮大聖人の仏法に巡りあい入信。
戸田先生も入信。

言語に絶する歓喜を以って殆ど六十年の
生活法を一新するに至った

牧口先生(57歳)

1929.1.15
(昭和4年)
アトランタ アメリカ公民権運動の指導者 マーチン・ルーサー・キング博士 生誕
(アトランタ市)
1930.3.12
(昭和5年)
インド
マハトマ・ガンジーが、78人の門弟と共に、アーメダバード郊外にある
アーシュラム(研修道場)から、約400キロのアラビア海に面したダンディーの海岸へ
「塩」を手にするため 徒歩で出発。

(インド独立への新たなうねりを起こした「塩の行進」の始まり)

1930.11.18
(昭和5年)
火曜日
快晴
東京
「創価学会 創立の日」「創価教育原点の日」

創価の父 牧口常三郎初代会長 創価教育学会(のちの創価学会)創立
牧口常三郎先生の教育思想を集大成した『創価教育学体系』第1巻が発刊
発行所 創価教育学会


戸田先生(弟子)「牧口先生の教育学は何が目的ですか?」
牧口先生(師匠)「価値を創造することだ。」
戸田先生(弟子)「では先生、創価教育と決めましょう。」

1932.
(昭和7年)
日本 戸田先生が、月刊の教育雑誌「新教材集録(しんきょうざいしゅうろく)」を創刊。
1932. 6.15
(昭和7年)
スコットランド ヘレン・ケラー女史に、グラスゴー大学から名誉博士号が授与(ビュート・ホール)。
1933.
(昭和8年)
アルバート・アインシュタイン博士が、アメリカへ亡命
1934.中国
「長征」

(長征は、1934年から36年までの2年間、紅軍が行った戦略上の大遠征。
「万里長征」ともいわれ、のちに20世紀の奇跡とたたえられた。)

...........................。中国の「長征(ちょうせい)」について、周恩来総理の話を紹介したい。 人間の2本の足で12,500キロ(25,000華里)を歩いた「長征」。何と、アメリカ横断して往復する距離になる。 それに比べたら、日本のどんな地域も「広すぎる」とか、「遠すぎる」とか言えない。 長征の行軍は、過酷を極めた。何十機もの飛行機に連日、爆撃される。 地上でも、敵の大軍に追われ、包囲される。 病気にも。飢えにも苦しめられる。

だが、「歩き通す」ほかなかった。 「戦う」しかなかった。 「前進する」しかなかった。 何が起ころうと、前進また前進し続けて、勝利したのである。 途中でやめたら、絶対に勝利はない。 しかも、ただ歩いただけではない。 この間に通った広大な十一の省、2億の人民を、着実に味方にしていった。 話し合い、自分たちの理想を教えながら。 派手な姿は、ひとつもなかった。 静かに山々を越え、村々を回りながら、未来の「勝利」の種を植えていったのである。
.........................。

池田先生のスピーチより
(1996,10.25)

1934.
(昭和9年)
日本池田先生が、羽田の第二尋常小学校へ入学。
1934. 7. 4
(昭和9年)
キュリー夫人 逝去
1935.
(昭和10年)
日本 「新教材集録」が「新教(しんきょう)」と改題され、創価教育学会の機関紙に。
1935.
(昭和10年)
アメリカデューイ協会 創立
1938.6.26
(昭和13年)
イギリス
ウィンストン・チャーチル卿が「泣き杉」を植樹。

(現・タプローコート総合文化センターの庭園に、牧口常三郎先生の
「正義桜」とともに風雪に負けぬ不屈の根を張っている。)

1939.
(昭和14年)
ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵入し、第2次世界大戦が勃発。
1939.初春
(昭和14年)
日本
池田喜一(きいち)氏 (池田先生の長兄(ちょうけい)) が出征。

出立を前に、「家族との面会」が東京駅の近くの広場でなされる。
(戦地である中国へ行く総勢二、三百人ほどの兵士たち)

池田先生のお母さんが、「池田家の海苔」を巻いたおにぎりをたくさん用意されており、
見送りのない百名近くの兵士の方々に「こちらへいらしてください。
ご一緒にどうぞ!」と親しく声をかけられる。

遠慮がちな兵士たちに、池田先生(当時 11歳) が、走っていかれ、おにぎりを差し上げられる。

あの人たちは若いのに 皆 お父さん お母さんを悲しませてしまって 可哀想だ 可哀想だ

池田 一(いち)
(池田先生の母堂)

1940.5
(昭和15年)
英国
ウィンストン・チャーチル首相 就任

われわれの目的はなんであるかとお尋ねになるならば、私は一言でその問に答えましょう。
勝利、この二字であります。
- - - - - - - - - - - - - - - - - -
朝は必ず巡ってきます。勇敢で、真実である者の上には、
太陽は必ず輝きましょう。

ウィンストン・チャーチル首相
(ロバート・ペイン著、佐藤亮一訳「チャーチル」文化放送)

1940.6
(昭和15年)
英国
フランスの降伏によって欧州の戦況が、イギリスに不利となる。

我々は絶対に屈服しない。
最後まで勝利に向かって前進するのみだ。

ウィンストン・チャーチル首相

1941.
(昭和16年)
日本 大正15年 制定の 思想・信教の自由を剥奪した稀代の悪法「治安維持法」が改定
1941.7.
(昭和16年)
日本
池田喜一(きいち)氏 (池田先生の長兄) が一時帰宅。

日本軍はひどすぎる。中国の人たちが あまりにも可哀想だ!

池田喜一

1941. 7.20
(昭和16年)
日本 機関紙「価値創造」創刊。
1941. 8.
(昭和16年)
日本 日蓮正宗宗門が、御書の刊行を禁止する院達を出す。
1941. 9.
(昭和16年)
日本 日蓮正宗宗門が、宗務院教学部長名で計14カ所に及ぶ御文の削除を通達
1941.12.8
(昭和16年)
アメリカ真珠湾攻撃。
1942. 5.
(昭和17年)
日本「価値創造」廃刊。
1942.8.24
(昭和17年)
日本
私の信仰は天下の正義である。この信仰の「信」「行」「学」を 私は師匠である牧口先生のおかげで得(え)ることができた。
ゆえに私は、若人(わこうど)の情熱を失(うしな)わないのだ。

戸田先生(43歳(数え年))

1943.
(昭和18年)
日本
高田先生が、「東亜学院」(のちの東京富士大学)を創立
(高田先生:34歳)

暴力をもって人を導くことはできない。
学問の光をもって道標とせよ

高田先生

1943. 5. 2
(昭和18年)
東京
西神田の教育会館に700人が集って
創価教育学会としての最後の総会

牧口先生が「宗教の研究法」と題し講演

わが学会は発迹顕本せねばならぬ

牧口常三郎先生

1943.6.
(昭和18年)
日本
一宗が滅びることではない。
一国が滅びることを、嘆くのである。
.............................。

今こそ国家諌暁の時ではないか!
何を恐れているのか!

牧口常三郎先生

1943. 7. 6
(昭和18年)

牧口初代会長、戸田理事長ら、 思想・信教の自由を剥奪した稀代の悪法・ 治安維持法違反、不敬罪により
逮捕 投獄される。

1944. 7. 4
(昭和19年)
日本 牧口先生が「取り調べ調書」を自ら書き上げ、判事に渡したことを手紙に綴られた日。
1944. 7.18
(昭和19年)
日本東条内閣 総辞職
1944. 8.31
(昭和19年)
中国 牧口洋三(牧口先生の三男)氏 病死(享年37歳)
1944.10.11
(昭和19年)
牧口先生が、御家族からの手紙(10月5日付)で、三男・洋三氏の逝去をお知りになられた日。
1944.10.13
(昭和19年)

洋三戦死の御文、十一日に(中略)拝見。びっくりしたよ。がっかりもしたよ。 .............................。

カントの哲学を精読(せいどく)している。
百年前、及びその後の学者共が、望んで、
手をつけない「価値論」を私が著(あら)わし、
しかも、上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に
実証したのを見て、
自分ながら驚(おどろ)いている。
これ故、三障四魔が粉起(ふんき)するのは当然で、
経文通りです。

牧口先生

1944.11.17
(昭和19年)
牧口先生が、衣服と頭髪を整えられて病監へ向かわれる。 足元がもつれ、転(ころ)ばれるが、最後まで一人で歩かれる。 ベッドに身を横たえられると、やがて昏睡状態に。 この日 当局は、牧口先生の死期がせまっていることを、先生の自宅に 電報で知らせる。
1944.11.18
午前6時過ぎ
(昭和19年)
東京
牧口常三郎初代創価学会会長 大変に安らかな相で、霊山に旅立たれる。
(享年73歳)(巣鴨の東京拘置所)

牧口先生の御遺体が、貞子さんの実家の番頭に背負われ、目白の自宅に運ばれる。
(投獄から1年4カ月)

1944.11.20
(昭和19年)

牧口先生の葬儀が、10人前後の親族・知人が出席し、自宅でひっそりと 営まれる。

牧口先生の殉教に対して、宗門は「獄死(ごくし)」を理由に、先生に
「大居士(だいこじ)」の戒名(かいみょう)を 贈ることを拒否。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1990年(平成2年)4月2日、戸田第2代会長の33回忌の折、牧口先生に「大居士」が贈られた。

1945. 1. 8
(昭和20年)
師匠・牧口先生の獄死を、弟子・戸田先生が知らされた日。(創価の師弟の原点の日)
1945. 1.11
(昭和20年)
ビルマ
(現・ミャンマー)
池田喜一氏 (池田先生の長兄) が戦死。(享年26歳(戦死公報)・正しくは29歳)
1945. 4.
(昭和20年)
蒲田 池田先生のお父さんの家が、国家権力による「強制疎開」で壊される。
(蒲田の糀谷二丁目五四六番地)(大きな庭のある屋敷))
1945.
(昭和20年)
大森
池田先生のお父さんが、「疎開するための家」を大森の西馬込(池田先生のお母さんの
妹さんのいらっしゃるところ) に作られる。

「疎開するための新しい家」ができ上がったその日の夜、空襲警報が鳴り、あちらこちらで群集が見上げる夜空から 低空飛行の爆撃機B29が、焼夷弾(しょういだん)をばらまき落とす。

何百人もの人々が「わあーわあー」と大声を上げながら逃げ惑う。

このときの大空襲で、西馬込に完成したばかりの、「疎開するための新しい家」が、
直撃を受け 燃え尽きる

1945. 7. 3
(昭和20年)
午後7時
東京戸田理事長(のちの創価学会第2代会長)豊多摩刑務所を出獄
1945. 7.26
(昭和20年)
ポツダム会談
1945. 8. 6
(昭和20年)
日本
原子爆弾投下(広島)

1945. 8. 9
(昭和20年)
日本原子爆弾投下(長崎)
1945. 8.15
(昭和20年)
日本の敗戦により、太平洋戦争が終結
1946.3.
(昭和21年)
日本 創価教育学会を「創価学会」と改称
1946. 7.
(昭和21年)

「政教分離」の原則は、宗教団体の政治活動を禁止する規定はない。

金森徳次郎(とくじろう) 憲法担当大臣

1946.11.18
(昭和21年)

牧口先生の3回忌法要

あなた(師匠・牧口先生)の慈悲の広大無辺は、
わたくしを牢獄まで 連れていってくださいました

戸田先生(弟子)

1947.8.14
(昭和22年)
木曜日
東京
大田区

師匠・戸田先生と弟子・池田先生が出会う
(戸田先生が「立正安国論」を講義される座談会)
(戸田先生 47歳 池田先生 19歳)

池田先生(弟子)「先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生を いうのでしょうか」
戸田先生(師匠)「人間の長い一生には、いろいろな難問題が 起きてくる。人間、生きるためには、生死の問題を、どう解決したらいいか............ これだ。 これが正しく解決されなければ、真の正しい人生はない」


一家のことを、一国のことを、
さらに動乱の世界を考えた時、
私は、この世から、不幸と悲惨をなくしたい。
これを広宣流布という。
どうだ、一緒にやるか!

師匠・戸田先生

旅人よ
いずこより来(きた)り
いずこへ往(ゆ)かんとするか
月は 沈(しず)みぬ
夜明け前の混沌(カオス)に
光 もとめて
われ 進みゆく
心の 暗雲(あんうん)をはらわんと
嵐に動かぬ大樹求めて
われ 地より湧(わ)きいでんとするか

弟子・池田先生
(池田先生 19歳)

...............。

十九歳の私は
そう心に決意して
師と共に
大闘争を開始した。

権力ではなく民衆を!
暴力ではなく対話を!
狂信ではなく哲学を!
蛮性ではなく文化を!
命令ではなく教育を!
独善ではなく連帯を!
罵声ではなく歌声を!
権威ではなく青年を!

戦争の世の害悪を
一つ一つ大転換しながら
創価の人間主義の光は
今や世界百九十二の国々へ
地域へと広がった。
...............。
池田先生

- 我らは戦う!人権と平和と幸福のために
「忘れ得ぬ 戦時の青春」
2009.2.13 -
より



インド共和国初代ネルー首相が、インドの自由の夜明けを宣言

涙と悲惨のあるかぎり、
我らの仕事は終わらないのである。
ゆえに働こう。もっと働こう。

インド共和国初代ネルー首相

1947. 8.24
(昭和22年)
東京池田先生が、創価学会に入会。
1947.
(昭和22年)
東京 大世学院(現・東京富士大学が、「建学の趣旨」を発表
「人道世界の建設」の理想の柱として、「大愛」「正義」「文化」
1947.
(昭和22年)

創価学会歌

森ケ崎海岸

作詞 : 山本伸一
作曲 : 本田隆美

歌詞 :

岸辺に友と 森ケ崎
磯の香高く 波返し
十九の青春 道まよい
哲学語り 時はすぐ
友は悩めり 貧しけれ
キリストの道 われ行くと
瞳きびしく 月映えて
つよき鼓動に 波寄せり

崩れし土手に 草深く
いかなる虫か 知らねども
今宵は詩歌をつくらんと
楽(がく)平安の おもいあり
されども友は 黙しけん
いかに生なば わがいのち
深園の月に 飛びゆかん
涙を拭い 悲歎あり

友の孤愁に われもまた
無限の願望 人生を
苦しみ開くと 誓いしに
友は微笑み 約しけん
友の求むる 遠き世に
たがうも吾れは 己が道
長歌の舞台 涯(はて)しなく
白髪までも 月語る

君に幸あれ わが友よ
つぎに会う日は いつの日か
無言のうちの 離別旅(わかれたび)
銀波ゆれゆく 森ヶ崎


1948.4.
(昭和24年)
東京 池田先生が、大世学院(現・東京富士大学)に入学
1948.12.10
(昭和24年)
「世界人権宣言」が国連総会で採択
1949. 1.3
(昭和24年)
千代田区
西神田
弟子・池田先生が、師匠・戸田先生の経営する出版社「日本正学館」に入社。
(池田先生21歳)
1949. 5.
(昭和24年)

池田先生が、冒険少年(のちに「少年日本」と改題)の編集長に就任。

1949.7.10
(昭和24年)
日本 機関紙「大白蓮華」創刊
1949.10.25
(昭和24年)
「少年日本」が休刊に。
1950. 1.
(昭和25年)

戸田先生宅で、「戸田大学」の個人授業開始。

戸田大学 Toda University

1950. 8.23
(昭和26年)
戸田先生が専務理事を務める東京建設信用組合が、営業を停止
1950. 8.24
(昭和25年)

ハンコックさんが、しみじみと語っておられた。「文化とは、民衆一人一人の声であり

- 随筆 我らの勝利の大道 27 -

(聖教新聞 創刊原点の日)


戸田先生が、創価学会理事長職の辞任を発表。(東京・西神田の学会本部)


それは、伸一の入会三周年の記念日にあたる一九五〇年(昭和二十五年)の八月二十四日、東京・西神田で行われた 法華経講義の終了後のことであった。
戸田は、理事長の辞任を語ったあと、自ら新理事長の人事を発表した。
当時は、会長不在の時代であり、理事長が学会の一切の責任を担っていたのである。
戸田の悲壮な決意を聞いた、伸一の衝撃は大きかった。動揺を隠せなかった。
"創価学会は、そして広宣流布は、どうなってしまうのか......................。"
伸一は戸田のいる部屋を訪れ、これから自分の師匠は、新理事長になるのかを尋ねた。
即座に、戸田の答えが返ってきた。

「いや、それは違う! 苦労ばかりかけてしまう師匠だが、君の師匠はぼくだよ」
伸一の全身に、言い知れぬ喜悦がほとばしった。彼の迷いは、ことごとく吹っ切れた。
心は決まった。

創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の「獄中の悟達」にある。法華経に説かれた「在在諸仏土 常与師倶生」(在在の諸仏の土に 常に師と倶に生ず)の文を生命で読んだ戸田の、「われ地湧の菩薩なり」との悟達こそが学会の魂である。その戸田という師に連なる時、 学会は広宣流布を使命とする「創価学会仏(ぶつ)」たりえるのである。

- 新・人間革命(4004) 新世紀 九 - より

1950.8.29
(昭和25年)

戸田先生より『君を頼る』との力強き激励を受ける。
誰よりも、信頼し、期待をかけられし自分を、心から歓ぶ。
先生の激励に応え、再び、世紀の鐘を、私が鳴らそう。
先生より離れる者は、離れろ。
若き戦士となって、先生の意志を、私が実現するのだ

- 池田先生の日記より -

1950.
(昭和25年)

古(いにしえ)の

奇(く)しき縁(えにし)に

仕(つか)えしを

人は変(かわ)れど

われは変らじ

弟子・池田先生
幾度(いくたび)か

戦(いくさ)の庭(にわ)に

起(た)てる身の

捨てず持(たも)つは

君が太刀(たち)ぞよ

師匠・戸田先生

色は褪(あ)せ

力は抜けし

吾(わ)が王者

死すとも残すは

君が冠(かんむり)

師匠・戸田先生

1951. 3. 9
(昭和26年)
同信用組合が、組合員 全員の決議により解散。
1951. 3.11
(昭和26年)
同信用組合が登記上 解散。
1951. 3.11
(昭和26年)
神田臨時総会(教育会館)
1951. 3.17
(昭和26年)
戸田先生宅で、聖教新聞発行に関する打ち合わせ企画会
1951.4.
(昭和26年)
北京
周恩来総理が、「準備中の敦煌(とんこう)文物展覧会」 (故宮(こきゅう))を訪問。
常書鴻氏(敦煌研究院名誉院長)の手を取り、労をねぎらう。

私たちはこれら古代の文化を、生命を大切にするのと同様に、
大事に保存していかなくてはなりません。

中国の革命指導者 周恩来総理

1951.4.20
(昭和26年)
日本 機関紙「聖教新聞」創刊。(旬刊2ページ建て)
1951.5.
(昭和26年)
富士短期大学の授業が開始される
1951.5. 3
(昭和26年)

戸田先生が、第2代創価学会会長に就任

...............。
75万世帯の折伏は、私の手でいたします
...............。
もし、私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、 私の葬式は出してくださるな
...............。

戸田先生

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現在も

未来も共に

苦楽をば

分けあう縁(えにし)

不思議なるかな

戸田先生

1951. 5.12
(昭和26年)

戸田第2代会長が、「金剛不壊の大車軸」として、創価学会常住御本尊を請願。

春の花

秋の紅葉(もみじ)も

なにかせん

広宣流布(こうせんるふ)に

われは征(ゆ)くなり

戸田先生

1951. 5.17
(昭和26年)
東京富士大学・創立者 高田先生が、愛する校内の一室で永眠なされる。
(享年 四十二歳)
1951. 5.19
(昭和26年)
日昇上人が、創価学会常住御本尊をしたためられる。
1951. 5.20
(昭和26年)
日昇上人が、戸田先生に「創価学会常住御本尊」を授与。
1951. 6. 6
(昭和26年)

前進

なんと若々
しい、未来を含んだ言葉
であろうか

池田先生


前進

この言葉の
中には、成長がある。
希望がある。勇気がある。
若さがある。
正義がある

池田先生

1951. 6.10
(昭和26年)

戸田先生のもと「婦人部」が結成。(6.10「婦人部の日」)
(新宿のフランス料理店)(一騎当千の52名の婦人)

白ゆりの

香りも高き

集いかな

心の清き

友どちなれば

戸田先生


白ゆりの

香りも高き

婦人部は

平和と勝利の

スクラム世界に

池田先生
(2008年)

1951. 7.10
(昭和26年)

戸田先生が、「大白蓮華」に「創価学会の歴史と確信」と題し、大論文を発表

日本の民衆は悩みに悩んでいる。
学会は当然立たなければならない。

戸田先生

1951. 7.11
(昭和26年)

戸田先生のもと「男子部」が結成。(7.11「男子部結成記念日」)(180名の男子部員)

今日、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう。
必ず、このなかにおられることを、私は信ずるのです。
その方に、心からお祝いを申し上げておきたい

広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であります
戸田先生

1951. 7.19
(昭和26年)

戸田第2代会長のもと「女子部」が結成。(7.19「女子部結成記念日」)(78名の女子部員)

学会の女子部員は、一人のこらず幸福になるんですよ

戸田先生

1951. 7.22
(昭和26年)
戸田先生のもと「大法弘通慈折(じしゃく)広宣流布大願成就 創価学会常住」の御本尊奉戴式
1951. 9.
(昭和26年)

「班長に告ぐ」(青年訓)が発表。

新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
.........................。
奮起せよ!青年諸氏よ。
戦おうではないか!青年諸氏よ。
.........................。
第三に、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。
しかるに青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして 他人を愛せようか。
その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、
人間革命の戦いである。
.........................。
戸田先生

1951. 9.8
(昭和26年)
サンフラ
ンシスコ
占領下にあった日本は、「サンフランシスコ講和条約」に調印。
1951.12.
(昭和26年)

一度(ひとたび)は

捨つる命ぞ

恐れずに

仏の敵を

一人あますな

戸田先生

1952.1.
(昭和27年)

友どちの

集いも堅き

学会は

折伏行の

王者なりけり

戸田先生

いざ往(ゆ)かん

月氏(がっし)の果てまで

妙法を

拡(ひろ)むる旅に

心勇みて

戸田先生

1952. 1.
(昭和27年)
東京 池田先生が蒲田支部幹事に就任。
1952. 1.29
(昭和27年)
大田区 池田先生が、蒲田支部の緊急組長会に。
(大田区・鵜の木三丁目の集会所)
1952. 1.末
(昭和27年)
東京 白木義一郎大阪支部長心得が、夜汽車で大阪へ
池田先生が、見送られる。
1952. 2.
(昭和27年)
東京 戸田先生が、「地球民族主義」の理念を提唱。(青年部研究発表会)
1952. 2.
(昭和27年)
東京 蒲田支部が「201世帯」の折伏を達成
1952. 2.17
(昭和27年)
西成 大阪の初代支部長・白木義一郎さんの折伏の第1号が決まる
1953. 4.
(昭和27年)
「サンフランシスコ講和条約」が発効。日本の独立が回復。
1952.4.28
(昭和27年)

「日蓮大聖人御書全集」が、創価学会により発刊(昭和27年4月28日)。

祝賀の集いで、師匠・戸田先生と弟子・池田先生が「大楠公」の歌の舞を舞われる。

青葉茂れる桜井の(大楠公)
作詞 : 落合直文
作曲 : 奥山朝恭
1.

青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍(しの)ぶ鎧(よろい)の袖の上に
散るは涙かはた露か

2.

正成(まさしげ) 涙(なみだ)を打ち払い
我子(わがこ) 正行(まさつら) 呼び寄せて
父は兵庫に赴(おもむ)かん
彼方(かなた)の浦(うら)にて討死(うちじに)せん
汝(なんじ) は ここ迄(まで)来(きた)れども
とくとく帰れ 故郷(ふるさと)へ

3.

父上(ちちうえ) いかに のたもうも
見捨(みす)てまつりて われ一人
いかで帰らん帰られん
此(この) 正行(まさつら)は年(とし)こそは
未(いま)だ若(わか)けれ 諸共(もろとも)に
御共(おんとも)仕かえん死出(しで)の旅

4.

汝をここより帰さんは
われ私(わたくし)の為ならず
己(おの)れ討死為(な)さんには
世は尊氏(たかうじ)の儘(まま)ならん
早く生い立ち大君に
仕えまつれよ国の為(ため)
仕えまつれよ国の為(ため)


(注)「青葉茂れる桜井の」(大楠公)の歌詞は、学会のなかでは慣習的に上記の通り
歌われていますが、正規には2番の「汝」は「いまし」、「来(きた)れ」は「来(きつ)れ」、
4番の「汝」は「いまし」、「われ私の」は」「わが私の」となっています。

1952. 5. 3
(昭和27年)
東京 師匠・戸田先生が出席されて、弟子・池田先生ご夫妻の結婚式
「大楠公」の歌を合唱
1952. 5. 8
(昭和27年)
東京・
市ヶ谷
「戸田大学」の早朝講義が開始。
1952. 5.23
(昭和27年)
大阪・
西成区
大阪支部初の座談会
1952.秋
(昭和27年)

戸田先生のもと 華陽会(かようかい)結成

華のように美しく、太陽のように誇り高くあれ

戸田先生


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2009年3月4日 池田先生が出席されて、「広布第2幕 第14回全国青年部幹部会」
「全国壮年部幹部会」の意義を込めた、 「新時代第27回本部幹部会」「第33回SGI総会」
(東京牧口記念会館)

池田華陽会歌「華陽の誓い」が発表


創価学会歌
池田華陽会歌「華陽の誓い」

作詞 : 池田華陽会有志
作曲 : 深見麻悠子
歌詞 :
1.

今 師(し)とともに 太陽の心で
厳(きび)しき冬にも 春の光彩(ひかり)を
先生(ちち)の励(はげ)まし わが胸(むね)光(ひか)らせ
「広宣の華(はな)と舞(ま)え! 池田華陽会」

2.

今 師とともに 華(はな)の心で
涙(なみだ)の友にも 笑顔(えがお)咲かせよう
奥様(はは)の微笑(ほほえ)み わが胸包(つつ)みて
「希望の華と舞え! 池田華陽会」

3.

今 師とともに 正義の心で
世界の女性(とも)に 平和の世紀を
華陽の姉妹(しまい)と スクラム楽しく
「使命の華と舞え! 池田華陽会」
報恩(ほうおん)の「華陽の誓(ちか)い」喜(よろこ)び果(は)たさむ




華陽会

広布の女子部の

先駆たれ

価値ある青春

三世の功徳と

池田先生

(2009年)
華のよう

朝日のようにと

華陽会

恩師も見つめん

深き誓いを

池田先生

(2009年)





1952. 8.14
(昭和27年)
関西
池田先生が、特急「つばめ」で大阪へ。
(関西・師弟原点の日)(堺・師弟常勝の日)

堺市内の座談会に出席。
(池田先生 24歳)

あの淀川を渡る鉄橋付近で見つめた、
夕暮れの大阪城の威容は、
今も心から消え去ることはない

池田先生


私は、ここ大阪に、東京と並ぶ、否、それ以上の "広宣流布の大城" を築くために 師の戦いを一人、陰で支え抜くと決めていた。

池田先生


1952.8.15
(昭和27年)
大阪 戸田第2代会長が、出席されて「仏教大講演会」
(旧大手前会館)(大阪市中央区)
1952.8.16
(昭和27年)
大正区 師匠・戸田先生と弟子・池田先生が、師弟で臨まれた最初の関西の座談会
(大阪市大正区)
1952.10.
(昭和27年)
戸田第2代会長が、創価学会による「月例登山会」をスタート
(1991年迄 延べ7,000万人)
1953. 1. 5
(昭和28年)
東京
師匠・戸田先生が出席されて、新年会(都内の中華料理店)
弟子・池田先生が、青年たちとともに「星落秋風五丈原」の歌を披露

星落秋風五丈原(ほしおつしゅうふうごじょうげん)

作詞 : 土井晩翠
作曲 : 不詳
1.
祁山悲愁(きざんひしゅう)の風更(かぜふ)けて
陣雲暗(じんうんくら)し五丈原(ごじょうげん)
零露(れいろ)の文(あや)は繁くして
草枯れ馬は肥(こ)ゆれども
蜀軍(しょくぐん)の旗(はた)光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病(じょうしょうやまい)あつかりき
丞相病あつかりき

2.
夢寐(むび)に忘れぬ君王(くんのう)の
いまはの御(み)こと畏(かしこ)みて
心を焦(こ)がし身をつくす
暴露(ばくろ)のつとめ幾とせか
今(いま)落葉(らくよう)の雨(あめ)の音(おと)
大樹(たいじゅ)ひとたび倒(たお)れなば
漢室(かんしつ)の運(うん)はたいかに
丞相病あつかりき

3.
四海(しかい)の波瀾(はらん)収(おさ)まらで
民(たみ)は苦(くるし)み天は泣(な)き
いつかは見なん太平の
心のどけき春の夢
群雄立てことごとく
中原鹿を争ふも
たれか王者の師を学ぶ
丞相病あつかりき

4.
嗚呼南陽の旧草廬
二十余年のいにしへの
夢はたいかに安かりし
光を包み香をかくし
隴畝に民と交れば
王佐の才に富める身も
ただ一曲の梁歩吟
丞相病あつかりき

5.
成否(せいひ)を誰(た)れか あげつらふ
一死(いっし) 尽くしゝ身(み)の誠(まこと)
仰(あお)げば銀河(ぎんが) 影(かげ)冴(さ)えて
無数(むすう)の星斗(せいと) 光(ひかり)濃(こ)し
照(てら)すやいなや英雄(えいゆう)の
苦心孤忠(くしんこちゅう)の胸(むね)ひとつ
其(その) 壮烈(そうれつ)に感(かん)じては
鬼神も哭(な)かむ秋の風(かぜ)

6.
嗚呼(ああ)五丈原秋の夜半(よわ)
あらしは叫び露は泣き
銀漢清く星高く
神秘の色につゝまれて
天地微(かす)かに光るとき
無量の思齎(もた)らして
千載(せんざい)の末(すえ)今(いま)も尚(なお)
名(な)は かんばしき諸葛亮(しょかつりょう)
名はかんばしき諸葛亮


1953. 1.2.
(昭和28年)
東京 池田先生が男子青年部「第一部隊長」に。
1953. 4. 2
(昭和28年)
関西 戸田第2代会長のもと関西婦人部 発足。
1953. 4.20
(昭和28年)
東京 池田先生が文京支部長代理に。
1953. 6.14
(昭和28年)
大阪 戸田第2代会長が出席されて、第1回大阪支部総会(夕陽ケ丘会館)
1953.11.13
(昭和28年)
東京 創価学会本部が、西神田から新宿区信濃町に移転
1953.12.12
(昭和28年)
中部 池田先生が、中部の地へ。(12.12「中部広布原点の日」)
1954. 3.01
(昭和29年)

北太平洋ビキニ環礁 水爆実験 (アメリカ)
( TNT火薬に換算した爆発力:1,500万トン(15メガトン) )

昭和20年の広島、長崎に落とされた原子爆弾:2万トン(0.02メガトン)
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第2次世界大戦に消費された火力:7メガトン
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ビキニ環礁の東方160キロのところで、マグロ漁の最中の
第五福竜丸(ふくりゅうまる)(99トンの小型木船)が被災

1954.3.30
(昭和29年)
日本 池田先生が、青年部の室長に就任
(池田先生:26歳)
1954.8.
(昭和29年)
厚田村
師匠・戸田先生と弟子・池田先生が、厚田村へ。

創価学会歌
厚田村
作詞 : 山本伸一
作曲 : 杉野泰彦
歌詞 :
北海凍(ほっかいこお)る 厚田村(あつたむら)
吹雪(ふぶき)果(は)てなく 貧(まず)しくも
海辺に銀の 家ありき
これぞ栄えある わが古城

春夏詩情の 厚田川
鰊の波は 日本海
松前藩主の 拓きしか
断崖屏風(だんがいびょうぶ)と 漁村庭(ぎょそんにわ)

少年動かず 月明かり
伝記と歴史の 書を読みて
紅顔可憐に 涙あり
正義の心の 鼓動楽

痛まし針の 白髪に
不正に勝てと アツシ織る
母の祈りに 鳳雛も
虹を求めて 天子舞

暖炉に語りし 父もまた
網をつくろい 笑顔皺
権威の風に 丈夫は
征けと一言 父子の譜

厚田の故郷 忘れじと
北風つつみて 美少年
無名の地より 世のために
長途の旅や 馬上行

1954.12.13
(昭和29年)
日本 池田先生が、渉外部の初代部長に就任
1955. 1. 1
(昭和30年)
日本
妙法の

広布の旅は

遠けれど

共に励まし

共々に征かなむ

戸田先生

1955.
(昭和30年)
バンドン 第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催
1955.3.
(昭和30年)
京都
「威風堂々の歌」が誕生。(京都地区歌として誕生)

創価学会歌
威風堂々の歌
作詞 : 大橋幸栄
作曲 : 不詳
歌詞 :

濁悪(じょくあく)の此の世行く 学会の
行く手を阻むは 何奴(なにやつ)なるぞ
威風堂々と 信行たてて
進む我らの 確信ここに


今日もまた明日もまた 折伏の
行軍進めば 血は湧き上がる
威風堂々と 邪法を砕き
民を救わん 我らはここに


我ら住む日本の 楽土見ん
北山南河は邪宗の都
威風堂々と 正法かざし
駒を進めば 草木もなびく
駒を進めば 草木もなびく

昭和31年8月 京都地区が、京都支部に。「威風堂々の歌」が、「京都支部歌」となる。
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昭和33年 池田先生が、作詞者の了解を得て「『平安』の『洛土』」との歌詞を「『日本』の『楽土』」と手直しを。 「威風堂々の歌」が、京都の歌から日本の歌に。

1955. 3.11
(昭和30年)
小樽小樽問答(小樽市公会堂)
1955. 4.
(昭和30年)
日本地方選挙で創価学会の推薦候補が53人当選
1955. 5.27
(昭和30年)
沖縄ヘレン・ケラー女史が、沖縄を訪問。
1955. 7.09
(昭和30年)
ロンドンラッセル=アインシュタイン宣言
1955.10.01
(昭和30年)
日本
「青年よ国士たれ」(国士訓)が発表。

........................。

かかるときにおちいりやすき考えは、
われらは宗教家であるとの錯覚である。
われらは決して宗教家であってはならぬ。
........................。

青年よ、一人立て!

二人は必ず立たん、

三人はまた続くであろう。

かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである。
........................。

戸田先生

1955.11. 3
(昭和30年)

獅子王の

雄叫び聞いて

奮い起つ

広布の旅の

子等ぞ勇まし

戸田先生
三類の

強敵あれど

獅子の子は

広布の旅に

雄々しくぞ立て

戸田先生

1955.11.8
(昭和30年)
日本
青年を、窒息(ちっそく)させてゆく社会、機構、制度。
誠実な青年が、実力に応じて、栄進(えいしん)できぬ、本末顛倒(てんとう)の社会
指導者も悪い。社会も悪い。而(しか)し、それらをおしのけて起(た)ち上がらぬ、青年も悪い。
この解決が、今、吾等(われら)が実践している一日一日なのである。
頑張れ、青年部

- 池田先生の日記より -

1955.11.
(昭和30年)
水爆実験 (ソ連)
1955.12.1
(昭和30年)
アラバマ州
モンゴメリー

1人の黒人女性(アメリカの「バス・ボイコット」運動の発端 公民権運動の母 ローザ・パークス氏)
が、「席を立て」と言う白人運転手の命令を拒み逮捕される

「バス・ボイコット運動」が始まる。

私たちは、強くありつづけなければなりません。
希望を捨ててはいけません
そうすれば、きっと打ち勝つことができます
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私は、自分を、不正と戦った人間として、また、若い世代によりよい世界がくることを望んだ人間として人々から 覚えていてもらいたいと思っています。
-----------------------------------
そして、私の闘いは続きます。
抑圧されている人がいる限り.................。

アメリカの人権の母 ローザ・パークス
(高橋朋子訳「勇気と希望」(サイマル出版会)

1955.12.13
(昭和30年)
関西
戸田第2代会長のもと、関西本部の落成入仏式
「大法興隆所願成就」の関西常住の御本尊がご安置

大法興隆所願成就

授与之創価学会関西本部安置 願主戸田城聖

1956.1.1
(昭和31年)

雲(くも)の井(い)に

月(つき)こそ見んと

願(ねが)いてし

アジアの民(たみ)に

日(ひかり)をぞ送(おく)らん

戸田先生

1956. 2.11
(昭和31年)

関西に

今(いま)築きゆく

錦州城(きんしゅうじょう)

永遠(とわ)に崩すな

魔軍抑えて

弟子・池田先生
我が弟子が

折伏行で

築きたる

錦州城を

仰ぐうれしさ

師匠・戸田先生

1956. 4.8
(昭和31年)
大阪市
「大阪・堺2支部連合総会」(難波の大阪球場)
(関西の日)

1956. 4.16
(昭和31年)
四条畷市
不撓

池田先生

1956. 5.
(昭和31年)
水爆投下実験 (アメリカ)
1956. 5. 1
(昭和31年)
東京 4月度創価学会本部幹部会(豊島公会堂)

大阪支部:9,002 世帯が新しく入会
蒲田支部:3,401 世帯が新しく入会
堺支部  :1,111 世帯が新しく入会
1956. 5. 2
(昭和31年)
大阪
阿倍野地区決起大会 (中之島・大阪市中央公会堂)

眠れる獅子は、今や、立ち上がった!

佐伯地区部長

1956. 5.31
(昭和31年)
東京 5月度創価学会本部幹部会(豊島公会堂)

大阪支部:11,111 世帯が新しく入会
蒲田支部: 4,050 世帯が新しく入会
堺支部  :1,515 世帯が新しく入会
1956.
(昭和31年)
関西
池田先生とともに、民衆勝利の金字塔(池田先生:28歳)

勇 戦 大 勝

1956. 6.5
(昭和31年)
大東市
水の如く

池田先生

1956. 7.8(日)
(昭和31年)
大阪
第4回参議院議員選挙 投票日
(午後6:00投票締め切り)
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関西本部の電話が鳴る。(朝5時頃) 池田先生が受話器を取られる。
(師匠・戸田先生からの電話)

戸田先生(師匠)「なんだ大作、もう起きていたのか?」
池田先生(弟子)「はい。」
戸田先生(師匠)「関西はどうだい。」
池田先生(弟子)「こちらは勝ちます。!」



.......................。午後六時の投票締め切りを受け、立花仁六宅では集計に追われていた。 ようやく報告を終わり、立花は住み込みの従業員たちと夕食を取り始めた。......................。 池田室長が、白木義一郎や地区部長を連れてねぎらいに来てくれた。......................。 「みんな、本当にありがとう。勝たせてもらった。勝たせてもらったよ。」立花はきょとんとした。 「あれ、室長、開票は明日でっせ。そんなん分かりまへんがな」 室長の目は、自信に満ちていた。............。

「 若き指導者は勝った 池田大作 ― その行動と軌跡」 より

1956. 7. 9
(昭和31年)
日本
参議院議員選挙で3人当選。

参議院大阪地方区 白木義一郎氏(初代大阪支部長)が
次点に四万余りの大差をつけ、第三位で当選。
(218,915票)

「"まさか"が実現」

大阪中の人をアッといわせてすべり込んだ 白木義一郎氏

「『まさか』といっていたその "まさか" が現実になった。これはどういうことなんだろうか。 .....................」

1956. 7. 9 朝日新聞大阪本社版夕刊

1956.7.22
(昭和31年)
日本 富士鼓笛隊 結成
1956.9.23
(昭和31年)
東京 戸田第2代会長のもと 第3回「若人(わこうど)の祭典(さいてん)」
1956.10.9
(昭和31年)
山口県 池田先生が、午前7時前下関駅に到着。(山口開拓指導)
1957. 1. 1
(昭和32年)

荒海(あらうみ)の鯱(しゃち)にも

似(に)たる

若人(わこうど)の

広布(こうふ)の集(つど)い

頼(たの)もしくぞある

戸田先生

1957. 1.26
(昭和32年)
広島 池田先生が「山口開拓闘争」の帰途、広島地区総決起大会に出席。
1957. 2.25
(昭和32年)
日本 岸 信介(のぶすけ) 内閣総理大臣就任
1957.
(昭和32年)
日本インドのネルー首相 来日
1957. 2.
(昭和32年)

いざや起て

いざや築けと

金の城

中部の堅塁

丈夫勇みて

弟子・池田先生
いざや征け

仏の軍は

恐れなく

中部の堅塁

立つは楽しき

師匠・戸田先生

1957. 5.19
(昭和32年)
東京
炭労の全国大会で、「新興宗教対策について」の行動方針が決議(港区の中労委会館)

炭労は5月の17回大会で、創価学会は労働者の団結を破壊し、会社側の政策を有利にする  だけであるとして、これを排除する方針をうちだした。

(夕炭労発行の創立20周年『労働組合史』)

1957. 6. 6
(昭和32年)
夕張 創価学会・夕張男子部が、デモ行進
1957. 6.28
(昭和32年)
北海道 池田先生が、北海道へ。
1957. 6.30
(昭和32年)
東京 戸田先生のもと「学生部」結成(麻布公会堂)
1957. 7. 1
(昭和32年)
札幌 札幌大会(炭労への抗議大会)
1957. 7. 2
(昭和32年)
夕張 夕張大会(炭労への抗議大会) 
1957. 7. 3
(昭和32年)
午後7時
大阪 池田先生が、無実の公職選挙法違反の容疑で不当に逮捕される。
1957. 7.12
(昭和32年)
東京
池田青年室長の「無実の公職選挙法違反の容疑による不当逮捕」に抗議するため、
戸田第2代会長 のもと、台東区の蔵前国技館に4万人が集い「東京大会」

1957. 7.17
(昭和32年)
大阪
無実の公職選挙法違反の容疑で不当に逮捕された池田青年室長が、大阪拘置所を出所。
戸田第2代会長のもと、大阪大会(中之島・大阪市中央公会堂)

最後は、信心しきった者が、
大御本尊様を受持しきった者が、

また、正しい仏法が、必ず勝つという信念で

やろうではありませんか

池田先生





(2009年)

1957.7.下旬
(昭和32年)
群馬・渋川市 池田先生ご夫妻が、渋川で座談会に出席。(文京支部保土ケ谷地区の班長宅)
1957. 7.
(昭和32年)
カナダ第1回 パグウォッシュ会議 開催

The Story of Joseph Rotblat and 50 Years
of the Pugwash Conferences on Science and World Affairs

(パグウォッシュ会議のジョセフ・ロートブラット博士と50年)


Pugwash Online

1957. 8.7
(昭和32年)
荒川区 池田青年室長が、荒川区へ。
1957. 8.
(昭和32年)
ICBM(大陸間弾道弾)ミサイル実験 (ソ連)
1957. 9.08
(昭和32年)
横浜
戸田城聖創価学会第2代会長が、第一の遺訓として 「原水爆禁止宣言」を発表
「若人の祭典(第4回東日本体育大会)」(三ツ沢競技場)

1957.11. 2
(昭和32年)
田辺市南部・白浜・新宮三地区合同の指導会に池田先生が出席
1957.12.25
(昭和32年)
池袋
12月度本部幹部会(豊島公会堂)

会員世帯 75万世帯を達成。七十六万五千世帯に及ぶ。

学会の永遠の三指針

一、一家(いっか)和楽(わらく)の信心

二、各人(かくじん)が幸福(こうふく)をつかむ信心

三、難(なん)を乗(の)り越(こ)える信心

戸田先生

学会永遠の五指針

一、一家(いっか)和楽(わらく)の信心

二、各人(かくじん)が幸福(こうふく)をつかむ信心

三、難(なん)を乗(の)り越(こ)える信心

四、健康長寿の信心

五、絶対勝利の信心

池田先生
(2003年)

1957.12.
(昭和32年)

勝ち負けは

人の生命(いのち)の

常なれど

最後の勝(かち)をば

仏にぞ祈らむ

戸田先生

1958. 3.16
(昭和33年)
静岡
広宣流布記念の日

創価学会は

宗教界の王者なり

戸田先生



戸田先生のご逝去から五十一年。私の胸奥には、今も「大作、大作」と呼ばれる先生の大きな声が聞こえてきます。 師匠からいただいた私の命です。恩師の血脈は、私の生命に厳然と流れ通っています。

巡り来る三月十六日「広宣流布記念の日」。
恩師から、私をはじめ後継の青年門下が正義の印綬をお受けした久遠の儀式の日です。 昭和三十三年(一九五八年)のこの日、戸田先生は来賓方の前で「創価学会は宗教界の王者である」と、誇り高く師子吼なされました。 これこそ、万代に輝く学会の不滅の魂であります。この大正義と大確信を、私は一人、まっすぐに受け継ぎ、世界へ堂々と宣揚し、 証明してまいりました。

さあ、次の五十年へ、新しき広宣流布の大舞台の開幕です。
わが頼もしき門下たちよ!
元初の生命を燃え上がらせながら、師弟勝利の大旗を高らかに掲げゆこう!

我も師子
君も師子たれ
師弟不二

- 池田名誉会長講義「御書と師弟」第8回「如我等無異と報恩」より -

1958. 4. 2
(昭和33年)
東京戸田城聖第2代創価学会会長 一切の願業を成就し逝去
1958.4.8
(昭和33年)

恩師去り

創価の学会

いかなるか

われは厳然

広布の指揮執る

池田先生

1958. 5.
(昭和33年)
東京
池田先生が「七つの鐘(かね)」の構想を発表。(本部総会)

(「七つの鐘」構想は、学会が創立(昭和5年)以来、7年ごとに '節(ふし)'を刻み、発展してきたことから、
7年を「一つの鐘」の期間として、広宣流布の歩みと構想を示したもの。七つの鐘が鳴り終わる
昭和54年までの 前進の展望を示した。)

1958. 6.30
(昭和33年)
日本 池田先生が、総務に就任。
1958. 6.
(昭和33年)
九州
創価学会第2回九州総会

創価学会が何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この 関係をはっきりと確認し、そこから信仰を掘り下げてゆく、これが一番肝心なことだと思う。 今日の創価学会の強い信仰は一切そこから出てくる。
戸田先生が教えられたことはこれが要(かなめ)であろうと思っております。師を信じ、弟子を導く、 この関係、これに徹すれば、ここに仏法を得ることは間違いないのであります。

日淳上人

1958. 7.20
(昭和33年)
佐渡池田総務が、「おけさ丸」に乗り佐渡へ
1958.11.16
(昭和33年)
熊本 池田先生が、熊本の地を初訪問。熊本支部の結成。
1959.1.16
(昭和34年)
旭川 池田先生が、旭川の地を初訪問。御書講義や質問会を開催。
1960. 1.
(昭和35年)
フェニックス世界詩歌協会 創立
1960. 4. 5
(昭和35年)
東京池田先生ご夫妻が、現在の小平市たかの台を訪問。創価学園の建設予定地を視察
1960. 5. 3
(昭和35年)
東京 武蔵野支部 結成
1960. 5. 3
(昭和35年)
東京
池田先生が第3代創価学会会長に就任






晴れやかに

仏の大軍

進みゆく

世界一なる

創価 成るかな

池田先生


佛恩報恩

昭和参拾五年五月参日

池田先生

1960. 5. 8
(昭和35年)
大阪
池田第3代会長をお迎えして「関西総支部幹部会」
(大阪府立体育会館)

池田会長が、岸和田支部・和歌山支部・尼崎支部・布施支部・浪速支部・西成支部・阪神支部・淀川支部・都島支部 西宮支部の10支部に支部旗を授与。

従来の大阪支部・堺支部・松島支部・船場支部・梅田支部・京都支部・平安支部・京洛支部と合わせて18支部からなる 関西総支部が意気軒高に船出。

1960. 5. 9
(昭和35年)
東京
池田第3代会長が出席されて「女子部幹部会」
(東京・台東体育館)

1960.7.13
(昭和35年)
沖縄 池田先生が沖縄の地を初訪問
1960.9. 8
(昭和35年)
姫路 池田先生が「経王殿御返事」の講義を通して激励
1960.10. 1.
(昭和35年)
ハワイ 池田会長がホノルル空港に到着。(午後11時すぎ)(日本との時差:マイナス19時間)
1960.10. 2.
(昭和35年)
日本 池田会長が、羽田の空港からハワイヘ出発。(午前10:40)(日本との時差:マイナス19時間)
(「世界平和の日」)
1960.10.
(昭和35年)
ワシントンDC 池田先生が「リンカーン記念堂」を訪問
1960.10.
(昭和35年)
ブラジル 池田先生がアメリカからブラジルヘ。
1961. 1.28
(昭和36年)
香港 池田大作創價學會第三任會長第一次訪問香港
香港國際創價學會
1961. 2.11
(昭和36年)
カンボジア池田先生が、 アンコール・ワットを訪問
1961. 3. 7
(昭和36年)
大阪 関西男子部幹部会に池田会長が出席(中之島・大阪市中央公会堂)
1961. 3. 7
(昭和36年)
大阪 池田先生が出席されて関西女子部幹部会(大手前会館)
1961. 3. 8
(昭和36年)
大阪関西3総支部合同幹部会に池田会長が出席(大阪市中央体育館)
1961. 4.12
(昭和36年)
宇宙 ユーリー・ガガーリン少佐の乗ったボストーク1号が、世界初の有人宇宙飛行に成功。
1961. 9.16
(昭和36年)
午前9時40分
日本 「第2室戸台風」が、高知の室戸岬に上陸(最大風速 66.7m、死者 194人、負傷者 4,000人超、 浸水家屋 38万戸、高潮により大阪市の31平方キロメートルが浸水)
1961. 9.22
(昭和36年)
大阪 池田会長が、西淀川区を訪問。被災した同志を激励。
1961.10. 4
(昭和36年)
池田会長一行(いっこう)が、東京国際空港から北極回りでヨーロッパへ出発。
1961. 10. 8
(昭和36年)
ベルリン 池田会長が ベルリンを訪問
1961.10.15
(昭和36年)
スペイン 池田会長が、スペインを初訪問(10.15「スペイン師弟原点の日」)
1961.11. 5
(昭和36年)
東京 池田先生のもと「第10回男子部総会」(千駄ヶ谷 国立競技場)(男子部の日)
全国の男子部の代表10万人が結集
1961.11.20.
(昭和36年)
宮城県
仙台市

「東北健児(けんじ)の歌」が発表。東北本部(現・榴ケ岡文化会館)落成式
池田先生が「全国で歌っていこう」と提案されて、学会歌「新世紀の歌」に。

創価学会歌
新世紀の歌
作詞 : 佐々木政俊
作曲 : 上田金治郎

歌詞 :

ひらけゆく大空に 舞う若鷲(わかわし)
日本の柱 師(し)のもとに
苦悩(くのう)にあえぐともどちを
救わん地涌(じゆ)の誇りもて


荒海に躍る鯱(しゃち) 轟(とどろ)く大号令
七つの海を征くところ
世界を結ぶ大偉業
進まん今ぞ意気高く


師子王の雄叫びは 大地ゆるがす
広宣流布の大進軍
破邪顕正の剣もて
築かんわれら新世紀

1961.11.21
(昭和36年)
青葉城址
人材の

城を築けと

決意ます

恩師の去りし

青葉に立つれば

池田先生

1961.11.12
(昭和36年)
横浜 池田会長のもとへ全国から8万5,000人の代表が集い「第9回女子部総会」(11.12 女子部の日)
(三ツ沢競技場)
1961.11.27
(昭和36年)
日本 「公明政治連盟」が結成
1962.
(昭和37年)
童画家 ブライアン・ワイルドスミス氏が、ケイト・グリーナウェイ賞 受賞
1962. 1.24
(昭和37年)
尼崎市 池田会長が出席されて関西男子部幹部会(尼崎市体育会館)
1962. 1.25
(昭和37年)
大阪 池田先生の無罪判決の日(1.25「関西婦人部の日」)
(大阪事件の第84回公判)(大阪地方裁判所)
1962. 1.26
(昭和37年)
日本 「公明政治連盟の結成」が発表(本部幹部会)
1962. 1.27
(昭和37年)
日本 東洋学術研究所(現・東洋哲学研究所)が発足
1962. 1.29
(昭和37年)
中東 池田会長が初の中東訪問へ
1962. 2.8
(昭和37年)
エジプト
カイロ
池田先生のもとに「控訴なし」の電報が届く
1962.8.30
(昭和37年)
日本
池田第3代会長が、学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始
(毎月1回、約5年間)
(その間、関西では「百六箇抄」、中部では「諸法実相抄」の池田会長による講義が行われる)

1963.10.18
(昭和38年)
日本 池田第3代会長が、 (財)民主音楽協会を設立
1962.11.
(昭和37年)
日本 会員世帯数が300万世帯に。
1963.
(昭和38年)
プーミポン国王が、日本を御訪問。
1963. 9.
(昭和38年)
信濃町 日中友好の先駆者で実業家の高崎達之助氏と池田先生が会談(創価学会本部)
(高崎達之助氏 78歳 池田先生 35歳)
1964.
(昭和39年)
中国が、核実験に成功
1964.春
(昭和39年)
正本堂建立計画の発表。正本堂建設委員会が発足。池田先生が委員長に。
1964.5.12
(昭和39年)
池田会長がオーストラリアへ。(初のオセアニア訪問)
1964. 6. 1
(昭和39年)
池田会長の構想に基づく「高等部」の設置が発表(東京・台東体育館での男子部幹部会)
1964. 6. 7
(昭和39年)
高等部結成式(東京の各本部)
旧・東京第2本部の結成式に池田会長が出席。
1964.6.30
(昭和39年)
池田第3代会長が 『創価大学設立構想』を発表
1964.7.2
(昭和39年)
アメリカ ジョンソン大統領政権で、公民権法が制定。法律上の「人種差別」がなくなる。
1964. 8.30
(昭和39年)
吹田池田先生をお迎えして吹田会館の開館式
1964. 8.30
(昭和39年)
松原松原会館の開館式に池田会長が出席
1964.11.17
(昭和39年)
日本 公明党結成大会
1964.12.02
(昭和39年)
池田第3代会長が 小説『人間革命』の執筆を開始 (沖縄)
沖縄創価学会
『人間革命』主題:
一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の 転換をも可能にする

『人間革命』冒頭:
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。」

1965. 1. 1
(昭和40年)
日本 池田会長の小説「人間革命」第1巻が連載開始
(「聖教新聞」当時・週3回刊8ページ建て)
1965. 1.15
(昭和40年)
日本 中等部 結成
1965. 7.15
(昭和40年)
日本 聖教新聞が、日刊8ページ建てに。
1965. 9.23
(昭和40年)
日本 少年部 結成
1966.01.03
(昭和40年)
静岡 高等部、中等部、少年部の代表 3,300人が、池田先生とともに記念撮影、2度にわたり勤行会
池田会長が学会歌の指揮を。5年後の再会を提案。
1966. 1. 8
(昭和41年)
鎌倉池田会長 佐藤栄作総理 会談
1966.3.5
(昭和41年)
日本 壮年部 結成
1966. 3.16
(昭和41年)
ドミニカ ドミニカ共和国に初の支部が結成
1966.春
(昭和41年)
豊中市豊中会館が開館。
1966.5.5
(昭和41年)
日本 「富士少年合唱団」「希望少女合唱団」が結成。(富士少年希望少女合唱団の前身)
1966.5.17
(昭和41年)
東京 池田会長が、作家・有吉 佐和子さんと会談(婦人月刊誌の対談企画)
(池田先生:38歳 有吉 佐和子さん:35歳)
1966. 9.16
(昭和41年)
西宮 池田先生のご出席のもと「関西文化祭」(雨の甲子園球場)
1967.10.30
(昭和42年)
信濃町 池田大作創価学会第三代会長 クーデンホーフ・カレルギー伯爵会談
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
池田大作/リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー
(欧州統合の父) 共著
文明 西と東
1972年 サンケイ新聞社
1967.11.10
(昭和42年)
東京佐藤栄作首相 アーノルド・トインビー博士 会見
1967.11.11
(昭和42年)
赤羽台アーノルド・トインビー博士が、赤羽台団地で1DKから3LDKのタイプ5家庭を訪問
1968. 4.1.
(昭和43年)
東京 創価中学校・高等学校が男子校として開校
1968.
(昭和43年)
ローマ アウレリオ・ペッチェイ博士が、天然資源の無駄使い、人口爆発、環境破壊などによる人類の危機を回避するため、世界各国の学識者や経営者らに 呼びかけ、初会合を開催。ローマクラブ が発足。
1968. 4.
(昭和43年)
東京 創価学園創立者の池田会長が、創価学園 栄光寮を訪問。
1968. 6. 9
(昭和43年)
甲子園口 池田会長が、西宮会館を訪問。
1968. 6.14
(昭和43年)
町田市 池田会長が、町田会館(現・町田婦人会館)を初訪問
1968. 8.31
(昭和43年)
東京
池田会長が出席されて「婦人部幹部会」。
学会歌「今日も元気で」(婦人部愛唱歌)が発表(両国・日大講堂)

創価学会歌

今日も元気で

作詞・作曲:渡辺照子
歌詞 :

あかるい朝の 陽をあびて
今日も元気に スクラムくんで
闘うわれらの 心意気
うれしい時も かなしい時も
かわす言葉は
先生 先生 われらの先生

真昼の太陽 身に受けて
汗にまみれて ペダルもかるく
幸せ求める 幾山河
うれしい時も かなしい時も
かわす目と目が
先生 先生 われらの先生

きらめく星を あおぎみて
心に誓う 世紀のいくさ
あすへの希望を かぎりなく
うれしい時も かなしい時も
かわす笑顔に
先生 先生 われらの先生
先生 先生 われらの先生


1968. 9. 6
(昭和43年)
東京
創価学園1期生500人が、創立者の池田会長とともに校歌「草木は萌ゆる」(当時・寮歌)を合唱。

創価学園 校歌

草木は萌ゆる


草木は萌ゆる
武蔵野の
花の香かぎし 鳳雛の
英知をみがくは
何のため
次代の世界を 担わんと
未来に羽ばたけ
たくましく

小鳥はさざめく
武蔵野の
草に遊びし 鳳雛の
情熱燃やすは
何のため
社会の繁栄 つくらんと
未来に羽ばたけ
意気高く

秋風荒れし
武蔵野の
木間にたたずむ 鳳雛の
人を愛すは
何のため
民に幸せ おくらんと
未来に羽ばたけ
誇り持ち

白雪つみし
武蔵野の
空へ舞いゆく 鳳雛の
栄光めざすは
何のため
世界に平和を 築かんと
未来に羽ばたけ
その雄姿

富士(ふじ)が見(み)えるぞ
武蔵野(むさしの)の
渓流(けいりゅう)清(きよ)き 鳳雛(ほうすう)の
平和をめざすは
何(なん)のため
輝(かがや)く友(とも)の 道(みち)拓(ひら)く
未来に羽(は)ばたけ
君(きみ)と僕(ぼく)

1968. 9.08
(昭和43年)
東京 池田第3代会長が「日中国交正常化提言」を発表
(第11回学生部総会)
1968.10. 4
(昭和43年)
「堺本部幹部会」に池田会長が出席。(金岡体育館)
1968.10.14
(昭和43年)
岡崎市 池田先生をお迎えして、「第1回中部芸術祭」(岡崎市民会館)
1968.10.19
(昭和43年)
東京 池田会長が、東京・北区の東十条支部・北地区の座談会に出席(北会館)
1969. 1.31
(昭和44年)
  池田先生が、自民党の田中角栄幹事長と約2時間にわたり会談。
日中友好の未来について展望
1969.3.9広島 池田先生が、広島の同志5700人と記念撮影
1969.(昭和44年)中ソ国境 紛争勃発
1969.(昭和44年)マニラ第1回「世界詩人会議」開催
1969. 9.23
(昭和44年)
東京 アーノルド・J・トインビー博士から、池田先生へ手紙が届く
1969.12.20
(昭和44年)
東大阪 池田会長が、高熱をおして「嗚呼黎明は近づけり」の指揮を。
(東大阪市中央体育館)(現・東大阪アリーナ)
1969.12.21
(昭和44年)
和歌山 池田会長が、高熱をおして和歌山へ。渾身の指導、「武田節」の指揮を。
1970.
(昭和45年)
東京クーデンホーフ・カレルギー伯爵が、東京・創価学園を訪問。
1970.2.
(昭和45年)
日本 会員世帯数が750万世帯に。
1970. 3.
(昭和45年)
カンボジアクーデター。
1971.1.
(昭和45年)
日本
五年会 結成

今に見よ

五年の成長

大樹かな

池田先生

1971.2.1
(昭和46年)
日本
牙城会 結成

.............。戸田先生は、学会の草創期から、「牙城」という言葉を非常に大事にしておられた。 昭和29年(1954年)2月20日、戸田先生と私は、翌日に控えていた大阪、堺、八女の3支部の総会に出席するため、大阪入りした。 指導を求めて、続々と駆けつけてくる関西の地区部長を前に、戸田先生は言われた。

「関西は東京に次ぐ牙城たれ!」と。

私も『若き日の日記』に、「大阪の牙城」「先生の牙城」など、幾度も「牙城」と綴っている。

「牙城」とは、「大将のいる所」「城の本丸」「戦いの根拠地」という意味である。 「牙旗(がき)を立てている城」である。「牙旗」とは古来、中国で大将のいる所に掲げられた旗のことだ。 猛獣が牙で身を守るという象徴として、旗先に象牙が飾られた。このように、「牙城」には、重要な意義があることを 語り残しておきたい。

池田先生のスピーチより
(2009.3.4)

1971.4.2.
(昭和46年)
東京 創価大学 開学
1971.4
(昭和46年)
中国 公明党が初訪中
1971. 6.13
(昭和46年)
青森 池田先生が、青森の同志と記念撮影(青森山田高校の体育館)
1971. 6.14
(昭和46年)
青森 池田会長が、 奥入瀬渓流を散策。
1971. 7. 3
(昭和46年)

滝の如く 激しく

滝の如く 撓まず

滝の如く 恐れず

滝の如く 朗らかに

滝の如く 堂々と

男は

王者の風格を持て

七月三日      

池田先生

Like the waterfall fierce

like the waterfall unflagging

like the waterfall unfearing

like the waterfall merrily

like the waterfall proudly

a man should have the bearing
of a king


Daisaku Ikeda, Songs from My Heart,
Translated by Burton Watson
(New York:Wcathcrhill,Inc.,1978,1997)


創価学会歌

滝の詩(うた)
 作詞 : 山本伸一
 作曲 : 桜田武男
歌詞 :  

滝の如く 激しく

滝の如く 撓(たゆ)まず

滝の如く 恐れず

滝の如く 朗らかに

滝の如く 堂々と

男は

王者の風格を持て


1971. 7.
(昭和46年)
中日友好協会と公明党が、共同で声明を発表
1971.10. 4
(昭和46年)
関西 池田会長の作詩による長編詩「母」が発表される。(関西婦人部幹部会)
1972. 3.16
(昭和47年)
新宿区池田先生が発願主として、大願寺を建立寄進
(創価学会が、建立寄進した356ヶ寺の1つ)
1972.3.23
(昭和47年)
信濃町
池田先生が、実業家・松下幸之助先生と対談
(創価学会本部)

1972.
(昭和47年)
ローマ ローマクラブ が「人類の危機」リポート『成長の限界』を発表
1972. 4.30
(昭和47年)
フランス池田先生御夫妻 マリー・キュリーの家を訪問
(キュリー夫人が、1907年~1912年に暮らした 3階建ての赤い屋根の家)
1972. 5. 5
(昭和47年)
ロンドン
池田大作創価学会第3代会長 アーノルド・J・トインビー博士
と対談開始

Arnold J. Toynbee and Daisaku Ikeda conducted
a series of dialogues in 1972 and 1973.


池田大作/アーノルド・J・トインビー 共著

Zvol si život Wybierz życie Dialog o ludzkiej przyszłości
Избери живота Perjuangkan Hidup sebuah dialog
Wähle das Leben! Yachague Maisha mazungumzo
Man Himself Must Choose Dialoghi L'uomo deve scegliere
Yaşami Seçin Diyalog Válaszd az életet Párbeszéd
Choisis la Vie 展望21世纪
Escolha a vida Choose Life
二十一世紀への対話 MEMILIH KEHIDUPAN
  等等。

池田先生の”人類の未来のための対話”が始まる
対談者

国家元主、国連のリーダー、世界的な科学者、文豪、芸術家、哲学者、 宇宙飛行士、ジャーナリスト、人権の闘士など、各界の第一人者の方々

分野

歴史、文学、哲学、経済、教育、環境、法律、宗教社会学、数学、天文学、化学、 物理学、医学、平和学、文化人類学、未来学、指導者論、青年論、女性論など

文明

キリスト教文明。イスラム、儒教、ヒンズー教など

2008年現在、対談集 50点超。海外出版 40言語・1000点超。

1972. 5.10
(昭和47年)
英国
池田先生が、オックスフォード大学を訪問。

ウィンストン・チャーチルが産声を上げたブレナム宮殿を訪問。

1972. 5
(昭和35年)
ワシントンDC 池田先生が「リンカーン記念堂」を訪問
1972. 6.20
(昭和47年)
高知池田会長とともに記念撮影会。(6月20日 高知の日)
1972. 7. 6
(昭和47年)
東京第1回「滝山祭」に創立者の池田会長が出席。
1972. 7. 7
(昭和47年)
日本 田中角栄総理大臣就任
1972. 7.
(昭和47年)
中国 公明党第3次訪中団が、訪中
1972. 8.19
(昭和47年)
静岡
池田先生が、公害・環境研究の信念の先駆者 宇井純 氏 と会談
(池田先生:44歳 宇井純 氏: 40歳)

宇井純(1932~2006)

環境・公害問題研究家
東京都生まれ
東京大学工学部卒業後、民間企業に勤務するが、公害研究に専心するために、1959年大学院へ。熊本県の水俣病の調査を機に、多くの公害反対運動に携わる。 1970年10月東京大学助手時代に主催した「自主講座・公害原論」は、15年間で2万人を超える聴講者が訪れた。
1986年 沖縄大学教授
2003年 同大学名誉教授
アジア環境協会会長
著書「公害の政治学」「公害原論」など

もし人が生涯にたったひとつでいい
本当に良かれと思う選択をしてくれたなら
この社会は
きっと変わるはずだ

公害・環境研究の信念の先駆者 宇井純 氏

1972. 9.29
(昭和47年)
日中共同声明発表
1972.10.1.
(昭和47年)
正本堂 落成。
1973.
(昭和48年)
日本 創価学会青年部が「原水爆禁止署名運動」を開始
1973.2.4
(昭和48年)
中野区 「中野兄弟会」結成(2.4 中野区の日)
1973.2.20
(昭和48年)
渋谷区男女青年部1100名が、池田先生と記念撮影(2.20 渋谷区の日)
1973.4.2.
(昭和48年)
関西創価中学校・関西創価高等学校が女子校として開校
1973.4
(昭和48年)
門真 池田先生が、松下電器産業(現・パナソニック本社を見学。
1973.5.3.
(昭和48年)
静岡 富士美術館が開館。
1973. 5.19
(昭和48年)
ロンドン
20世紀最高峰の歴史学者アーノルド・トインビー博士と池田先生の対談が終了

私は学問の世界の人間。あなたは行動の人です。
21世紀へ向かって このような対話の渦を世界中で巻き起こしてほしい。

アーノルド・トインビー博士

1973.6.17
(昭和48年)
茨城県スポーツ祭に、池田会長が出席
1973.11.
(昭和48年)
信濃町ルネ・デュポス博士が池田先生と会談(聖教新聞社)
1973.12.1
(昭和48年)
東京 第1回中央区幹部大会
1973.12.4
(昭和48年)

池田先生が、翻訳家バートン・ワトソン博士と会談
(池田先生 45歳 バートン・ワトソン博士 48歳)

バートン・ワトソン (Burton Watson)

(1925~)
アメリカ生まれ
翻訳家
1949年 コロンビア大学卒業
京都大学で中国文学などを研究
1967年 コロンビア大学教授
1969年 司馬遷の『史記』を初めて英訳・出版
『墨子』『荀子』『韓非子』『荘子』や白楽天、蘇東坡の詩など中国古典文学の翻訳を 数多く手がける。
1979年 全米翻訳賞 受賞
1982年 世界ペンクラブ翻訳賞 受賞
2005年 文学アカデミー賞 受賞

1973.12.5
(昭和48年)

池田会長が、アグネス・チャンさんと対談(聖教新聞社)

1973.12.11
(昭和48年)
東京 第1回墨田区幹部大会
1973.12.末
(昭和48年)
日本
作家・松本清張の提案で、創価学会、日本共産党、両者の代表が「予備会談」(10月から数回)
双方の考えの合意事項7項目を文書に。 ("創共協定"(期間10年))

翌日、池田会長が、宮本委員長と会談(松本清張邸)

1974. 1. 2
(昭和49年)

正本堂建立の際の賞与御本尊

賞本門事戒壇正本堂建立
法華講総講頭 創価学会会長 池田大作
昭和四十九年一月二日

(創価学会第2別館(東京・信濃町)に御安置されている常住御本尊の脇書に、
日達上人の筆で、したためられている)

1974.1.24
(昭和49年)
鹿児島 池田先生が、第1回「水俣友の集い」で「水俣の変革は、一人の人間の革命から!」と全魂の激励を
(九州総合研修所(当時))
1974.1.26
(昭和49年)
池田先生が、鹿児島空港から香港へ
1974.3.
(昭和49年)
池田先生が、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューオリンズ、マイアミを訪問。
中米のパナマ、ペルーへ。
1974.4.01
(昭和49年)
創価大学創立者の池田会長がカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で
「二十一世紀への提言」と題し、初の大学講演
1974.5.18
(昭和49年)
東京アンドレ・マルロー氏 池田先生と対談(聖教新聞社)
1974.5.30
(昭和49年)
中国 池田会長が、中国を初訪問。
1974.7.12
(昭和49年)
東京
池田会長が、日本共産党宮本顕治委員長と会談(都内のホテル)

(作家・松元清張の勧めによるもの)
(毎日新聞の連載企画で 平和論、組織論、文学、芸術論など、幅広い人生対談となり
「ビッグ対談」として、7月15日から39回にわたって連載される。)

1974.7.15
(昭和50年)
東京
池田先生が、ハービー・ハンコックさんを激励。

世界中の人々の友であり
私の兄弟であり
そしてジャズ界の大勝利者に
生涯にわたって栄光あれと祈りつつ

池田先生




1974. 7.27
(昭和49年)
日本 "創共協定"(期間10年)が発表
1974. 9.07
(昭和49年)
日本 創価学会青年部が「原水爆禁止署名 1,000万人」を達成
1974. 9.08
(昭和49年)
モスクワ 池田先生が、 ソ連を初訪問
1974. 9.
(昭和49年)
モスクワ 池田先生が、 モスクワ大学を初訪問
1974. 9.16
(昭和49年)
池田会長が、文豪・ミハイル・ショーロホフ氏と対談
1974. 9.17
(昭和49年)
モスクワ
池田第3代会長が、コスイギン首相(ソビエト) と会見(クレムリン)

コスイギン首相「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか?」
池田会長「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。
 その根底は人間主義です。」
コスイギン首相「この原則を高く評価します。
 この思想を私たちソ連も実現すべきです。」

1974.12
(昭和49年)
北京 鄧小平副総理が池田先生と会談
1974.12.05
(昭和49年)
北京 周恩来总理会见池田大作创价学会第三任会长(北京の305病院)
(周恩来総理 76歳 池田先生 46歳)
1974.12.10
(昭和49年)
ノルウェー
オスロ
佐藤栄作総理 ノーベル平和賞 受賞
1974.12.12
(昭和49年)
北京周恩来総理 マンスフィールド駐日大使会見
1974.12.17
(昭和49年)
ソ連 佐藤栄作総理 コスイギン首相 会見(クレムリン)
1975. 1. 9
(昭和50年)
ニューヨーク 池田会長が、エール大学客員教授で評論家の加藤周一氏と会談
1975. 1.
(昭和50年)
ニューヨーク 池田会長が、ワルトハイム国連事務総長と会談
青年部の手による「核廃絶の1千万人の署名簿」を手渡される。
1975. 1.13
(昭和50年)
ワシントン
池田先生が キッシンジャー国務長官と会見

ヘンリー・A・キッシンジャー/池田大作 共著
「平和」と「人生」と「哲学」を語る
1987. 潮出版社

1975. 1.26
(昭和50年)
グアム
第1回「世界平和会議」開催。SGI ( 創価学会インタナショナル ) 結成。
池田先生が、初代SGI会長に就任。

皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、
全世界に妙法という平和の種を蒔いて、
その尊い一生を終わってください。
私もそうします。

池田先生

1975. 2.
(昭和50年)
日本 アウレリオ・ペッチェイ博士から、池田先生に「会談を希望する書簡」が届く。
1975. 2.12
(昭和50年)
東京 佐藤栄作総理大臣 池田会長 会談
1975. 3. 4
(昭和50年)
東京 池田先生が、作家 井上靖 氏と会談(聖教新聞本社)
1975. 4.
(昭和50年)
北京 鄧小平副総理 池田会長2度目の会見
1975. 4.
(昭和50年)
日本福田赳夫副総理 池田会長 会談
1975. 4.
(昭和50年)
日本 新中国から、初となる正式な国費留学生6人を創価大学に迎え
創立者である池田会長が、自ら「身元引受人」に。
1975. 4.17
(昭和50年)
カンボジア民族統一戦線により首都プノンペンが陥落。
1975. 4.18
(昭和50年)
北京池田会長 ノロドム・シアヌーク殿下 会見
1975. 4.27
(昭和50年)
コマサク皇太后が逝去(ノロドム・シアヌーク殿下の母堂)
1975. 4.30
(昭和50年)
ベトナムベトナム共和国(南ベトナム)の首都サイゴンが陥落。ベトナム戦争が終結。
1975.5.
(昭和50年)
ローマ法王庁から、池田先生へ正式な招待。
宗門の難色により、第262代ローマ教皇パウロ6世と池田先生の会見が中止。
1975. 5.
(昭和50年)
パリ
池田先生ローマクラブ のアウレリオ・ペッチェイ博士と対談開始。


池田大作/アウレリオ・ペッチェイ (ローマクラブ 創設者) 共著

二十一世紀への警鐘

読売新聞社 1984.


1975.5.19
(昭和50年)
パリ
アンドレ・マルロー氏 池田先生と2度目の対談


池田大作/アンドレ・マルロー 共著

人間革命と人間の条件


1975. 5.22
(昭和50年)
パリ池田先生御夫妻が、山崎ヨーロッパ会議議長らと共に、モスクワへ
1975. 5.27
(昭和50年)
モスクワ モスクワ大学から池田先生へ名誉博士号が授章(モスクワ大学本館九階総長室)
1975. 5.27
午後零時半
(昭和50年)
モスクワ
池田会長がモスクワ大学で「東西文化交流の新しい道」と題し講演。

先進国と発展途上国という区分は、経済発展度によるものであり、発展途上といわれる国々も 世界に誇るなんらかの文化的財産を保有している。

音楽や芸術、伝統、生活様式など、さまざまな面から光を当てる時、 先進国と発展途上国というという評価の様相は千変万化する。

池田先生

1975. 5.28
(昭和50年)
モスクワ池田会長 コスイギン首相 2度目の会見
1975. 6. 3
(昭和50年)
日本佐藤栄作内閣総理大臣 逝去
1975. 7.25
(昭和50年)
ハワイ
池田先生が、ワイキキの浜辺近くに完成した「ポリネシア村」を訪問

(「ポリネシア村」: ポリネシア(太平洋のハワイ諸島、イースター島、ニュージーランドから
なる三角形とその周辺の 島々の総称) の島々の文化遺産や伝統を、
世界の多くの人々に知ってもらい、理解を深める一助にしたいとの目的で つくられたもの)

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全米総会の前夜祭として午後8時から「ゴールデン・ハワイアン・ナイトショー」がスタート。
(野外公会堂ワイキキシェル)
3日間に渡る「ブルー・ハワイ・コンベンション」が開幕。

1975.7.26
(昭和50年)
ハワイ
ハワイ州のジョージ・アリヨシ州知事とドミニカ共和国のカルロス・ラファエル・ゴイコ・モラレス
副大統領が池田先生の宿舎のホテルを訪問
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全米総会

アロハの精神は、人種、言語等、一切の差別を超えて、人間がお互いに人間として 手を結び合うところに、意義があります。

ハワイ州 ジョージ・アリヨシ州知事

ここで、山本伸一は、世界平和実現への、自らの信念を述べていった。

私が世界への平和旅の第一歩を印したのは、今から十五年前、このハワイの地でありました。

 私は仏法者であります。平和主義者であります。私は、一切の暴力を否定する生命尊厳の信仰者であります。 私は、いかなる人とも、いかなる国とも、友好を結んでいることを信条としております。 そして、われわれは、仏法を基調とした平和と文化を推進していく団体であります。

 その仏法者の立場から、私は一貫して、"現在の世界平和実現への課題は、民族、国家、イデオロギーの壁を超えて、人間対人間の共鳴音 を、いかに奏でるかにある。" と主張し、世界平和のために、三十七カ国・地域を回ってまいりました。

 国と国との平和協定の延長線上にのみ、平和を求めるのではなく、民衆と民衆、人間と人間との友愛と調和のなかにこそ、 より深く、より強靭な真の平和は築かれていきます。

 つまり、一個の人間を基調とした『人間平和』があってこそ、崩れぬ世界の平和もありうると、考えるのであります

これは、伸一が、中国、ソ連をはじめ、あらゆる国々で訴えてきた主張であった。
彼は一個の人間に光をあてた「人間主義」の視点から、社会体制や国家の壁を超えて、人間と人間の心を結び、 世界に平和の大潮流を起こそうとしてきたのである。

それは、いわば、人類史を転換する新たな視座を示す挑戦であった。
.................................


- 新・人間革命(4096) 潮流 四十七 - より

1975.11.
(昭和50年)
日本 創価大学創立者の池田会長の提案で、「周桜」が留学生と創大生の手で植樹。
1975.11. 8
(昭和50年)
広島 池田会長が広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花
1976. 1.8
(昭和51年)

池田会長が出席されて、開館1周年を記念する勤行会(堺文化会館(現・堺平和会館))

関西の広布の『烽火(のろし)』をあげて、”大関西”に発展させた一大電源地は、堺である。......................。堺の人はよく戦った。大阪方面に大きく波動を巻き起こしたという歴史を厳然と残しておきたい。

池田先生

1976. 2.10
(昭和51年)
日本 創価大学通信教育学部が、「学校教育法」に基づく「大学教育」として
文部省から認可。
1976. 3.
(昭和51年)
英国オックスフォード大学出版局から Choose Life が出版。
1976. 3.13
(昭和51年)
交野市 創立者 池田先生が出席されて、創価女子高校の第1回卒業式
1976. 3.15
(昭和51年)
八王子市 創価大学 通信教育棟が竣工
(鉄筋コンクリート4階建ての校舎)
1976. 3.16
(昭和51年)

東京の創価高校の第6回卒業式

学園を、ただ懐かしむだけなら、自分との間に距離がある関係です。
しかし魂をとどめているという関係ならば、距離は全くなくなって、
それは自己と対象とが、いつでも一体となり、同化している状態であります。
万事、断絶だらけの現代において、
見事に断絶を乗り越えた境涯であります。


創立者 池田先生

1976. 3.31
(昭和51年)
八王子市 創価大学内に簡易郵便局が開局
1976.4.1
(昭和51年)
札幌 札幌創価幼稚園 開園
1976. 4. 2
(昭和51年)
豊中 関西戸田記念講堂が落成
1976. 4.2
(昭和51年)

堂々と

王者の城か

泉州の

友らがつくりし

人材(ひと)の石垣(いしがき)


池田先生

1976. 4.8
(昭和51年)
日本
東京・創価学園の第9回入学式
創価女子学園の第4回入学式

入学式終了後に、創立者・池田先生が創価学園へ。寮歌「草木は萌ゆる」(後の校歌)の碑の除幕式、新入生・教職員との記念撮影、 学園創立8周年の記念祝賀会などに出席。記念祝賀会の席上、学園の音楽の教師が、創立者・池田先生が作詩された「厚田村- 恩師の故郷 に憶う」に曲をつけ、独唱。

1976. 4.10
(昭和51年)
東京
創立者・池田先生が出席されて、創価大学の第6回入学式

............。清新の息吹も、歳月とともに失われ、惰性化していくのが世の常である。
しかし、そうなれば、新しい発展はない。
惰性を破るには、原点に立ち返ることだ。
伸一は、常に人間と人間の触れ合いという教育の原点に立ち返ろうとしていた。
そして、自ら行動することによって、創価教育の城に、魂の新風を送ろうとしていたのである。...........。


新・人間革命 未来 四 より

1976. 4.15
(昭和51年)
札幌
創立者・池田先生が、札幌創価幼稚園を訪問。

この創価幼稚園のスタートで、
創価教育の最初の『教育の門』が完成しました。
その幼稚園が、北海道の札幌の地に誕生した意義は極めて大きいといえます。


創立者・池田先生

1976. 4.16
(昭和51年)
札幌 創立者 池田先生が出席されて 札幌創価幼稚園の第1回入園式
1976. 5.16
(昭和51年)
東京 創価大学通信教育学部の開学式
1976. 7.16
(昭和51年)
日本 池田先生が「人間革命の歌」の作詞を開始。
1976. 7.18
(昭和51年)
日本
山本伸一作詞・作曲「人間革命の歌」が発表される。
(本部幹部会)

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午後8時40分「人間革命の歌」が完成。


創価学会歌

人間革命の歌

作詞 : 山本伸一
作曲 : 山本伸一
歌詞 :

一.

君も立て 我(われ)も立つ
広布の天地に 一人立て
正義と勇気の
旗高く 旗高く
創価桜の 道ひらけ

二.

君も征(ゆ)け 我も征く
吹雪に胸はり いざや征け
地よりか涌きたる
我なれば 我なれば
この世で果たさん 使命あり

三.

君も見よ 我も見る
遥(はる)かな虹の 晴れやかな
陽(ひ)出(い)ずる世紀は
凛々(りり)しくも 凛々しくも
人間革命 光あれ
人間革命 光あれ





.......................。
遂に、「人間革命の歌」が完成したのだ。
.........................。
ホイットマンは歌った。
「情熱、脈拍、活力、すべてにおいて測りしれぬ『いのち』をそなえ、 奔放自在な振る舞いができるよう神聖な法則どおりに造られた、 陽気で『新しい人間』をわたしは歌う」

伸一は、その「新しい人間」への道を、
歌い、示したかったのである。

- 小説 新・人間革命 勇気 四十九 より -

山本伸一は、「人間革命の歌」で、戸田城聖が獄中で悟達した、「われ地涌の菩薩なり」 との魂の叫びを、いかに表現し、伝えるかに、最も心を砕いた。

- 小説 新・人間革命 勇気 五十二 より -

1976. 7.19
(昭和51年)
豊中
女子部結成25周年記念総会
(関西戸田記念講堂)

「人間革命の歌」を大合唱

1976. 8. 5
(昭和51年)
東京
山本伸一作詞「母」が発表される。


創価学会歌


作詞 : 山本伸一
作曲 : 松原真美  松本真理子
歌詞 :

母よ  あなたは
なんと不思議な  豊富(ゆたか)な力を
もっているのか
もしも  この世に
あなたがいなければ
還るべき大地を失い
かれらは  永遠(とわ)に  放浪(さすら)う

母よ  わが母
風雪に耐え  悲しみの合掌(いのり)を
繰り返した  母よ
あなたの願いが  翼となって
天空(おおぞら)に舞いくる日まで
達者にと  祈る

母よ  あなたの
思想と聡明(かしこ)さで  春を願う
地球の上に
平安の楽符(しらべ)を  奏でてほしい
その時  あなたは
人間世紀の  母として  生きる



1976. 8.10
(昭和51年)
北アイルランド
ベルファストの市街地で、銃撃戦が始まる。ベティ・ウィリアムズ氏(33歳・2児の母)が、愛娘を乗せて運転する車が テロリストの車と間一髪すれ違う。警官の発砲を受けてテロリストの車は暴走し、道端を歩いて いた母子連れに突っ込み、天使のような幼子の命が瞬時に奪われる。

ベティ・ウィリアムズ

平和活動家。「世界子ども慈愛センター」の創設者・現会長。1943年、北アイルランド生まれ。 1男1女の母。コリガン氏(はねられた子どもの叔母)と共に平和を求める署名運動を開始。 その後、" ザ・ピース・ピープル”を組織し、平和運動に従事。北アイルランド紛争の解決を求める 世界的波動を広げた功績により、1976年、ノルウェー国民平和賞を受賞。1977年、コリガン氏と 共に、ノーベル平和賞受賞

1976.10.
(昭和51年)
青森 池田会長が、 奥入瀬渓流を訪問。
1976.11.2
(昭和51年)
日本創価班 結成
1977.10.
(昭和52年)
厚田村
(現・石狩市)
戸田記念墓地公園が開園
1978. 1.12
(昭和53年)
東京エドワード・ケネディ上院議員が池田先生と会見(聖教新聞本社)
1978. 3.16
(昭和53年)
東京
女子部歌「青春桜」が発表される。(立川文化会館)

創価学会歌

青春桜

作詞 : 山本伸一 原 治子
作曲 : 野田順子
歌詞 :

ああ新世紀 時来たる
今ひらけゆく 金の道
春の曙 創価山 創価山
私のあなたの  青春桜

ああ黎明の 時今に
花の嵐に いやまして
天地に舞いゆけ 共々に 共々に
朝日に光れ 青春桜

ああ満天に 星仰ぎ
あなたと語りし あの誓い
いかに忘れじ この道を この道を
手に手をとりたる 青春桜

ああわが使命 果たさなん
集いて来たれ 生々の
永遠の都に 爛漫と 爛漫と
薫れ生命の 青春桜
薫れ生命の 青春桜


1978. 4.1.
(昭和53年)
東京 東京創価小学校が開校
1978. 4.23
(昭和53年)
三重
三重文化合唱祭に池田会長が出席

1978. 4.27
(昭和53年)
交野市 創立者ご夫妻が、関西創価学園(当時・創価女子学園)で、中学1年生の家庭科の授業を参観。
1978. 4.26
(昭和53年)

この道よ
この一筋(ひとすじ)の この道
ああ 交野(かたの)の路(みち)よ

君よ
昇りゆく
朝日(ひ)につつまれて

いついつも あゆみし
この道を 忘れまじ

青春の
あの日 この日を
乙女(おとめ)の語らいし
ああ 交野の路

創立者 池田先生

1978. 6.30
(昭和53年)
日本
学生部歌「広布に走れ」が発表(学生部結成21周年を記念する学生部幹部会)

創価学会歌

広布に走れ(学生部歌)

作詞 : 山本伸一
作曲 : 山本伸一
歌詞 :

広き曠野(こうや)に 我等は立てり
万里めざして 白馬も堂々
いざや征(ゆ)かなん 世紀の勇者
我と我が友よ 広布に走れ

旭日(あさひ)に燃えたつ 凛々(りり)しきひとみ
慈悲(じひ)と哲理(てつり)の 学徒の誉(ほま)れ
ああ革新の 英知(えいち)は光る
我と我が友よ 広布に走れ

今ほとばしる 大河の中に
語り尽くさなん 銀波(ぎんぱ)をあびて
歴史を創るは この船たしか
我と我が友よ 広布に走れ



2009年 新・女子学生部歌「勝利の青春」が発表

創価学会歌

新・女子学生部歌「勝利の青春」

作詞 女子学生部有志
作曲 深見麻悠子
歌詞 :

1.
さあ! 輝(かがや)く太陽 誓(ちか)いの朝
妙(たえ)なるハーモニー 胸に響かせ
「学びに 学べや 未来(あす)のため」
わが師と 共(とも)に! 福智(ふくち)の青春

2.
さあ! 輝く笑顔(えがお) 使命の道
貴女(あなた)も私(わたし)も 広布(こうふ)の華(はな)よ
「語(かた)りに 語れや 民衆(とも)のため」
わが師と 共に! 正義の青春

3.
ああ! 輝く星(ほし)に 満(み)たせる胸
感謝(かんしゃ)の微笑(ほほえ)み 父母(ちちはは)に
「美しく 高く 君よ 舞いゆけ!」
わが師と 共に! 勝利の青春
わが師と 共に! 永遠(とわ)に勝利を!


2009年 新・学生部歌「先駆(せんく)の英雄(えいゆう)」が発表

創価学会歌

新・学生部歌「先駆(せんく)の英雄(えいゆう)」

作詞/作曲 学生部有志
歌詞 :

1.
いざ立ち上がれ 若き英知よ
偉大な使命に 我ら燃ゆ
師子(しし)の雄叫(おたけ)び 天地(てんち)に轟(とどろ)きて
先駆の英雄 正義の旗ふれ!

2.
いざ結びゆけ 世界の友と
逆巻(さかま)く波浪(はろう) 見下(みお)ろして
平和の凱歌(がいか)を 天(てん)高(たか)らかに
勝利の英雄 世紀を動かせ!

3.
いざ走りゆけ 我と君(きみ)とは
師弟の陣列 不二の大道(みち)
無敵の力よ 今 ほとばしれ
創価の英雄 永久(とわ)に勝ちまくれ!
広布(こうふ)の英雄 永久(とわ)に勝ちまくれ!

1978.7.3
(昭和53年)

池田会長の作詞・作曲による 白蓮グループ歌「星は光りて」が誕生。(立川文化会館)


1978.7.8
(昭和53年)
練馬区 練馬区の支部長・支部婦人部長の代表と懇談した池田会長が、席上、区内の北町地域の4支部に、支部歌「北町広布の歌」 (山本伸一作詞・作曲)を贈る。
1978.7.14
(昭和53年)

創立者・池田先生が出席されて、
創価大学「滝山祭」と合同開催された創価学園第11回「栄光祭」
(テーマ 「負けじ魂ここにあり」)

「負けじ魂ここにあり」― なんと素晴らしいテーマか。
今、社会で、世界で、最も忘れられた根本の人生の象徴を、栄光祭・滝山祭でテーマにしたこと 、それ自体に感動した一人であります。

創立者 池田先生

1978. 7.17
(昭和53年)
関西
池田先生が出席されて 7・17「大阪の日」記念「関西幹部会」 (関西戸田記念講堂)
山本伸一 作詞 関西の歌「常勝の空」が発表される。



歌に歴史あり、学会に正義の歌あり!

この歌は、無実の罪で囚われていた若き池田先生が出獄。沛然(はいぜん)たる雨、雷鳴が轟く中、 信念と不屈の大獅子吼(ししく)を放った不滅の '常勝・不敗' の原点を刻んだ「大阪大会」(中之島・大阪市中央公会堂)から21年の佳節を迎えた1978年(昭和53年)7月17日 池田会長が出席した 7・17「大阪の日」記念 「関西幹部会」 (関西戸田記念講堂)の席上発表された。

池田会長が、作曲者とともに何度も推敲を重ねられ、 発表直前に完成した山本伸一 作詞 関西の歌「常勝の空」。"常に、今こそ、今こそ、という精神を込めた"  "いかに大勢の同志がいても、常に一人称と二人称の間柄で進みたい。しかも久遠からの縁(えにし)だ"  "苦楽をともにした同志のことを誰が忘れようか....."  "関西よ、いかなる苦難があろうと、断じて負けるな! 勇み立て!"その慈愛に包まれた共戦の譜。



会場では、池田会長の見守る中、「関西の歌」のタイトルとともに、歌詞が書かれ、「大阪大会」の会場だった、 中之島の大阪市中央公会堂の描かれた縦約5メートル、横約20メートルの超特大の幕が出現。参加した4000人の同志が、池田先生とともに大合唱。 この歌には、師弟常勝の誓いが込められている。


創価学会歌

関西の歌「常勝の空」

作詞 : 山本伸一
作曲 : 杉野泰彦

歌詞 :

今再びの 陣列に
君と我(われ)とは 久遠(くおん)より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て

我等の誉れ 錦州城(きんのしろ)
常勝の空 晴ればれと
凱歌(がいか)の友の 雄叫(おたけ)びは
波濤(はとう)の如く 天に舞え

あゝ関西の 行進に
諸天の旗も 色冴えて
護(まも)りに護らん 我が友を
いざや前進 恐れなく
いざや前進 恐れなく


1978. 7.19
(昭和53年)
午後
池田会長が、京都駅から「ひかり7号」で岡山へ
車中 九州の歌「火の国の歌」の歌詞が完成
1978. 7.19
(昭和53年)
岡山 池田先生が、「中国の歌」地涌の讃歌の作詞を開始。(岡山文化会館(現・岡山南文化会館))
1978. 7.19
(昭和53年)
千葉県
館山
房総圏総会の席上 関東で第1号となる「千葉の歌」(「旭日遥かに」)が晴れ晴れ と大合唱。
1978. 7.20
(昭和53年)
池田会長が、伯備線の特急「やくも3号」で "山光"鳥取の米子へ
列車内で「四国の歌」の歌詞が完成。米子文化会館に到着され、直ちに四国の友に伝えられる。
1978. 7.20
(昭和53年)
鳥取 池田先生が、ホタルの飛び交う中 鳥取の同志と歓談。その合間に 曲のついた「中国の歌」のテープを聴かれながら、懐中電灯の明かりのもとで歌詞を再チェックされて 中国方面の歌「地涌の讃歌」が完成。
1978. 7.22
(昭和53年)
鳥取 本部幹部会の席上 中国方面の歌「地涌の讃歌」が正式に発表。
1978. 7.24
(昭和53年)
香川県
庵始町
池田会長が、岡山の研修メンバーとともに、四国研修道場へ。 夕焼け空に包まれた野外研修会で 四国の歌「我等(われら)の天地」が発表。
1978. 7.24

(昭和53年)
熊本
九州の歌「火の国の歌」が初披露。

(2006年に、「新生 九州の歌『大九州の友は晴れ晴れと』」が誕生。)

1978. 7.27
(昭和53年)
名古屋
中部文化会館で開催された「中部の日」記念幹部会に池田会長が出席。
席上、池田会長の作詞による 「この道の歌」(中部歌)が発表。

創価学会歌

この道の歌(中部歌)

作詞 : 山本伸一
作曲 : 中島光治
歌詞 :

ああ我等我等の  決めた道
この道歩まん  朗らかに
不退の君と  悔いあらじ  悔いあらじ
ああ中部中部  和楽あれ

ああ走れ語れよ  この道で
苦難の彼方に  瑠璃の城
これぞ本陣  護れ君  護れ君
ああ中部中部  歓喜あれ

ああ朝な夕なに  この道を
口笛涼しく  友どちと
夜空にはずむ  語りべに  語りべに
ああ中部中部  諸天舞え
ああ中部中部  諸天舞え

1978. 8. 1
(昭和53年)
東京マンスフィールド駐日大使 池田会長会見
1978. 8. 1
(昭和53年)
東京の歌「ああ感激の同志あり」が聖教新聞紙上で発表。
1978. 8. 1
(昭和53年)
高等部歌「正義の走者」が、聖教新聞で発表
(池田先生が、高等部有志の試作に何度も推敲を重ねた「師弟の魂の歌」)
1978. 8. 2
(昭和53年)
東京 東京支部長会に池田先生が出席。東京の歌「ああ感激の同志あり」が紹介される。
1978. 8. 3
(昭和53年)

第11回「高等部総会」に池田会長が出席。高等部歌「正義の走者」が披露。




2010年 池田先生が新たに加筆され、高等部歌「正義の走者」が未来部歌「正義の走者」

創価学会歌

未来部歌「正義の走者」


作詞 : 山本伸一
作曲 : 菅沼知彦
歌詞 :

1.

我れ今あとを 継がんとて
心凛々しく 時待たん
この身の彼方は 新時代
踊る舞台と 今強く
学べ尽くさん 正義の道をば

2.

君も負けるな いつの日か
共々誓いし この道を
嵐も 吹雪も いざや征け
これぞメロスの 誉(ほま)れなり
ああ万感の 時待たんと

3.

この世の誇りと 使命をば
情熱 燃ゆる 君もまた
勝利の旗の 走者なり
花の輪広げん 走者なり
ああ柱たれ 我等の時代の
ああ柱たれ 我等の時代の



1978. 8. 6
(昭和53年)
山形
「置賜ふるさと祭典」。池田会長の、作詞・作曲による 「青葉の誓い」(東北の歌)が発表。

創価学会歌

「青葉の誓い」(東北の歌)

作詞 : 山本伸一
作曲 : 山本伸一
歌詞 :

青葉の森に 誓いたる
我等の誇り 忘れまじ
いかに護(まも)らん 果たさなん
同志の城に 月冴(さ)えて
ああ東北の 功徳(くどく)の山々よ

風雪越えし 我等こそ
地涌(じゆ)の正義の 旗頭(はたがしら)
今堂々の 陣列は
使命の旗を 高らかに
ああ東北の 歓喜(かんき)の友々よ

おお新生の 道広く
王者の鼓動(こどう)は 雄渾(ゆうこん)に
三世の光と  ひらかなん
これぞ元初(がんじょ)の 太陽と
ああ東北の凱歌(がいか)の人々よ
ああ東北の凱歌の人々よ

1978.8.12
(昭和53年)
北京日中平和友好条約締結
1978.8
(昭和53年)

昭和53年8月前半に、池田会長が同志に贈られた学会歌。

「ああ陽(ひ)は昇(のぼ)る」(神奈川)
「ああ誓願(せいがん)の歌」(北陸)

昭和53年8月後半に、池田先生が同志に贈られた学会歌。

「ああ共戦の歌」(北海道)
「信濃(しなの)の歌」(長野)

北海道の歌は、2008年「三代城の歌」と改題し、新たな方面歌に。

1978.秋
(昭和53年)

創価学園「鳳友祭」

創価学園 愛唱歌

負けじ魂ここにあり

1.

桜(さくら)の舞(ま)いゆく
春の陽(ひ)に
友とかけゆく
この天地(てんち)
世紀(せいき)を語(かた)る
笑顔(えがお)には
負(ま)けじ魂(だましい)
かがやけり

2.

燃(も)ゆる陽(ひ)ざしに
汗(あせ)光(ひか)り
進(すす)め 我(わ)が君(きみ)
この道を
胸(むね)うつ響(ひび)き
紅顔(こうがん)に
負けじ魂
ここにあり

3.

烈風(れっぷう)りりしく
身(み)に受けて
未来の鼓動は
この生命(いのち)
喜び踊れ
丈夫(ますらお)は
負けじ魂
我が胸に

4.

母(はは)よ我(わ)が師(し)よ
忘(わす)れまじ
苦難(くなん)とロマンを
この我(われ)は
いつか登(のぼ)らん
王者(おうじゃ)の山(やま)を
負けじ魂
いつまでも

5.

正義の誇りに 胸を張れ
君に託さん この大城(しろ)を
学べ勝ち抜け 世界まで
負けじ魂 朗らかに



...................。昭和五十三年の秋、わが創価学園生たちが新しい愛唱歌を作った。題名は「負けじ魂(だましい)ここにあり」。 私は、四番の歌詞を綴り贈った。

母(はは)よ我(わ)が師(し)よ
忘(わす)れまじ
苦難(くなん)とロマンを
この我(われ)は
いつか登(のぼ)らん
王者(おうじゃ)の山(やま)を
負けじ魂
いつまでも

登るべき山は眼前にある。険しければ険しいほど、挑戦の心は誇り高い。さあ、歌声も朗らかに、勝利の頂(いただき)へ、勇気と希望の一歩を!
...................。

池田先生

- 大白蓮華巻頭言「負けじ魂ここにあり」(2009.3.)より -


1978. 9.19
(昭和53年)
北京李先念副主席 池田会長 会見
1978.10.
(昭和53年)

昭和53年10月に、池田先生が同志に贈られた学会歌。

「母の曲」(婦人部)
「凱歌の人生」(茨城)
「広布(こうふ)の旗」(埼玉)
「地涌の旗」(世田谷)
「雪山(せっせん)の道」(新潟)

創価学会歌

凱歌の人生(茨城県歌)

作詞:山本伸一
作曲:半杭克己
歌詞:

おお寒風に 梅の香を
君も友どち 耐え勝ちぬ
いざや歌わん 茨城の
凱歌の人生 創らんや
凱歌の人生 輝けり

真赤な太陽 わが胸に
苦楽の旅に 諸天舞え
ああ常楽に 坂あるも
共に肩くみ 友の列
共に肩くみ 幸の列

君よ辛くも いつの日か
広宣流布の 金の風
歓喜の凱歌の 勝ちどきを
天空までも 叫ばんや
ああ茨城は 勇者あり
ああ茨城は 勇者あり

1978.10.
(昭和53年)
邓小平副総理、黄華外相 訪日
1978.10.7
(昭和53年)
東京 池田会長が出席されて、第1回離島本部総会(創価文化会館)(離島部の日)
1978.10.11
(昭和53年)
豊中市 池田会長が、城東区の総会に出席(関西戸田記念講堂)
1978.11.
(昭和53年)

昭和53年11月に、池田先生が同志に贈られた学会歌。

「誓いの友」(栃木)
「永遠(とわ)の青春」(指導部)
「文化と薫(かお)れ」(山梨)
「歓喜の城(しろ)光れ」(泉州)
「広布の鐘(かね)」(群馬)
「静岡健児の歌」(静岡)

沖縄には「沖縄健児の歌」、信越には「美しき信越」がある。

1978.11.
(昭和53年)
加古川市池田会長が、加古川文化会館を初訪問
1978.11.10
(昭和53年)
泉州池田先生が、泉州文化会館を初訪問
1978.11.10
(昭和53年)
堺支部結成25周年を祝賀する勤行会に、池田先生が出席。(堺文化会館(現・堺平和会館))
1978.11.11
(昭和53年)
泉州池田会長が出席されて記念勤行会(泉州文化会館)
1978.11.12
(昭和53年)
泉州泉州圏女子部総会で池田会長作詞 泉州の歌「歓喜の城 光れ」が発表(泉州文化会館)
1978.11.12
(昭和53年)
南大阪南大阪文化会館(現・羽曳野文化会館)で行われた羽曳野・藤井寺2本部合同の大ブロック長会で、
池田会長が「大楠公」など6曲をピアノ演奏。
1978.11.14
(昭和53年)
姫路 池田先生が、姫路文化会館の会合に出席。「熱原の三烈士」などをピアノ演奏
1978.12.15
(昭和53年)
米中国交樹立発表
1978.12.16
(昭和53年)
荒川区 池田先生が、クルーグロア ソ連対外友好文化交流団体連合界議長と会見
小説『人間革命』第10巻 の出版記念セレモニー 開催
(荒川文化会館)
1979.
(昭和54年)
世界詩歌協会のスリニバス会長が池田先生と会見
1979.
(昭和54年)
創価学会青年部が「インドシナ難民救援募金」を実施。
6,400万円の義援金を寄付。
1979. 1.
(昭和54年)
米中国交樹立
1979. 2.
(昭和54年)
鹿児島池田先生が、鹿児島空港からインドへ。
1979. 3.15
(昭和54年)
府中市 池田先生が、座談会に出席
1979. 4.12
(昭和54年)
東京池田会長が、中国の人民の母 鄧穎超先生と再会。(迎賓館)
1979. 4.13
(昭和54年)
横浜池田先生が神奈川文化会館へ
1979. 4.14
(昭和54年)
横浜
池田会長が出席されて開館記念勤行会
(神奈川文化会館)
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池田第3代会長が、旭区の金沢会館を訪問。美しいバラ園に「池沢園」と命名なされる。

1979. 4.24
(昭和54年)
日本
池田先生が会長を勇退。名誉会長に就任。(新宿文化会館)

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大阪の緊急本部長会(守口門真文化会館(現・守口文化会館))
(「4.24」 常勝大阪師弟誓願の日)

古(いにしえ)の
奇(く)しき縁(えにし)に
仕(つか)えしを
人は変(かわ)れど
われは変らじ

たとえ池田先生が会長職を辞めても
関西の私たちの師匠は永遠に池田先生です!

西口関西長

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関西七勇士 池田先生のもとへ向かう

1979. 5. 3
(昭和54年)
日本
読売新聞 朝刊 「日米の国民の意識調査の結果」
日本人が「最も尊敬する」日本人

1. 吉田茂
2. 野口英世
3. 二宮尊徳
4. 福沢諭吉
5. 昭和天皇
6. 池田大作

1979.5.3 読売新聞 朝刊

八王子市
本部総会(創価大学・体育館)




大山(たいざん)


わが友よ
嵐に不動乃(の)
信心たれと祈りつつ
五十四年五月三日
創大にて
式後 記(しる)す也(なり)

池田先生




大桜(おおざくら)


わが友乃(の)
功徳満開たれと
祈りつつ
五十四年五月三日
創大にて 合掌

池田先生


横浜
池田先生が、神奈川文化会館へ

池田先生が「共戦」の御揮毫をしたためられる。

脇書「五十四年五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり
真実の同志あるを 信じつつ 合掌」


共戦


五十四年五月三日夜
生涯にわたり
われ広布を
不動の心にて
決意あり
真実の同志あるを
信じつつ
合掌

池田先生


横浜山下公園通りで、横浜港の開港120周年を祝う「みなと祭り」のパレード。
1979. 5. 5
(昭和54年)
横浜
池田先生ご夫妻が、保土ヶ谷区の友の愛艇「21世紀号」に乗船。(横浜港)

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池田先生が「正義」の御揮毫をしたためられる。

脇書「五十四年五月五日 神奈川文化にて われ一人(ひとり)正義の旗持つ也(なり)」
(神奈川文化会館)


正義


五十四年五月五日
神奈川文化にて
われ一人(ひとり)正義の
旗持つ也(なり)

池田先生


1979. 5.11.
(昭和54年)
立川
池田先生が、立川文化会館へ

西に 満々(まんまん)たる夕日
東に 満月 煌々(こうこう)たり
天空は 薄暮(はくぼ) 爽(さわ)やか
この一瞬の静寂(せいじゃく)
元初の生命の一幅の絵画
我が境涯も又
自在無礙(むげ)に相似(あいに)たり

  
池田先生

1979. 5.21
(昭和54年)
交野市 関西創価学園の友が情熱を傾けて育ててきた蛍が、最初に夜空に舞う。(第1号となる3匹の蛍)
1979. 5.27
(昭和54年)
横浜池田香峯子SGI(創価学会インタナショナル)会長夫人が婦人部総会に出席(神奈川婦人部の日)
1979. 6. 2
(昭和54年)
東京池田先生が、北区の「弥生合唱団」「弥生オーケストラ」が練習している会場へ。
1979. 6. 2
(昭和54年)
豊中市2匹の蛍が舞う(師弟の蛍)(関西戸田記念館)
1979. 7.15
(昭和54年)
豊中
池田先生の奥様が出席されて、第1回「関西記念合唱祭」 (関西戸田記念講堂)

関西の友が、学会歌49曲を合唱

1979. 7.16
(昭和54年)
神奈川
池田先生が「鳳雛(ほうすう)会」「鳳雛グループ」の友に
一詩を綴り贈られる。

わが最愛の

鳳雛の弟子たちよ

池田先生


この日の誓いを
忘ること勿(なか)れ
われ いかなる事あれども
その遺業を
必ずや君達が
雄渾なる信心にて
又 炎(ほのお)の使命感を持(も)ち
成就しゆくことを
私は固く信じている
合掌

池田先生


狂気の讒言(ざんげん)の中
一人(ひとり)正義の旗を持ち
耐えつつ 君らを偲(しの)びつつ

池田先生

1979. 7.17
(昭和54年)
東京
創価大学「滝山祭」と合同開催された創価学園「栄光祭」に創立者・池田名誉会長が出席。
席上、愛唱歌「負けじ魂ここにあり」や創価大学学生歌を大合唱した。

1979. 7.22
(昭和54年)
  日達上人 逝去
1979. 8.18
(昭和54年)
横浜 「白糸(しらいと)会」結成11周年総会
(神奈川文化会館)
1979.10.
(昭和54年)
横浜
池田先生の母校・「富士短期大学(現・東京富士大学短期大学部)」の大学会総会と、
池田先生の高校の母校・東洋高校(前身は東洋商業)の高校会総会が、合同で行われ、
池田先生が、桜を植樹(「富士短桜」)

1979.11.18
(昭和54年)
関西第1回関西総会
1979.12.
(昭和54年)
ソ連がアフガニスタンを侵攻
1979.12.02
(昭和54年)
関西 関西男声合唱団 発足
1980.1.1
(昭和55年)

幾山河

ふたたび越えなむ

ともどもに

広宣の旗

厳といだきて

池田先生

1980.1.14
(昭和55年)
横浜 四国の友3,000人が、客船「さんふらわあ7」号で池田先生のもとへ
1980. 3.9
(昭和55年)
東京 常勝大阪の門真の友600人が、新幹線で池田先生のもとへ
池田先生がピアノを弾かれる
1980.
(昭和55年)
アメリカ核の脅威展
1980.3.22
(昭和55年)
東京
創価大学第6回卒業式
(通信教育部第1回卒業式)

たゆまぬ努力と実践で、社会で信用を勝ち取ってもらいたい。

生涯、学問をするという姿勢を貫いてもらいたい。

創価大学創立者 池田先生

1980. 3.25
(昭和55年)
東京 池田名誉会長が、江東文化会館を初訪問。
1980.
(昭和55年)
日本 松下幸之助先生が 松下政経塾を開塾
1980. 4. 5
(昭和55年)
静岡
中国作家代表団の巴金氏、謝冰心女史一行を、池田先生が歓迎
(静岡研修道場)

ただ願わくば後継の人ありて、
中日両国人民
子々孫々友好なれば、
老人の願い満たすものならんや

中国文学の母 謝冰心

1980. 4.13
(昭和55年)
横浜 関西指導部大会に池田先生が出席(神奈川文化会館)
1980. 4.
(昭和55年)
池田先生が「大白蓮華」に「恩師と桜」と題する随想を執筆。
1980. 5. 3
(昭和55年)
大阪
池田先生のご出席のもと「『5・3』創価学会の日」記念勤行会(関西文化会館)







五月三日


昭和二十六年五月三日
昭和二十七年五月三日
昭和三十五年五月三日
昭和五十四年五月三日
昭和五十八年五月三日
西暦二〇〇一年五月三日

此(こ)の日はわが学会乃(の)原点也(なり)

昭和五十五年五月三日 記(しる)す
心爽(さわ)やかなり 合掌

池田先生


(関西牧口記念館)



『人間革命』の此の原稿は
わが師 戸田城聖先生の真実の
広布への大ロマンにして
弟子 池田大作が
確かに書き留めしもの也
一切の非難と謀略の言を
信ずること忽れ
我が門下に深く留む

池田先生

(『人間革命』の原稿の "綴り"の第4巻の扉)

1980. 5. 4
(昭和55年)
豊中市 関西戸田記念講堂で、豊中の同志が池田先生と記念撮影
1980. 5. 5
(昭和55年)
大阪「関西同志の集い」に池田先生が出席(関西文化会館)
1980. 5. 5
(昭和55年)
大阪「創価学会後継者の日」を祝う記念勤行会に池田先生が出席(関西文化会館)
(池田先生のお姿が、聖教新聞で報道。)
1980. 5. 5
午後5時55分
(昭和55年)
大阪池田先生が関西鉄人会55名を激励(関西文化会館)
1980. 5. 7
(昭和55年)
大阪池田先生が出席されて開館記念勤行会(関西文化会館)
1980.夏
(昭和55年)
小説「人間革命」の連載が再開(聖教新聞)
1980.夏
(昭和55年)
「忘れ得ぬ同志」の新連載(聖教新聞)
1980.12.20
(昭和55年)
渋谷区
池田先生が、実業家・松下幸之助先生と対談
(国際友好会館)

素直な心

松下幸之助先生

1981. 3.
(昭和56年)
メキシコ池田先生が、グアダラハラ大学で「メキシコの詩心(しごころ)に思うこと」と題し講演。
1981. 4.1.
(昭和56年)
世界芸術文化アカデミーから池田先生に「桂冠詩人」称号。
1981. 5.
(昭和56年)
モスクワ池田SGI会長が、チーホノフ首相との会見で、「米ソ首脳会談の早期開催」を提案。
1981. 5.
(昭和56年)
モスクワ池田先生が、トルストイの家を訪問。
1981. 5.18
(昭和56年)
フランクフルト 池田先生が、欧州の若き友らとゲーテの生家を訪問。
(5階建ての堂々たる家屋、第2次世界大戦で破壊され復元された)
1981. 6. 1
(昭和56年)
フィレンツェ池田先生が、青年たちちともに、ダンテの家を訪問。
(繁華街の一角にひっそりと立つ石造りの家。復元されて今に伝えられている。
外壁には、厳しい表情を浮かべたダンテの表情が浮かべられている)
1981. 6.
(昭和56年)
マルセイユ
池田先生が、地中海に浮かぶ イフ島の監獄(シャトー・ディフ)を一望。

イフ島:

デュマの名作 「モンテ・クリスト伯」(「巌窟王」(がんくつおう))で、主人公 エドモン・ダンテスが幽閉された島。

1981. 6.20
(昭和56年)
アメリカ
信仰とは

何ものをも恐れぬことだ

何ものにも粉動されぬことだ

何ものをも乗り越える力だ

何ものをも解決していく源泉だ

何ものにも勝ち

乗り越えていく

痛快なる人生航路のエンジンだ


池田先生

「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」より


1981.7
(昭和56年)
サンフラ
ンシスコ
世界芸術文化アカデミーから、池田先生に「桂冠詩人」称号が授与。(第5回 世界詩人会議)
1981.9
(昭和56年)
東京 ミラノ「スカラ座」日本公演 招聘 (財)民主音楽協会
1981.10.25
(昭和56年)
東京足立区友好総会に池田先生が出席(創価大学グラウンド)
1981.11.15
(昭和56年)
交野市池田先生が、関西創価学園(当時・創価女子学園)の第2回「蛍友祭」に出席
1981.11.
(昭和56年)
四国
「紅(くれない)の歌」が発表。(四国研修道場)

創価学会歌

紅の歌

作詞:山本伸一
作曲:菅沼知彦
歌詞:

1.

ああ紅の 朝明けて
魁光りぬ 丈夫は
ああ暁鐘を 打て 鳴らせ
驕(おご)れる波浪よ なにかせむ
邪悪の徒には 栄えなし
地涌の正義に 民衆(たみ)の旗

2.

毀誉褒貶(きよほうへん)の 人降し
輝く王道 この坂を
父(ふ)の滸(もと)集いし 吾らあり
子(きみ)よ大樹と 仰ぎ見む
ああ青春の 金の汗
誓いの青藍 虹かかれ

3.

老いたる父母の 築きたる
広布の城をいざ 護り抜け
眩き地平に 澎湃(ほうはい)と
若き翼よ 爽やかに
万葉の詩 ともどもに
舞いに舞い征け 世紀まで

万葉の詩 ともどもに
舞いに舞い征け 世紀まで

1981.11.21
(昭和56年)
大阪市 池田先生が、阿倍野区ワーキングミセスのメンバーと勤行
(関西文化会館 池田記念講堂)
1981.11.22
(昭和56年)
豊中市 第3回関西総会(関西戸田記念講堂)
池田先生が、指揮を執られ「嗚呼黎明は近づけり」を合唱。
1981.12.
(昭和56年)
創価学会が国連広報局NGO(非政府組織)に。
1981.12.10
(昭和56年)
大分 「青年よ二十一世紀の広布の山を登れ」が発表。
(大分県青年部幹部会)
1981.12.12
(昭和57年)
大分・竹田市の岡城址
竹田城

いまだ崩(くず)れず

この土台(どだい)

人もかくあれ

創価もかくあれ

池田先生

「光の詩(うた)」より

1982.1.9
(昭和57年)
目黒 池田先生が、目黒平和会館(現・目黒国際文化会館)を訪問
1982. 1.14
(昭和57年)
秋田
かまくらを

つくりし友の

嬉しさよ

秋田に春の

曲はなりけり

池田先生

1982.
(昭和57年)
ニュ-ヨ-ク「核兵器 現代世界の脅威」展
1982. 2.10
(昭和57年)
茨城池田先生が、日立会館を訪問
1982. 2.11
(昭和57年)
茨城池田先生が、茨城文化会館、鹿島会館を訪問
1982. 3.22
(昭和57年)
大阪
池田先生が出席されて、第1回関西青年平和文化祭(長居陸上競技場)

六段円塔 関西魂

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日顕が、池田先生を大石寺に呼びつける。

(池田先生の関西指導の予定が急遽変更・池田先生は、静岡へ)

どうして「御法主上人(ごほっすしょうにん)」と言わなかったのか

日顕
(聖教新聞 2008.6.11)

静岡
1982. 4.1.
(昭和57年)
大阪 関西創価小学校開校
1982. 4.15
(昭和57年)
神戸 池田先生が出席されて、本部幹部会(4.15 神戸の日)
(神戸市立中央体育館)
1982.5.3
(昭和57年)
大阪 池田先生のご出席のもと「創価学会の日」記念勤行会(関西文化会館)
席上、「新世紀会」が結成。
1982.6.3
(昭和57年)
ニューヨーク 「現代世界の核の脅威」展が、国連本部でスタート
1983.1.8
(昭和57年)
目黒 池田名誉会長が目黒平和会館(当時)を訪問(1.8 目黒総区婦人部の日)
1983.1.25
(昭和58年)
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が「米ソ首脳会談の早期開催」を提案
第1回「SGIの日 記念提言」を発表。
1983.2.10
(昭和58年)
荒川区 池田名誉会長が、荒川文化会館を訪問
1983.3.19
(昭和58年)

池田先生が出席されて自由勤行会(河内文化会館)
「うれしいひな祭り」「夕焼け小焼け」「春が来た」をピアノ演奏

1983.
(昭和58年)
池田先生が、 (財)東京富士美術館を創立
1983. 5.
(昭和58年)
アラスカ池田SGI会長ご夫妻が、アラスカ州を訪問・アンカレジでの第1回北米総会に出席。
1983. 5.30
(昭和58年)
アラスカ池田先生が、アンカレジ郊外のボーテージ氷河を訪問。
1983. 8. 8.
(昭和58年)
池田先生に「国連平和賞」。
1983.11.02
(昭和58年)
東京 東京富士美術館が開館
1983.
(昭和58年)
アメリカ ハービー・ハンコックさんが、アメリカ音楽界の最高栄誉であるグラミー賞を受賞
1984.
(昭和59年)

新世紀へ乃前進

池田先生


1984. 3.
(昭和59年)
ローマクラブ 創設者 アウレリオ・ペッチェイ博士が、逝去。
1984. 5.20
(昭和59年)
鳥取池田会長が出席されて、鳥取青年平和文化祭(倉吉体育文化会館)
1984. 6. 4
(昭和59年)
中国 池田先生が、訪中団一行とともに 故・周恩来総理夫人で政治協商会議主席の鄧穎超先生と会見。
(人民大会堂)
1984. 6. 5
(昭和59年)
中国 池田先生が、北京大学の「名誉教授」称号を受章
「平和への王道 - 私の一考察」と題し記念講演
1984. 6.15
(昭和59年)
マレーシア SGM (マレーシア創価学会) が全国法人を取得(6.15マレーシアの日)
1984. 9.30
(昭和59年)
西宮市
池田先生が出席されて、第4回「世界平和文化祭」
(阪神甲子園球場)




あゝ関西

ついに誓願

果たさむと

三世の歴史に

常勝 飾れり

池田先生


十万乃

あゝ青春の

陣列は

広布の暁

ここに 見るらむ

池田先生


1985. 1.22
(昭和60年)
城東区 池田名誉会長が、北大阪文化会館(現・城東平和会館)を訪問
1985. 1.25
(昭和60年)
大阪 池田先生が、西大阪文化会館(現・住之江文化会館)を初訪問(1.25 西大阪総県の日)
1985. 2. 4
(昭和60年)
愛媛池田先生が、大洲会館を訪問
1985. 3. 6
(昭和60年)
東京 中国青年代表団(胡錦濤団長(中華全国青年連合会 主席))を池田先生が、歓迎。
「中華全国青年連合会」と「創価学会青年部」の「交流協定」が結ばれる。
1985. 3.17
(昭和60年)
茨木市北摂代表幹部会に池田先生が出席(北摂文化会館)
1985. 4.2.
(昭和60年)
東京創価女子短期大学が開学
1985.11.
(昭和60年)
ジュネーブ レーガン(米大統領)ゴルバチョフ(ソ連書記長)会談
1986.
(昭和61年)
寧波 壮大な「海のシルクロード」の起点 寧波の天地に
「世界の海運王」 と謳われた大実業家・包玉剛先生の尽力により
寧波大学が、創立
1986. 5.04
(昭和61年)
大阪市 池田先生が、関西の友と一緒に「適塾」を訪問。
1986. 6.20
(昭和61年)
夕暮れ
交野市 池田先生が「関西創価学園の友が情熱を傾けて育ててきた蛍」を、観賞になられる。
1986.10.
(昭和61年)
レイキャビク レーガン(米大統領)ゴルバチョフ(ソ連書記長)会談
1986.11. 1
(昭和61年)
八王子 池田名誉会長が、第1回八王子総会に出席(東京会館(当時))(11.1 八王子の日)
1986.11.10
(昭和61年)
吹田池田先生が、吹田文化会館を初訪問
1986.11.12
(昭和61年)
大正区
池田先生が、「大正文化会館」を初訪問。

誇りあれ

庶民の都の

大正区

ああ寂光の

舞台広げむ

池田先生


負けること

知らぬ庶民の

信行に

諸仏は微笑み

諸天は守らむ

池田先生

1986.11.22
(昭和61年)
東京
日顕が超高級料亭で大豪遊。(赤坂)

「創価新報」(1992年(平成4年)11月4日、11月18日付) が報道。
この報道に関し、日顕一味が、自分から訴えた裁判で敗訴
( 2004.2.24 (平成16年)最高裁判所第三小法廷(金谷利廣裁判長))


from 日蓮正宗問題研究

1987. 2. 8
(昭和62年)
ドミニカ 池田先生 ドミニカ訪問
1987. 7.6
(昭和62年)
山形 池田先生が出席されて「新生・山形第1回幹部大会」(山形平和会館)
1987. 7.13
(昭和62年)
船橋市 池田名誉会長が、船橋文化会館を訪問(7.13「船橋の日」)
1987. 8.16
(昭和62年)
群馬 池田先生ご夫妻が、「はるな平和墓苑」へ。
1987. 9.13
(昭和62年)
船橋市 池田名誉会長が、足立の栄光会の友を激励。
1988. 2. 3
(昭和63年)
タイ プーミポン国王 池田先生 会見(バンコク・チトラダ宮殿)
1988. 5.
(昭和63年)
パリ池田大作写真展 永遠の日本
1988.11. 8
(昭和63年)
東京ブライアン・ワイルドスミス氏が池田先生と会談(聖教新聞社)
1988. 2.
(昭和63年)
マレーシア 池田SGI会長が、マレーシア初訪問
マレーシア文化会館が落成
1989.3.19
(平成元年)
西成区 池田先生が、西成文化会館を訪問。
1989.3.
(平成元年)
東京 ハーバード大学 ジョセフ・ナイ教授が、 聖教新聞社を訪問
池田先生と会談
1989. 4.
(平成元年)
東成区 関西国際友好会館(現・東成文化会館) 開館。
1989. 4. 5
(平成元年)
東京 プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下御撮影「特別撮影展」(東京富士美術館)
1989.5.
(平成元年)
中国ゴルバチョフ書記長が、 中国を訪問。
1989.5.22
(平成元年)
ロンドン池田先生が、サッチャー首相と会見(首相官邸)
1989.5.25
(平成元年)
ロンドン池田先生が、アン王女と会見(バッキンガム宮殿)
1989.5.31
(平成元年)
英国池田先生が オックスフォード大学ボドリーアン図書館「終身名誉館友」に就任。
1989.6. 5
(平成元年)
スウェーデン カール十六世グスタフ国王 池田会長 会見(王宮「シビラの間」)
1989.6.
(平成元年)
中国天安門事件
1989.6.
(平成元年)
パリ池田会長 ミッテラン大統領 会談
1989. 8.
(平成元年)
日本本部幹部会の「衛星中継」が開始
1989.10.10
(平成元年)
交野市池田先生が、蛍会(関西創価学園の女子同窓生)の第13回総会に出席
1989.10.
(平成元年)
大阪 池田先生 ジョセフ・ロートブラット博士 会談(関西国際友好会館)(現・東成文化会館))
1989.11.09
(平成元年)
ベルリンベルリンの壁 崩壊
1990.
(平成2年)
中国の李鵬総理がソ連訪問
1990.
(平成2年)
オックスフォード大学出版局から池田名誉会長とブライアン・ワイルドスミス氏の初の共同制作
となる創作童話「雪ぐにの王子さま」(The Snow Country Prince) が刊行。
1990.2.2
(平成2年)
南アフリカ
デクラーク大統領が、議会で演説。
1960年に非合法化された「アフリカ民族会議(ANC)」の合法化、
マンデラ氏を釈放する方針を表明。

1990. 2.11
(平成2年)
南アフリカ
アフリカの正義の巌窟王ネルソン・マンデラ氏が二十七年半に及ぶ迫害の投獄を 耐え抜いて、
この日、ついに自由を勝ち取る。

もはや待つことはできません。
今こそすべての戦線で、闘争を強化するべき時なのです

ネルソン・マンデラ氏

1990.2.12
(平成2年)
アメリカ 池田先生が、3年ぶりにロサンゼルスへ (17日間滞在)
ノーベル賞受賞者のポーリング博士ら3人の識者と相次ぎ会見
1990. 3.14
(平成2年)

関西創価学園の新校歌「栄光の旗」が誕生。
(歴史的な師弟共戦の歌)

関西創価学園 校歌

栄光の旗


ああ関西に
父子(ふし)の詩(うた)
これぞ我(われ)らの
誉(は)れの曲(きょく)
ともに誓(ちか)いを
果(は)たさむと
世界を結(むす)べや
朗(ほが)らかに
君も王者と
栄光の旗
君も勝利と
栄光の旗

1990. 3.16
(平成2年)
プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下御撮影「特別撮影展」
(南カリフォルニア大学フィッシャー美術館(アメリカ、ロサンゼルス))
(東京富士美術館)
1990.5.下旬
(平成2年)
中国
池田名誉会長が、約300人の大交流団を率い7度目の訪中。
江沢民総書記、李鵬総理、鄧穎超先生らと相次いで会見。北京大学で記念講演を。
中日友好協会から、池田先生に「平和の使者」の称号が贈られる。

「自然と平和との対話」写真展を開催

1990.6.3
(平成2年)
丹波 池田先生が、関西池田記念墓地公園を初訪問
1990.6.4
(平成2年)
丹波 池田先生が出席されて、開園記念勤行会(丹波平和講堂)。
1990.6.
(平成2年)
日本 日本が中国に対する円借款凍結の部分解除を表明。
西側諸国で初めて対中経済協力が再開。
1990.6.8
(平成2年)
丹波 関西池田記念墓地公園が開園。
1990.7.9
(平成2年)
苫小牧 池田先生が、苫小牧文化会館を初訪問。
1990.7.15
(平成2年)
新潟 「新潟白ゆり女性会館」が誕生。(7.15 新潟県婦人部の日)
1990.7.27
(平成2年)
モスクワ
池田先生が、 ゴルバチョフ大統領(ソビエト)と会見

ゴルバチョフ大統領の母校・モスクワ大学のログノフ総長、世界的作家のアイトマートフ氏 等が同席

池田大作/ミハイル・S・ゴルバチョフ(ソビエト連邦初代大統領) 共著
DAISAKU IKEDA / Mihairu Gorbachev

二十世紀の精神の教訓
潮出版社 1996.


1990. 9.17
(平成2年)
東京 東京富士美術館で「ボドリーアン図書館重宝展 1000年の英知の輝き
「世界史を彩る古典と華麗なる装幀芸術」が開幕。

東京富士美術館
1990.10.31
(平成2年)
東京
晴れ渡る青空のもと、ネルソン・マンデラ アフリカ民族会議副議長(72歳)が、聖教新聞社を訪問。
池田先生が、五百人の若き友と共に熱く歓迎。

釈尊も72歳から、出世の本懐(仏が世に出現した究極の目的)
である法華経を説き始めたとも言われます。
貴殿の活躍も、いよいよこれからです。

池田先生

1990.12.13
(平成2年)
東京
宗門から「第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」
(平成2年12月16日付)


1990.12.27
(平成2年)
(平成2年)
宗門が、法華講総講頭の池田先生を一方的に罷免。
1991.1.17
(平成3年)
湾岸戦争 勃発
1991. 1.30
(平成3年)
マカオ
池田先生が、ポルトガル領・マカオを訪問
マカオ東亜大学(現・マカオ大学)名誉教授称号受章
45分間の記念講演を。

1991. 4.
(平成3年)
日本ゴルバチョフ大統領とライサ婦人が日本を訪問。
1991. 5.
(平成3年)
新潟
池田先生が、「新潟白ゆり女性会館」を初訪問。

健康

使命

幸福

新潟の女王

池田先生

1991.5.16
(平成3年)
中ソ東部国境協定 調印
1991. 6.12
(平成3年)
ボン 統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領と池田先生が会見(大統領官邸)
1991. 6.
(平成3年)
ロンドン池田先生が、サッチャー首相と2度目の会見(首相官邸)
1991. 6.28
(平成3年)
イギリス 池田先生が、フレッド・ホイル卿、チャンドラ・ウィックラマシンゲ博士と会談
(タプロー・コート総合文化センター)
1991. 7. 3
(平成3年)
韓国 「聖教タイムズ」創刊(韓国SGIの機関紙)(10日に1度の旬刊)。
1991. 7. 6
(平成3年)
プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下御撮影「特別撮影展」
(タプローコート・オリエンタルギャラリー(イギリス、タプローコート))
(東京富士美術館)
1991.09.26
(平成3年)
アメリカ 池田SGI会長が ハーバード大学 ケネディ政治大学院
(JOHN F.KENNDY SCHOOL OF GOVERNMENT)で講演
テーマ 「ソフトパワーの時代と哲学」
1991.10.15
(平成3年)
神戸 池田名誉会長御夫妻が、開館したばかりの兵庫文化会館へ。(10.15 兵庫の日)
1991.10.16
(平成3年)
神戸 池田名誉会長御夫妻が、中央区の友が制作した「フラワーカー」(100年前の神戸の異人館街をかけた馬車を復元したもの) に " 記念乗車"。兵庫県総会を兼ねた関西総会にご出席。
1991.10.18
(平成3年)
大阪 創立者・池田先生が、関西創価学園での友好交歓会に出席。通学生・寮生・下宿生の代表と懇談。
1991.10.18
(平成3年)
大阪 池田香峯子SGI(創価学会インタナショナル)会長夫人が、関西白百合青春会館を初訪問。
1991.11.
(平成3年)
東京 創立者・池田先生が出席されて、創価女子短期大学の白鳥体育館で卒業記念の撮影会
1991.11.23
(平成3年)
東京 目黒・品川 合同の第1回「創価ルネサンス文化音楽祭」
池田先生が、「広布に走れ」「威風堂々の歌」の指揮を執られる
1991.11.29
(平成3年)

宗門から "破門通告" が届く




1991年11月28日
創価学会は
傲慢と嫉妬に狂う
宗門に破門された。
池田大作は
中傷の矢を歯牙にもかけず
日蓮仏法の
真髄をさらに深く追求した。
その理想をさらに高く
掲げることにより
この日は
「魂の独立記念日」となった。

南アフリカの詩人 オズワルド・ムチャーリ氏

Oh happy day! Oh happy day!

1991.12.23
(平成3年)
荒川区 池田先生が出席されて、荒川の文化音楽祭
(荒川文化会館)
1992.9.1.
(平成4年)
香港創価幼稚園 開園
1992.
(平成4年)
アマゾン ブラジルSGIが 「アマゾン自然環境保護センター」の設置を決定
(当時 アマゾン自然環境研究センター)
1992.
(平成4年)
アメリカ ローザ・パークス氏が、語学研修中の創価女子短期大学生たちと語り合う。
1992. 1.30
(平成4年)
香港中文大学から池田先生に最高客員教授の称号が授与される。
1992. 2.
(平成4年)
インド 池田名誉会長が、ソニア・ガンジー氏と会見
1992. 4.
(平成4年)
バーツラフ・ハベル大統領(チェコ)が来日、池田先生と会見。
1992.5
(平成4年)

バートン・ワトソン博士の手による英訳『法華経』が完成
5世紀の初頭、鳩摩羅什(くまらじゅう)の手により漢訳された「妙法蓮華経」が、新たな生命を得て現代に蘇る。

私は、自分の翻訳文に決して古風な英語を使うことはない。
むしろ、できるかぎりわかりやすく、最も心地よい響きの現代英語にするよう心がけている。
この方針こそ、私が英語版『法華経』で目指した目標であった。


1992.9.15
(平成4年)
目黒 池田先生が、目黒平和会館へ
1992.10.
(平成4年)
中国 池田先生が、中国社会科学院で「21世紀と東アジア文明」と題し講演
1993. 1.30
(平成5年)
アメリカ
アメリカ公民権運動の母 ローザ・パークスさんが、アメリカ創価大学 ロサンゼルス・キャンパスを訪問
創立者 池田先生が、青年たちとともに歓迎。
創立者 池田先生ご夫妻が、ローザ・パークス氏の80歳のお誕生日(2月4日)をお祝いし、
バースデーケーキをプレゼント 大変に喜ばれる。

日米の青年が 手をつなぎ 公民権運動の象徴となった
「ウィ・シャル・オーバーカム(我らは打ち勝つ)」を大合唱







「ウィ・シャル・オーバーカム」(我らは必ず勝利する) - アメリカ黒人の人権闘争「公民権運動」に参加した人々は、 この歌を歌い前進した。あらゆる権力を握る白人に対する勝算なき戦い。しかし人々は勝利した▼歌が生まれたのは、 米南部で生涯教育を実践した学校。デンマークの近代教育の父グルントヴィの影響を受けて創立された学舎であり、 教育哲学者ジョン・デューイも高く評価して資金を提供した。そこで、ゴスペル・労働歌だったものに手を入れ、 学校の歌に。ゆかりの人々が歌い、広まった▼グルントヴィもデューイも、生命の尊厳を重んじ、「対話」を重視した。 その教育思想を、創価教育の父・牧口初代会長は注目し、池田SGI会長は二人の後継者と、 それぞれ対談している▼思想は行動してこそ命を持つ。歌となり声となるとき、その命は脈動する。 公民権運動も、「ノー」と叫び、対話と非暴力の行動で戦い抜いて歴史は動いた▼かの生涯教育の学校に学んだ “人権の母”ローザ・パークスさんは、創価大学と女子短大を訪れた折、若き友と共に 「我らは必ず勝利する!」という世界を実現したいと語った。社会正義の戦いは、永遠の戦い。 思想を行動にする時は、常に「今」である。(香)

「名字の言」2010.2.5

1993.
(平成5年)
日本 日顕が、桜の樹を次々と切り倒す。
from 日蓮正宗問題研究
1993. 2.
(平成5年)
カンボジア 創価学会青年部の代表がプノンペンを訪れ、28万台を超えるラジオを寄贈(「ボイス・エイド」運動)
1993. 2.
(平成5年)
コロンビア
ボゴタ市
池田先生が、「ボリバルの家」を訪問。トーレス館長と「革命の父」の偉業をめぐり語らい
1993. 2.14
(平成5年)
アルゼンチン 池田先生がアルゼンチンを訪問
1993. 3.18
(平成5年)
サンフランシスコ サンフランシスコ市から、池田先生に「国連貢献・国際文化交流推進賞」名誉市民の「市の鍵」が授与
1993. 5.
(平成5年)
カンボジア 内戦後、初めての総選挙で投票率が約90%となる。
1993.
(平成5年)
シンガポール シンガポール創価幼稚園 開園
1993.
(平成5年)
東京 牧口記念会館 開館
1993.
(平成5年)
アマゾン 「アマゾン自然環境保護センター」内に「アマゾン熱帯雨林再生研究プロジェクト」開始
共催:ブラジルSGI,創価大学自然環境研究センター、アマゾナス州環境科学技術局
1993. 8. 6
(平成5年)
軽井沢
池田先生が、小説『新・人間革命』の執筆を開始(長野研修道場)


『新・人間革命』冒頭:

「平和ほど、尊(とうと)きものはない。平和ほど、幸福(こうふく)なものはない。
平和こそ人類の進むべき根本(こんぽん)の第一歩(いっぽ)であらねばならない。」



1993. 9.26
(平成5年)
アメリカ 池田先生が、ハーバード大学で2度目の講演(イェンチン・ホール)
テーマ「21世紀文明と大乗仏教」
1993.11. 1
(平成5年)
ヨーロッパ 欧州連合(EU)が発足。
1993.11.15
(平成5年)
東京 プーミポン国王と王妃の日本公式御訪問30周年記念「プーミポン国王御作曲作品の特別演奏会」
(創価大学記念講堂)
1994. 2.
(平成6年)
キューバ領空に入ったアメリカの民間機を、キューバ軍が撃墜
1994. 2. 8
(平成6年)
タイ プーミポン国王 池田先生 3度目の会見
1994. 4. 4
(平成6年)
東京創立者御夫妻の出席のもと、創価女子短期大学「文学の庭」にて「マリー・キュリーの像」除幕式
1994. 5.
(平成6年)
東京 ローザ・パークス氏が 創価大学を訪問。
創価女子短期大学の卒業生と再会
1994. 6. 8
(平成6年)
イングランド
ハイグローブ
池田先生が、チャールズ皇太子と会談(皇太子 私邸)
1994. 6.15
(平成6年)
スコットランド
創価大学創立者の池田SGI会長が、英スコットランドの世界的名門・
グラスゴー大学の「名誉博士号」を受章(ビュート・ホール)。

J・フォーブス・マンロー大学評議会議長が、「推挙の辞」を
「池田SGI会長の『滝の如く』の詩」で、朗々と結ばれる。

1994. 6.
(平成6年)
ボローニャ池田先生が、ボローニャ大学で、講演。
テーマ「レオナルドの眼と人類の議会 - 国連の未来についての考察」
1994. 8.25
(平成6年)
青森 池田先生が、 奥入瀬渓流を訪問
1994. 8.
(平成6年)
北海道・別海町 北海道研修道場内に、トルストイ像が設置。
1994.11.23
(平成6年)
福岡 池田名誉会長が出席されて、アジア青年平和文化祭(福岡ドーム)(11.23福岡総県の日)
1994.12.
(平成6年)
東京 池田先生が、モントリオール大学 ギー・ブルジョ博士と対談
1995. 1.16

(平成7年)
関西 関西21世紀交響楽団 結成
1995. 1.17
(平成7年)
日本
阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)

震央 淡路島
位置 北緯三四度三六分、東経一三五度二分
震源の深さ 十六キロ
規模「マグニチュード七・三」
「震度七」を記録した地域
神戸市須磨区高取、長田区大橋、兵庫区大海、中央区三宮、灘区六甲道、 東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川等、宝塚市の一部、 淡路島北部の北淡町・一宮町・津名町(現・淡路市内)の一部
死者 六千四百人
負傷者 四万四千人
被災建物 七十万棟
― 気象庁発表 ―

1995.1
(平成7年)

今こそ、皆様方は、
勇気を奮い起こして災害の再建に立ち上がり、
その姿を通して、世界を激励してください。
私は創価の女子部の皆様が、この困難な挑戦に対し、
新しい精神で「ウィ・シャル・オーバーカム」(我ら打ち勝たん)と
歌い上げられることを、信じています。

アメリカの人権の母 ローザ・パークスさん

1995. 2. 2
(平成7年)
泉州 池田先生が、アメリカから関西国際空港を擁する泉州の地へ(2.2「泉州総県女性の日」)
1995. 2. 4
(平成7年)
大阪 池田先生のご出席のもとに、震災犠牲者の追善の法要(関西文化会館)
1995.
(平成7年)
マレーシア マレーシア創価幼稚園 開園
1995. 3.
(平成7年)
東京スザンヌ・ムバラク大統領夫人 創価女子短期大学を訪問。
1995. 7.
(平成7年)
東京
ネルソン・マンデラ大統領 池田先生と会談(迎賓館)





1995.8
(平成7年)

「飛翔会」結成20周年 記念総会

学問で勝て

人格で勝て

社会で勝て

池田先生

1995. 9.23
(平成7年)
ドイツ ヴァイツゼッカー元大統領が、ライン川の河畔にあるSGIのヴィラ・ザクセン総合文化センターを訪問。
1995.
(平成7年)
日本 日顕が、大客殿を壊す。
from 日蓮正宗問題研究
1995.10.
(平成7年)
大阪 創立者・池田先生が、関西創価学園の金星寮を訪問。寮生・下宿生と懇親会。
「大楠公」「荒城の月」「熱原の三烈士」をピアノ演奏。
1995.10.
(平成7年)
神戸 池田先生ご夫妻が、被災の街に蘇生の灯を点した「希望と勇気のボランティア写真展」へ。
(兵庫文化会館)
1995.11.
(平成7年)
日本
宗教団体と国政を担当するものは別個の存在であるので、
違憲問題は生じない。

大出(おおで)峻郎(たかお) 内閣法制局長官

1996.
(平成8年)

沈黙(ちんもく)を

破(やぶ)りて轟(とどろ)く

歌声の

指揮をぞ頼(たの)まむ

池田門下と

池田先生

1996. 2.
(平成8年)
キューバがアメリカの民間機を撃墜
1996. 2.11
(平成8年)
戸田記念国際平和研究所 創立
1996. 2.21
(平成8年)

常勝の

先駆を走る

大正区

幸福選手は

世界の模範と

池田先生



晴れ晴れと

今日も生き抜け

負けるなと

地湧の菩薩に

不幸はなからむ

池田先生

1996. 3.
(平成8年)
アメリカは、キューバへの経済制裁強化法を成立。
1996. 5.19
(平成8年)

万歳を

兵庫の君らに

送るらむ

正義の英雄

君たちなりせば

悩みをも

また苦しみも

乗り越えて

朗らか選手と

トップを走れや

兵庫男子部万歳


池田先生

1996. 6. 7
(平成8年)
デンバー
池田先生が、デンバー大学副学長のベッド・ナンダ博士の自宅を訪問。ナンダ博士一家と懇談。
懇談の最後に「大楠公」の曲をピアノ演奏。

ベッド・P・ナンダ

アメリカ・デンバー大学の副学長。世界的な国際法学者。1934年、インド・グジランワラ生まれ(現在はパキスタン)。世界法律家協会の会長、 国際刑事裁判所設立プロジェクトの顧問、アメリカ人権学会諮問委員、国連協会世界連盟評議会副議長などを歴任。 核兵器の使用や威嚇の違法性の是非を問う「世界法廷プロジェクト」を推進した。国連協会人権賞、世界法学者賞等を受賞。池田名誉会長 と語らいを重ね、対談集「インドの精神-仏教とヒンズー教」を発刊している。

1996.6.8
(平成8年)
デンバー デンバー大学から、池田先生に「名誉教育学博士号」が授与。
1996.6.17
(平成8年)
池田先生が、キッシンジャー元国務長官と会談。
1996.
(平成8年)
クリチバ市牧口常三郎公園がオープン
1996. 6.25
(平成8年)
キューバ池田先生が、ハバナ大学 アウラ・マグナ(大講堂)で講演。
テーマ「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」
1996. 6.25
(平成8年)
キューバ池田SGI会長 カストロ国家評議会議長 会見
1996. 6.26
(平成8年)
コスタリカ池田先生が、コスタリカ初訪問
1996.11.17
(平成8年)
日本 池田先生ご夫妻が「関西スピリット賞」第1号・第2号のメダルを胸に記念のカメラに
(東京牧口記念会館)
1997.1.26
(平成9年)
仙台 東北国際女性会館が完成(1.26 東北女性の日)
1997.
(平成9年)
韓国 「聖教タイムズ」が「和光新聞」に。(韓国SGIの機関紙)
1997. 9.
(平成9年)
日本
民音創立者の池田名誉会長が、開館したばかりの民音文化センターを訪問。

祈 世界一の発展

祈 芸術運動の先駆

祈 人間文化の夜明け

池田先生

1997.10.18
(平成9年)
インド インド独立50周年を慶祝「日印友好文化祭」
(ニューデリー シュリ・フォート・オーディトリアム)
1997.10.20
(平成9年)
インド
池田SGI会長が、グジュラール首相と会見
(ニューデリー・首相官邸)。

私たちがやっていることは、すべてマハトマ・ガンジー(師匠)から学んだことです。

グジュラール首相(弟子)

インデール・クマール・グジュラール

1919年、英領インドのパキスタン地方(現・パキスタン)に生まれる。
1947年、分離・独立に伴い、一家でインドに移住
1964年、上院議員に初当選
インディラ・ガンジー政権のブレーンとして活躍。議会担当相、通信相、外相を経て、第15代首相(1997~98年)。 退任後、国際NGO(インタープレス)で国際評議員等を務める。作家・詩人としての活躍も目覚ましい。

1997.10.22
(平成9年)
インド 池田先生が、ナラヤナン大統領と会談(大統領府)
1997.11.18
(平成9年)
大阪
池田先生が、出席されて「第17回世界青年平和文化祭」
(大阪ドーム)
この英雄ありて、常勝関西

池田先生

1997.11.20
(平成9年)
大阪ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領夫妻が、関西創価学園を訪問。
1998. 3.18
(平成10年)
東京趙文富 韓国国立済州(チェジュ)大学総長から池田先生に
「トルハルバン」(石のおじいさん)の像が贈られる。
1998.4.22
(平成10年)
東京 中国の胡錦濤副主席が、 池田先生と2度目の会見。
1998.
(平成10年)
東京 創価女子短期大学生の代表が、キュリー夫人の令孫 核物理学者の
エレーヌ・ランジュバン・ジョリオ女史と会談。
1998.
(平成10年)
日本 日顕が、800万人の真心で建立した「正本堂」を破壊。
1998.10
(平成9年)
東京 池田SGI会長がインドのグジュラール元首相、シーラ夫人を歓迎。「インド独立の 父」マハトマ・ガンジーを師匠と仰ぐ元首相と「師弟の精神」をめぐり語り合う(東京牧口記念会館)

1998.11.7
(平成10年)
日本 「公明」と「新党平和」が合流して、新しい現在の「公明党」が結成
1998.12. 5
(平成10年)
東京 池田先生が出席されて「第2東京大文化祭」(12.5 第2総東京青年部の日)
1999. 5.17
(平成10年)
韓国韓国国立済州(チェジュ)大学総長から池田先生に名誉博士号が授与
1999. 5.18
(平成10年)
韓国池田SGI会長が、韓国SGI本部を初訪問
1999. 5.26
(平成10年)
豊中市 池田先生が「威風堂々の歌」の指揮を執られる
第3回関西青年部総会
1999.
(平成10年)
韓国 SGI平和道峰公園 開園(道峰区)
1999. 7.
(平成10年)
日本
宗教団体が支援している政党が政権に参加しても、そのことによって直ちに 憲法が定める政教分離の原則にもとる事態が生ずるものではない

大森政輔(まさすけ) 内閣法制局長官

1999.10.
(平成10年)
カンボジア政府から、創価学会に「建国貢献・金メダル」が贈られる。
1999.10.
(平成10年)
日本公明党が、連立政権に参加
1999.12.
(平成10年)
日本
宗教団体と密接な関係にある政党の候補者が、当選し、国政を 担当するにいたる場合でも、憲法上、問題を生ずるものことはない

津野(つの)修(おさむ) 内閣法制局長官

2000. 2.10
(平成12年)
沖縄 池田先生が ジョセフ・ロートブラット博士と再会
2000. 2.28
(平成12年)
神戸市関西創価学園生の集いに池田先生ご夫妻が出席(兵庫文化会館)
2000. 4.
(平成12年)
カンボジア 「SGIカンボジア」が宗教省から、仏教団体として正式に法人認可。
2000.11.25
(平成12年)
日本 関西男声合唱団が、第53回全日本合唱コンクール全国大会で金賞 受賞
2001.5.3
(平成13年)

ついに来(き)ぬ

我等の指標の

新世紀

五月の三日の

この日 この時

池田先生


栄光に

五月三日は

輝けり

創価の勝利は

未来へ 世界へ

池田先生


共々に

五月三日を

迎えたり

断固と勝ちたり

広布の戦士は

池田先生


光輝なる

世紀の山を

雄然と

ついに登攀

握手と 握手よ

池田先生


千万の

同志の雄叫(おたけ)び

世界まで

喜び 響かむ

無量の功徳は

池田先生

2001. 5.
(平成13年)
アメリカ創価大学 開学
2001. 6. 2
(平成13年)
福建師範大学から、池田SGI会長ご夫妻に「名誉教授」称号が授与。
2001. 6.
(平成13年)
ブラジル ブラジル創価幼稚園 開園
2001. 9.11
(平成13年)
アメリカ 同時多発テロ事件が発生。
2001.秋
(平成13年)
沖縄 ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が、沖縄を訪問
2002. 2.29
(平成14年)
長田区 池田先生が「大楠公」の曲をピアノ演奏(長田文化会館「常勝の間」)
2002. 3.
(平成14年)
プノンペン 池田先生に、カンボジア王立プノンペン大学から「名誉教授」称号が授与。
2002. 4.
(平成14年)
プノンペン カンボジア文化会館が落成。
2002. 5.
(平成14年)
大阪 池田先生が、常勝関西青年部総会の意義を兼ねた本部幹部会で
「威風堂々の歌」の指揮を執られる。
2003.
(平成15年)
EU が「マリー・キュリー賞」を創設。
2003.2.8
(平成15年)
兵庫
「ガンジー・キング・イケダ - 平和建設の遺産」展

(2003.2.8~4/6 関西国際文化センター)

2005.
(平成17年)
アメリカ創価大学が「アメリカ西部大学基準協会」から正式認可
2006. 1.10
(平成18年)
創価女子短期大学歌「誉れの青春」が発表
2006.3.
(平成18年)
日本
池田先生が、本部幹部会の席上 堺総県の友がお届けした
「師弟勝利の銅鑼」を高らかに打ち鳴らされる

2006. 5. 8
(平成18年)
埼玉池田先生ご夫妻が、埼玉池田研修道場を初訪問
(5.8「常勝埼玉師弟の日」)
2006.11.
(平成18年)
フランス「マリー・キュリーの記念コイン」(20ユーロの金貨・銀貨)が発行。
(1906年11月 キュリー夫人が亡き夫ピエールに代わり、
女性で初めてパリ大学の教壇に立ってから100周年を記念)
2006.11.24
(平成18年)
東京
世界市民そして平和の人

師匠・戸田城聖先生の夢の実現へ奔走 フィリピンと日本の国交正常化50周年。
フィリピン国立リサール・システム大学から 弟子・池田大作先生に
外国人初の「名誉人文学博士号」が授与。


2007.1.17
(平成19年)
東京
池田SGI会長が 香港中文大学 劉遵義学長一行を歓迎

香港中文大學校長劉遵義與池田大作國際創價學會會長會談
國際創價學會 2007.1.17

2007.4.12
(平成19年)
東京
池田先生が、中国の温家宝総理と会見



温家宝会见日本创价学会名誉会长
国际在线 2007.4.12

中国国务院总理温家宝在东京会见日本创价学会名誉会长池田大作
新华网 2007.4.12

温家宝会见日本创价学会名誉会长
深圳新闻网 2007.4.13

中國國務院總理溫家寶在東京會見日本創價學會名譽會長池田大作
中國網,網上中國 2007.4.13

温家宝総理から池田先生に

赠池田先生

慈航创新路
和谐结良缘

温家宝 二〇〇七年四月








との自筆の書が贈られる。
2007.4.12

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「慈悲の航海で新たな道を創造し、
調和は良縁を結ぶ」

「The voyage with compassion
creates new routes.
A harmonious world
helps form good ties.」

池田先生から温家宝総理へ

赠温家宝总理

春风应时樱缤纷
春霖迎来一贵人
融雪冰泳志坚定
温文儒雅又亲民

知难不难迎难上
言信承诺行必果
同一世界同一梦
和谐社会喜春晖

池田大作 二〇〇七年四月十三日

との返詩が贈られる。
2007.4.13

聖教新聞 2007.4.14


2007.5.19
2007.5.20(平成19年)
東北
聖教文化講演会が、青森文化会館(5月19日)と東北研修道場(5月20日)で行われ、
英スコットランドの世界的名門・グラスゴー大学の J・F・マンロー博士が
「滝の詩にみる池田SGI会長の足跡 グラスゴー大学名誉学位の精神」と題し講演。

J・フォーブス・マンロー
グラスゴー大学名誉教授。アフリカ経済史研究で英国の第一人者。1940年、スコットランド生まれ。 グラスゴー大学の社会学部長、評議会議長など歴任。著書に「アフリカ経済史」(北川勝彦訳、ミネルヴァ書房)ほか。

1994年6月に池田先生はグラスゴー大学を訪問され、名誉博士号を受賞されました。式典で私は、大変光栄なことに 推挙の辞を述べさせていただきました。その際、先生の膨大な著作の中から、奥入瀬の滝の詩を引用させていただきました。

この詩を引用したのは、池田先生の人格をもっとも正しく表していると思ったからです。たくさんの詩を読むなかで、 この滝の詩に出会い、とても勇敢で、継続的な努力を惜しまず、勇気を持って進まれる池田先生のイメージに ぴったりだと思いました。

それとともに、あの滝の詩には、私自身の心にある故郷のイメージ、自分の少年時代を表すイメージが含まれていたのです。 私の生まれ故郷であるスコットランド北部は、ハイランドと呼ばれる高地地方で、青森とよく似た風土です。山や谷、 川があって、歴史的な城や街がある。当然、滝もあります。子どものころ、家族や友人と、 ロギーという滝の出かけました。太平洋から産卵のために鮭が上がってきて、ダイナミックな姿を見せるのです。 それが子どものころに見た川であり、滝の姿でした。 初めて滝の詩を引用したときは、先生にぴったり合うと思っただけでしたが、今考えてみると、自分の 子どものころから見てきたイメージとも合致し、家族やルーツ、地域社会といったものが、すべて表現されている と感じました。

池田先生が、奥入瀬の滝を訪問され皆さんに贈られたメッセージも、皆さんの故郷や地域、ルーツについての 気持ちを表しているのではないかと思います。

聖教新聞 2007.5.31

2007. 6.11
(平成19年)
東京
池田大作與戈爾巴喬夫會談(9度目)

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池田大作與戈爾巴喬夫會談

國際創價學會

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DAISAKU IKEDA
(池田大作)
Mihairu Gorbachev
(ミハイル・S・ゴルバチョフ)
仏教思想家
哲学者
教育者
社会活動家
作家
桂冠詩人
世界桂冠詩人
世界民衆詩人
世界平和詩人
写真家
世界的文化人
国際人道主義者
創価学会名誉会長
創価学会インタナショナル会長
等等。
ミハイル・セルゲービッチ・ゴルバチョフ
(1931 ~)

ロシア生まれ
モスクワ大学卒業
1985.ソ連共産党書記長に就任
国内ではペレストロイカ(改革)外交では「新思考」を掲げて
東西冷戦を終結に導いた。

1990.初代大統領
1990.ノーベル平和賞受賞
1991.12. ソ連解体とともに大統領を辞任。
グリーンクロスインターナショナル会長
ゴルバチョフ財団総裁



2007.11.08
(平成20年)
大阪
池田SGI会長が出席されて、11・18「創価学会創立記念日」を祝賀する新時代第12回本部幹部会
第32回SGI総会、関西広布55周年記念の広布第2幕第1回関西総会
(関西池田記念会館)

2008.3.
(平成20年)
ソウル 朝鮮戦争(韓国戦争)の休戦から55年、韓国のソウルに、世界で六番目となる
「創価の人間教育」の幼稚園「幸福幼稚園」が開園
2008.5.08
(平成20年)
東京 中国の胡錦濤国家主席が、 池田先生と3度目の会見。
2008.6.25
(平成20年)
ワシントンDC アメリカSGIの「ワシントンDC文化会館」 の開館式




世界が見た池田大作―200を超えた名誉学術称号

(財)東洋哲学研究所 編

第三文明社


日中国交正常化35周年記念
「長流不息―饒宗頤」展

主催=香港大学饒宗頤学術館、創価学会「饒宗頤」展実行委員会
2007.10.2 - 2007.10.28 関西国際文化センター
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中国雑技団「龍鳳伝説」 2007.9 ~ 2007.12

(財)民主音楽協会

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和平使者池田大作


南开大学创立周恩来 池田大作研究会
中国广播网 2006.12.14


माता


マレーシア独立50周年記念式典を慶祝
クアラルンプール ムルデカ・スタジアム 2007.8.31
ミザン国王夫妻、アブドラ首相が列席 マレーシア創価学会青年部2000人が熱演


सूरज



正本堂/本門事の戒壇

大客殿

大講堂

総坊

356ヶ寺 建立寄進
(池田先生が第3代会長に就任された昭和35年
以降は320カ寺を建立寄進)

延べ7,000万人総登山(1952.10.~1991.迄 39年間)



正本堂建立の際の賞与御本尊

賞本門事戒壇正本堂建立
法華講総講頭 創価学会会長 池田大作
昭和四十九年一月二日

(創価学会第2別館(東京・信濃町)に御安置され
ている常住御本尊の脇書に
日達上人の筆で、したためられている)




مغامرة الحوار:
"صاحب الجلالة: هل تتحدث كرجل عاقل أم كملك؟"
بقلم الفيلسوف البوذي الياباني دايساكو إيكيدا*
طوكيو, أغسطس (آي بي إس) - الحوار مغامرة، ونتائجه أحيانا ما تغير التاريخ. فمنذ أكثر من 2,000 عاما، أُشير علي البوذي الهندي "ناغاسينا" بالتحاور مع الملك ميليندا الأغريقي، الحاكم في مملكة في شمال غرب الهند. فسأل ناغاسينا العاهل: "يا صاحب الجلالة: عندما تتحاور، هل تتحدث كرجل عاقل أم كملك؟".

إخترق السؤال قلب العاهل وجرح كبريائه. فكان من الواضح أنه قد وسيلة للإلحاح علي أن يستكشفا الحقيقة معا، علي قدم المساواة، ككائنين بشريين يتعلم كل منهما من الآخر عبر حوار بين عقلاء حكماء.

فتروي الملك ثم ترك كبريائه جانبا، مركزا علي العقل والحكمة. فأدي تبادل الأفكار الصريح إلي نوع من اللقاء بين الشرق والغرب، في خليط بين الفكر الإغريقي الكلاسيكي والفلسفة الهندية، بكل ما يحمله ذلك من تأثيرات.

يحتوي هذا النوع من الحوار علي دروس ربما يجدر بزعماء العالم حذوها في يومنا هذا. فالدنيا الآن وأكثر من أي وقت مضي، في أشد الحاجة إلي أن يتعلم الجميع من الفوارق والخلافات، وإقامة حوارا خلاقا، حوار العقلاء الحكماء.

لقد سجلت قمة زعماء الدول الثمان الصناعية الكبري الأخيرة في اليابان في يوليو، رقما قياسيا بمشاركة 22 دولة في أعمالها. فقد إنضمت بلدان أخري إلي قادة الدول الثمان، علي مائدة المفاوضات للتشاور حول التغيير المناخي وقضايا التنمية.

ينبغي التشجيع علي توسيع نطاق مثل هذا النوع من الإجتماعات بغض النظر عن شكلها، مراعاة لأهميتها كعامل حاسم في خلق حضارة مبنية علي الحوار.

فسر الحكمة، أكثر من إي إعتبار آخر، هو القدرة علي الإنصات.

لاسيما عندما يتعلق الأمر بمثل هذا الكم من القضايا العالمية. لابد إذن من بذل كافة الجهود الممكنة من أجل الإنصات إلي أراء الناس الذين تختلف مواقفهم عن مواقفنا، وخاصة أكثرهم تأثرا، أولئك المحرومين من صوت يعبر عنهم. بإيجاز، لابد من الإنصات إلي الجميع.

وسر الحكمة، في الوقت نفسه، يكمن أيضا في المثابرة.

فإذا كان التقدم (في الحوار) ليس بالسهولة المنشودة، فسوف يكون لازما الإستعانة بالحكمة سعيا وراء التوافق علي أرضية واقعية مشتركة، والإتفاق علي إستمرار الحوار، بغض النظر عن الإعتبارات الأخري.

لنتذكر إجتماع القمة في رييكافيك بين ميخائيل غورباتشوف ورونالد ريغان، في 1986. إنتهت المفاوضات بينهما ببيانات. لكن غورباتشوف رفض في ندوة صحفية بعد الإجتماع، القول بأن المفاوضات قد إنهارت، مؤكدا أنها كانت خطوة أولي تجاه مفاوضات لاحقة.

فأثر ذلك علي الأميريكيين، فإتخذوا موقفا مشابها، ومهدوا للإستئناف في مناخ أكثر إيجابية، أبعد نظرا.

وبرهن التاريخ علي أن العزم الجاد علي التحاور قد ساهم إسهاما كبيرا في المسار الذي أدي إلي إنتهاء الحرب الباردة في نهاية المطاف.

عندما إلتقيت غورباتشوف بعد ذلك ببضعة سنوات، تساءل الكثيرون عما إذا كان لقاء بين بوذي وزعيم قوة عظمي في وسعه أن يأتي بنتيجة ذات مغزي. فخلال اللقاء تناقشنا حول ذكرياتنا ومشاطرتنا بؤس الحروب وقسوتها في شبابنا، وإتفقنا علي أن جيلنا يمكن تعريفه بأطفال الحرب.

وإنطلاقا من هذه الأرضية المشتركة، تحدثنا عن عزمنا المشترك علي التعلم من دروس الماضي، من أجل المستقبل. فأيا كانت أخلاقياتنا أو ديانتنا، كلنا لدينا عائلات ومستقبل نريد حمايته، فدورة الحياة لا مفر منها: الولادة، النمو، المرض، الموت. فإذا إتفقنا هلي هذا المنظور الأساسي في حياتنا، سوف يكون من الممكن إذن الإرتقاء فوق الخلافات والنجاح في التحاور.

الحوار ليس وسيلة مبسطة لتثبيت كل طرف لموقفه، ومن غير الضروري أن يخدم الحوار في إقناع الآخرين بوجهة النظر الخاصة. الحوار ينجح إذا ما إنبني علي إحترام حياة الغير، وإذا ما إنطلق من عزيمة التعلم ممن تختلف شخصيته ونظرته.

لقد كان المؤرخ البربطاني أرنولد تونبي علي قناعة ثابتة بأن الحوار هو مفتاح الحصول علي ردود إنسانية لتحديات التاريخ.

ثم هناك قول بوذي رائع، يقول: إذا ما إنحيت أمام لمرآة، فإن من يطل منها سينحني أمامك بوقار. *رئيس منظمة "سوكا غاكاي الدولية* الداعية للسلام www.sgi.org -- Daisaku Ikeda *رئيس منظمة "سوكا غاكاي الدولية* الداعية للسلام

صاحب الجلالة: هل تتحدث كرجل عاقل أم كملك؟

الشرق الوسط والبحر المتوسط


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池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に、世界五大州から贈られた顕彰が「3,000」を超えた。

その顕彰は、大学・学術機関からの「名誉博士」「名誉教授」、行政機関からの「国家勲章」 「名誉市民」をはじめ、
国連機関、平和・文化・学術団体など、多種多様な国、都市、団体から 贈られている。

聖教新聞 2007.11.16


<
 アメリカ・ソロー協会 終身名誉会員 
 北京魯迅博物館(中国) 名誉顧問 
 上海魯迅記念館 名誉顧問 
 冰心(ひょうしん)文学館 名誉顧問 
 インド国際詩人学会 特別会員 
 ケニア作家協会 名誉会員 
  パン・アフリカン作家協会 名誉創設会員 
 中華民族文化促進会 名誉顧問 
 ロシア芸術アカデミー 名誉会員 
 フィリピン・リサール協会最高文学賞 受賞 
 中国作家協会・中華文学基金会「理解・友誼国際文学賞」受賞
 ギリシャ国家作家・芸術家協会顕彰状 受賞 
 マレーシア全国作家協会連盟最高文化賞 受賞 
 世界芸術文化アカデミー 世界詩人会議「桂冠詩人」称号 受賞1981. 7. 1
  国連平和賞 受賞1983. 8.    
 ケニア口承文学協会 口承文学賞受賞1986. 9.10
 国際平和非暴力センター 国際平和賞 受賞1988.       
 フランス写真博物館 名誉館員1989. 6.12
 ケニア口承文学協会 名誉会長1990. 6. 5
 インド文化国際アカデミー 1990年ラグヴィラ賞 受賞1990.12. 7
  パン・アフリカン作家協会 芸術貢献賞 受賞1991. 2.20
 オーストリア芸術家協会 在外会員1991. 6.7
 ソ連平和委員会「平和の戦士」賞 受賞1991. 8.2
  在東京アフリカ外交団「教育・文化・人道貢献」賞 受賞1991.11.29
 非暴力デリー会議 最高特別会員1992. 2.15
 ローザ・パークス人道賞 受賞1993. 1.30
 サイモン・ウィーゼンタール・センター 人類愛国際賞 受賞1993. 1.31
 ブラジル文学アカデミー 在外会員1993. 2.12
 アマゾン文学アカデミー マシャード・デ・シアス褒章 受章1993. 2.12
 フィリピン文化センター ホアン・ルナ賞 受賞1993. 5.10
  パン・アフリカン作家協会 最高芸術貢献者賞 受賞1993. 8.18
  パン・アフリカン作家協会 名誉創設会員1993. 8.18
 プリヤダルシュニ・アカデミー 国際理解のためのグローバル平和賞 受賞1993. 9.19
 国際文学文化アイトマートフ・クラブ アイトマートフ記念国際賞 受賞1993. 9.26
 レオナルド・クラブ レオナルド・ダ・ヴィンチ国際賞 受賞1994. 5.19
 ハワイ大学スパーク・マツナガ研究所 アロハ国際平和賞 受賞1995. 1.26
 ロシア児童基金協会 レフ・トルストイ国際金メダル 受賞1995. 3.18
 世界詩歌協会「世界桂冠詩人」賞 受賞1995. 8.8
 キルギス共和国文化省・作曲家同盟 マルディバエフ記念賞 受賞1995. 6.12
 バンガロール大学 人権平和貢献賞 受賞1995. 8.11
 マハトマ・ガンジー民衆福祉財団 ガンジー生誕125周年記念平和賞 受賞1995. 8.12
  ローマクラブ 名誉会員1996. 2.28
 暴力なき社会を考える医師の会 非暴力人道賞 受賞1996. 6.23
 ドゥッケ・デ・カシアス市「名誉市民」称号 受章1996.10.
 リサール協会 リサール大十字勲章 受章1996.11.8
 中国・旅順博物館 名誉館員1997. 4.7
  国連協会世界連盟 特別顕彰受賞1997. 9.13
 核時代平和財団「平和の大使」賞 受賞1997. 9.14
 アジア協会 タゴール平和賞 受賞1997. 9.14
 リサール協会 リサール国際平和賞 受賞1998. 2.9
  ヨーロッパ科学芸術アカデミー 特別顕彰金メダル 受章1998. 4.4
 中国・新彊(しんきょう)ウイグル自治区文化庁 高級文化顧問1998. 7.31
 キルギス共和国アブドモムノフ賞 受賞1998. 9.19
 世界芸術文化アカデミー 世界詩人会議 名誉総裁 称号 受賞1998.11.12
  世界平和国際教育者協会「アルバート・アインシュタイン平和賞」 受賞1999. 6.
 ロシア・サハ共和国ハンガラス県「名誉県民証」受章 2001.9.
 ロシア・サハ共和国「政府記念章」受章 2002.3
 宜蘭(ぎらん)県宜蘭市 名誉市民 称号 受賞 2002. 6.     
 台中県 名誉県民 称号 受賞 2004. 3.     
 プーシキン金メダル 受賞2005.11.     
 ロシア安全保障・防衛・治安問題アカデミー ロモノーソフ勲章 受章 2005.12.     
 宜蘭(ぎらん)県「文化の光」賞 受賞 2006. 3.     
 宜蘭(ぎらん)県「国際交流推進貢献賞」受賞 2006.10.     
 雙渓郷 榮譽郷民 称号 受賞2007. 5.
 杜威研究所 名譽顧問2007. 6.13
 世界詩歌協会 世界民衆詩人2007.10.
 セルジペ州アラカジュ市「名誉市民」称号 受章 2007.12
 雙渓郷「人本教育之光」賞 受賞2007.12.27
 台北県中華高校「感謝状」受賞2008. 1.10
 台中市西屯(せいとん)小学校「感謝状」受賞2008. 1.10
 台中県后里(こうり)小学校「感謝状」受賞2008. 1.10
 台中市松竹小学校「感謝状」受賞2008. 1.11
 台北県永福小学校「感謝状」受賞2008. 1.14
 鶯歌鎮 榮譽鎮民 称号 受賞2008. 1.14
 台中県葫蘆?(ころとん)小学校「感謝状」受賞2008. 1.14
 台中県豊村小学校「感謝状」受賞2008. 1.15
 台中県豊原小学校「感謝状」受賞2008. 1.17
 高雄県中庄中学校「感謝状」受賞2008. 1.17
 台北県民生中学校「感謝状」受賞2008. 1.18
 台中市新興小学校「感謝状」受賞2008. 1.18
 台中県豊田小学校「感謝状」受賞2008. 1.18
 マーチン・ルーサー・キング博士ウエストサイド連合 キング人道賞 受賞2008. 1.15
 ハワイ州下院議会「地球平和の大使」賞 受賞2008. 1.17
 国際平和非暴力センター 特別顕彰 受賞2008. 1.20
 ラジャスタン・パトリカ 特別顕彰 受賞2008. 1.23
 慶尚南道 名誉道民 称号 受賞2008. 1.25
 ノンタブリー県 特別顕彰盾 受賞2008. 1.25
 セアラ州 ジュアゼイロ・ド・ノルテ市 顕彰状 受賞2008. 1.26
 福島県文化振興事業団 感謝状 受賞2008. 1.27
 台中県 感謝状 受賞2008. 1.30
 サンパウロ州 ブラガンサ・パウリスタ市 顕彰状 受賞2008. 2.14
 台中市光正小学校「感謝状」受賞2008. 2.18
 輔英(ほえい)科技大学「感謝状」受賞2008. 2.18
 ギリシャ国際作家・芸術家協会 パナシネア(汎アテネ)賞 受賞2008. 2.20
 台中市 立人小学校「感謝状」 受賞2008. 2.21
 ソウル 道峰区議会 特別顕彰 受賞2008. 2.27
 アラグラリ文学芸術アカデミー 在外会員2008. 2.28
 サンパウロ州マウア市「名誉市民」称号 受賞2008. 2.28
 台中市 北新(ほくしん)中学校「文化教育の光」賞 受賞2008. 3. 3
 台北県 碧華(へきか)小学校「教育貢献賞」 受賞2008. 3. 4
 アメリカ合衆国連邦議会 特別顕彰状 受賞2008. 3. 8
 カリフォルニア州下院議会 顕彰状 受賞2008. 3. 8
 カリフォルニア州サンディエゴ市議会 特別顕彰状 受賞2008. 3. 8
 カリフォルニア州サンディエゴ市バイヤー小学校第1回「桜祭り」実行委員会 感謝状 受賞2008. 3. 8
 カリフォルニア州サンディエゴ市サンシドロ学校区 感謝状 受賞2008. 3. 8
 カリフォルニア州サンディエゴ市サンシドロ学校区 サンシドロ婦人クラブ 顕彰盾 受賞2008. 3. 8
 ロシア児童基金協会「子どもの守護の騎士」賞 受賞2008. 3.16
 パラナ州マンボレ市 名誉市民 称号 受章2008. 3.16
 カリフォルニア州ロサンゼルス市「顕彰状」 受章2008. 3.16
 世界文人協会「名誉理事長」称号 受章2008. 3.16
 桃園市 同安(どうあん)小学校 感謝状 受賞2008. 3.17
 雲南省昆明市 雲南民族博物館「名誉顧問」称号 受賞2008. 3.18
 釜山広域市「名誉市民証」受章2008. 3.18
 台中県 東勢(せい)小学校 感謝状 受賞2008. 3.18
 台中県 大明(だいめい)中学・高校「感謝状」受賞2008. 3.20
 台中県 新社(しんしゃ)小学校「感謝状」受賞2008. 3.21
 台中県 大里(だいり)小学校「感謝状」受賞2008. 3.24
 台中市 和平小学校「感謝状」受賞2008. 3.25
 国立埔里(ぼり)高級工業職業学校「感謝状」受賞2008. 3.31
 台中県 中山(ちゅうざん)小学校「感謝状」受賞2008. 4. 1
 台中県 自由小学校「感謝状」受賞2008. 4. 1
 台中県 達観小学校「感謝状」受賞2008. 4. 1
 コトカ市「名誉市民証」受章2008. 4. 2
 台中市北屯(ほくとん)区「文化教育の光」賞 受賞2008. 4. 2
 ニューヨーク州4月5日DAISAKU IKEDA DAY(ダイサク・イケダ・デー)(池田大作の日) 宣言書 受章 2008. 4. 5
 台中県 崇右(すうう)技術学院「感謝状」受賞2008. 4. 9
 釜山(プサン)広域市東(トン)区「顕彰牌」 受賞2008. 4.10
 エスピリトサント州議会「栄誉賞」受賞2008. 4.10
 ヒベイロン・ピレス市「名誉市民証」受章2008. 4.10
  モンゴル文化詩歌アカデミー「天の駿馬(テンゲリーン・フレグ)」賞 受賞2008. 4.12
 彰化県埔鹽郷(ほえんきょう)「平和教育の光」賞 受賞2008. 4.12
 愛媛県書店商業組合 感謝状 受賞2008. 4.17
 オーバン市「世界市民の師匠」賞 受賞2008. 4.18
 台中市「感謝状」 受賞2008. 4.23
 アメリカ合衆国連邦議会「特別顕彰状」 受章 2008. 4.19
 ニューメキシコ州「名誉州民」受章 2008. 4.23
 屏東県「名誉県民」称号 受賞2008. 4.25
 テキサス州タラント郡「ダイサク・イケダ・デー(池田大作の日)」宣言書 受章 2008. 4.28
 雲林県大?郷(だいへいきょう)「名誉郷民(きょうみん)」称号 受章 2008. 4.28
 アラスカ州ノースポール(北極)市「名誉市民」称号 受章 2008. 5.
 ブラジリア連邦区議会 顕彰状 受賞
(5月3日を、ブラジリア連邦区「創価学会インタナショナルの日」・「池田大作博士の日」に制定)
2008. 5. 3
 リサール協会「リサール国際青年平和賞」受賞 2008. 5. 3
 彰化県埔鹽郷(ほえんきょう)「名誉郷民」称号 受賞2008. 5.
 ミクロネシア連邦ポンペイ州コロニア市「感謝状」受賞 2008. 5. 3
 マレーシア草堂門金石書画会(そうどうもんきんせきしょがかい)「表彰状」受賞 2008. 5. 4
 パラナ州クリチバ市「5.3創価学会の日慶祝議会」顕彰状 受章 2008. 5. 6
 セルジペ州ムリベッカ市「名誉市民証」 受章 2008. 5. 6
 ローマ市第6行政区 特別顕彰 受章 2008. 5.12
 ローマ市第7行政区 特別顕彰 受章 2008. 5.12
 宜蘭(ぎらん)県「名誉県民」称号 受章 2008. 5.13
 グラン・マリスカル・デ・アヤクチョ大学 グラン・マリスカル・デ・アヤクチョ第一等章 受章 2008. 5.24
 雲林県四湖郷「名誉郷民」称号 受章2008. 5.26
 ヴェネト州オッキオベッロ市「名誉市民の盾」受章 2008. 5.30
 「会計検査院グメルシンド・トーレス勲章」 受章 2008. 6.12
 アラゴン州・カエアタユー市「顕彰状」 受章 2008. 6.23
 パラナ州ポンタグロッサ市「名誉市民証」 受章 2008. 6.25
 彰化(しょうか)県秀水郷(しゅうすいきょう)「名誉郷民」称号 受章 2008. 6.27
 南マットグロッソ州シドロランジア市市「名誉市民証」 受章 2008. 6.28
 パラナ州サンペドロ・ド・イヴァイ市「名誉市民証」 受章 2008. 7.11
 インドネシア教育大学 最高栄誉賞 受章2008. 7.12
 「レスブミ」「特別顕彰状」 受章 2008. 7.13
 ワヒド研究所「特別顕彰」受章 2008. 7.14
 ジャカルタ特別州議会「名誉貴賓賞」受賞 2008. 7.14
 高雄(たかお)海洋科技(かぎ)大学名誉顧問 称号 受章2008. 7.19
 デューイ協会「終身名誉会員」就任 2008. 8.12
 ソウル特別市道峰(トボン)「名誉区民証」受章 2008. 8.18
 カリフォルニア州サンノゼ市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州マウンテンビュー市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州サンタクララ市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州コペルティーノ市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州パロアルト市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州イーストパロアルト市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州メロンパーク市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州サラトガ市「顕彰状」受章 2008.10.5
 カリフォルニア州サンタクルーズ市「顕彰状」受章 2008.10.5
 ミズーリ州ジェファソン郡クリスタルシティー「名誉市民証」受章 2008.10.18
 山陰中央新報社「感謝状」受章 2009.2.6
 ドミニカ共和国 「建国の父勲章」受章1978.10.     
 ペルー共和国「ペルー太陽大十字勲章」受章1984. 2.     
 ドミニカ共和国「クリストバル・コロン大十字勲章」受章1987. 2.     
 パナマ共和国「バスコ・ヌニェス・デ・バルボア勲章」受章1987. 2.     
 コロンビア共和国「国家功労大十字勲章」受章1989.12.     
 アルゼンチン共和国「大十字五月勲章」受章1990. 3.     
 ブラジル連邦共和国 「南十字国家勲章」受章1990. 4.     
 タイ王国「 一等王冠勲章」受章1991. 7.     
 オーストリア共和国 学術・芸術最高勲位栄誉章 受章1992. 6.10
 フランス共和国「 芸術・文学勲章」受章1992. 7.     
 コロンビア共和国「共和国特別大十字黄金勲章」受章1992.10.     
 コロンビア共和国 「サン・カルロス大十字勲章」受章1993. 2.     
 パラグアイ共和国「国家功労大十字勲章」受章1993. 2.     
 チリ共和国「チリ功労大十字勲章」受章1993.10.     
 エルサドバドル共和国「ホセ・マティアス・デルガード大十字勲章」受章1993.11.     
 コロンビア共和国「ボヤカ大十字勲章」受章1994. 2.     
 ブルガリア共和国 「マダラの騎士 第一等勲章」受章1994.10.     
 ジブチ共和国「ジブチ『偉大なる星』勲章」受章1994.10.     
 キューバ共和国「フェリックス・バレラ最高勲章」受章1996. 6.     
 ベネズエラ・ボリバル共和国「アンドレス・ベージョ最高位勲章」受章1999. 7.     
 サンマリノ共和国 「サンタ・アガタ大十字騎士勲章」受章2001. 9.     
 ボリビア共和国 「シモン・ボリバル大十字勲章」受章2002. 4.     
 ベネズエラ・ボリバル共和国 「ベネズエラ功労勲章 勲1等」受章2003.12.     
 ベネズエラ・ボリバル共和国 「フランシスコ・デ・ミランダ勲章 勲1等」受章2005. 6.     
 モンゴル国 「北極星勲章」受章2005. 7.     
 イタリア共和国 「功労勲章 グランデ・ウッフィチャーレ章」受章2006. 1.     
 ロシア ロシア連邦友好勲章 受章2008. 2.18
 韓国 「花冠文化勲章」 受章2009.11.18
 ソ連モスクワ大学 名誉博士号 受章1975. 5.27
 ペルー国立サンマルコス大学 名誉教授 称号 受章1981.4.10
 ブルガリア国立ソフィア大学 名誉博士号 受章1981.5.21
 中国北京大学 名誉教授 称号 受章1984.6.5